注釈書への疑問その五~「けり」と「まし」の脈絡
ようやく、侘助さんのおっしゃっていた『大島本源氏物語 桐壷』(和泉書院 森一郎編)を入手しました。今日は少し時間があるので、ついでに現在行われている注釈書を片っ端から調べてみました。遅まきながら、1月25日の記事の補足をします。
結論的に言うと、「現代の注釈書はほとんど、『かく=こうなると』で解釈している」と書いた25日の記事は正しかったようです。手元にある注釈書のうち、『大島本源氏物語 桐壷』と『新日本古典文学大系』(岩波書店)以外の全てが「かく=こうなると」です。
この「かく=こうなると」派の手元にある注釈書とは、『源氏物語講話』(矢島書房 1930 島津久基著)、『日本古典全書』(朝日新聞社 1946 池田亀鑑校注)、『日本古典文学大系』(岩波書店 1958 山岸徳平校注)、『源氏物語評釈』(角川書店 1964 玉上琢彌著)、『日本古典文学全集』(小学館 1970 阿部秋生 秋山虔 今井源衛校注)、『新潮日本古典集成』(新潮社 1976 石田穣二 清水好子校注)、『新編 日本古典文学全集』(小学館 1994 阿部秋生 秋山虔 今井源衛 鈴木日出男校注)です。
これに伴って代表的現代語訳も、「こうなることと前から分っておりましたら」(新新訳潤一郎源氏)、「ああ、前からこんなふうになると分っておりましたなら・・・」(円地文子訳)などとなっています。
これに対して、「かく=このように」と取るのは、『大島本源氏物語 桐壷』(和泉書院 1991 森一郎編)と『新日本古典文学大系』(岩波書店 1993 柳井滋 室伏信助 大朝雄二 鈴木日出男 藤井貞和 今西祐一郎校注)の二書のみです。
ただし、両者は細部において若干異なっています。『大島本』は、「もし歌のように生きたいという希望を現実に思うのでございましたならば(どんなに嬉しいことでございましょうに)」という頭注を付しているのに対し、『新大系』には、「まことにかように(右の歌のごとくに)考えさせていただいてよいのであったら・・・。『かく』は歌のなかの生きたいという思いを指す。生きる希望を満たされるのならうれしかろうに、そうではないのは悲しく無念だ、と万感を言いさす。」という脚注がついています。
つまり、『大島本』によれば、更衣は「限りとて」の歌を詠みながらも、現実にはそんなことは思っていないということになります。つまり、更衣は思ってもいないことを歌にして帝に詠みかけたことになります。これは、少し変です。
『新大系』の脚注は、『大島本』森一郎説の修正版のようなものかもしれません。つまり、更衣は「限りとて」の歌を詠みながらも現実にはそんなことを思っていないという点で森説を継承しているのですが、「かく思ひたまへましかば」によって、このように思うことが許されていなかったという無念の思いを述べたのだというわけです。
しかし、この両説は、更衣が現実に思ってもいないことを歌にして帝に詠みかけたという点では共通しています。これはやはり変です。今回のワタシの25日の記事は、この問題点を解決するものではないかