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2012年1月26日 (木)

注釈書への疑問~シャレにならないどうしよう

 久々に古典文学ネタです。

 古典文学の注釈書を見ていると、時々、こんなこと何処のお方が言い始めやがりなさっちゃったことかと首を捻るような不思議な記述が、延々と受け継がれていることがあります。

 たとえば、『土佐日記』一月七日の条。大湊港に停泊中の船の上にいるとおぼしき国司一行を、地元の歌自慢の男が訪ねてきたシーン。

 「今日、割り籠持たせて来たる人、その名などぞや、今思ひ出でむ、この人歌詠まむと思ふ心ありてなりけり。とかく言ひ言ひて、『波の立つなること』とうるへ言ひて詠める歌、

  行く先に立つ白波の声よりもおくれて泣かむ我やまさらむ」

 この文章中の地元の歌自慢の言葉、「波の立つなること」は、どういうわけか、諸注釈が「なる」を無視した訳を付けます。例えば、『土佐日記全注釈』(萩谷朴著 1967)は、「随分波がつことですなあ」、『小学館古典全集』(村松誠一注・訳 1973)は、「ずいぶん波が立つことですね」、『講談社学術文庫』(品川和子注・訳 1983)は、「波が立つことですね」、『小学館新編古典全集』(菊池靖彦注・訳 1995)は、「ずいぶん波が立つことですね」。

 手元にある新旧さまざまな注釈書が、まったく同じような訳をつけています。でも、この後の歌の「行く先に立つ白波の声」という表現から言って、この「なる」は、絶対に聴覚を根拠とした推定を表す「なり」だと思うんですがねえ。

 多分、萩谷さんの「全注釈」があまりに権威のある本なので、それを無条件に継承しちやったんだろうけど、冷静に見たら、これは<推定>の「なり」以外の可能性はないと思うんですが。いったい、諸注釈の著者は何を思ってお訳しになったのやら。

 こういうの、我々のレベルでも大変に迷惑です。教材を作成するのに、諸注釈の権威は無視できず、さりとて、生徒さんには文法的に正しいことを教えねばならず。我々教育現場の人間は注釈書と文法の板挟み。どーすりゃいーのよ。~o~;;;

 たとえば、『蜻蛉日記』天暦八年十月の条。父倫寧が陸奥の国司として赴く場面。倫寧の兼家に対する歌、

  「君をのみたのむたびなる心には行くすゑ遠く思ほゆるかな」

 この歌に対して、『蜻蛉日記全注釈』(柿本奨著 1966)は、「たび」の部分に「旅」と「度」が掛かっているとして、「このたびの旅立ちのため、おすがりするのは貴殿の身と存じておりますそれがしといたしましては、旅路の遠さが思われますとともに、末長く娘をとお願いいたします」と解釈しています。

 しかし、こりゃいくら何でも変でしょう。柿本さんは、証歌として、『貫之集』の、

  人もみな遠道ゆけど草枕このたびばかり惜しき旅なし

をあげていますが、この歌は、「このたび」と言う表現だから、「此度」と「旅」が掛詞に成り得るのであって、倫寧の歌は、単に「たび」なのですから、同様に掛詞を認めて、「このたびの旅立ち」なんて解釈しちゃうのは、無理があるというもの。

 これでは、どっかの予備校の英語のH先生が「動詞をどうしようか」と寒いギャグをかましたのを例証として、「動詞」という言葉を全てダジャレと解釈するようなものです。そんなことされたら、普通の古文の教師は授業できねーゾ。~o~;;;;

 『全注釈』以後の注釈書は、さすがにそのまま柿本説を踏襲していませんが、『小学館古典全集』(木村正中 伊牟田経久訳・注 1973)は、掛詞には言及せず、「このたびの行く先はるかな旅の出立にあたりましては、あなたさまだけをお頼みとし、おすがり申し上げております。なにとぞ、行く末長く、娘をお願い申し上げます」と解釈に柿本説を残し、『講談社学術文庫』(上村悦子訳・注 1978)は、「此度」を訳に反映させず、「兼家殿、あなたばかりを頼りとして娘を京に置いて旅立つ私の心持ちでは、私の旅の行く末が大そう遠く思われると同様に、貴殿と娘との契りも末長いように感じられ、それを心から祈られます」と解釈しているものの、注釈で掛詞を認めています。

 一度、権威のある注釈書が出来てしまうと、なかなか完全に否定しさることは難しいのでしょうが、なんとかしてもらわないことには、教育現場は、それこそ「どうしよう」になっちゃうんですよネ。~o~;;;;;;

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コメント

私自身暫く古文から離れ漢文(明月記)や法文に放浪していましたので、こうやってたまに会う古典の話は楽しみです。
「土佐日記」の「なる」は、古文研究法は次のように説明しています(改訂版P31-32)。「なる」が伝聞・推定であるか、指定・断定であるかに眼目がある。この場合、浪の立つのは、現に見ているわけだから、伝聞・推定ではおかしい。
「蜻蛉日記」岩波新古典文学大系で今西裕一郎は、「たび」に「旅」と「度」、「ゆくすゑ」に旅の行先と将来の意をかける、と書いています。「あなただけを頼りにして旅立つ・・・」「あなただけだと頼るたびに・・・」となりませんか。

投稿: 侘助 | 2012年1月27日 (金) 10時50分

 お久しぶりです。書き込みありがとうございます。

 今、山の中にいて資料がないので確かなことが書けませんが、小西先生のお説にはちょっと同意しかねます。
 というのは、ここで、この歌自慢の男は、「行く先に立つ白波」を歌っているわけです。行く先の波はまだ「現に見ている」にはなりません。
 ちなみに、文法的な裏付けとなりそうな話が、『小学館 古語大辞典』(中田祝夫著)の「なり」の項目に載っていたような気がしますが、後日自宅へ帰ってから確認します。

 蜻蛉の方は、自宅へ帰って資料を確認してからお返事を書きたいと思います。
 

投稿: Mumyo | 2012年1月27日 (金) 17時37分

 山から帰ってきました。

 小学館の中田祝夫監修『古語大辞典』「なり」の項目には、<断定>「なり」と<伝聞・推定>「なり」の判別基準の一つとして、

・連体修飾用法や係助詞の結びの連体形の「なる」は伝聞・推定の「なり」である

 と記されています。

 ただし、私個人は、いわゆる<断定>の「なり」の<存在>の用法で明らかな連体修飾の用例が出て来ることから、この基準は学生には教えていません。混乱すると思うので。つまり、「駿河なる宇津の山辺」などというように、体言に<存在>の「なり」がつき連体修飾する例との区別が煩雑になるのです。

 しかし、活用語に接続して連体修飾する「なる」が伝聞・推定になるというのは、経験的にも感じているところなので、自分で読解する時には、これを用いています。

 侘助さんがお挙げになった小西先生の解釈は、多分、こうした文法研究が出て来る以前の読みなのではないでしょうか。小西先生は「改訂する良心」を強調されている方ですから、もし、ご健在で、かつ納得のいく新たな文法研究なら、取り入れて読みを進化させていくことをためらうことはないと思います。

 『蜻蛉』に関しては近日中にブログの方で。

投稿: Mumyo | 2012年1月31日 (火) 09時45分

ありがとうございます。
受験問題ということを離れれば、古文には解釈の分かれる箇所、未だ解が無い箇所が
よくあり、私にとっては興味のあるところです。
土佐日記では一月二十九日の「しばしありし所のなくひにぞあなる。あはれ」の「なくひ」は講師はどう解釈されますか。暇な時で結構です。コメントを。

投稿: 侘助 | 2012年2月 1日 (水) 10時55分

 『土佐日記全注釈』で萩谷朴さんは、

 「諸本悉く『なくひ』という本文を伝えている。ゆえに貫之自筆本にも『なくひ』とあったものと思われるが、それは恐らく、原作者の原手記における誤謬であって、妙寿院本が『た』一字を補って『なたくひ』とし、『名類』と註を咥えたのが、作者の意図した本文に妥当するものかと思われる」

 とお書きになり、本文を「名たぐひ」と改めています。私も、全く萩谷さんのお説の通りだと思います。

投稿: Mumyo | 2012年2月 2日 (木) 17時36分

 すみません。「咥えた」は変換ミスで、「くわえた」です。~O~;;;

投稿: Mumyo | 2012年2月 2日 (木) 17時45分

ありがとうございます。
やっぱり「名類ひ」ですか。

投稿: 侘助 | 2012年2月 3日 (金) 14時02分

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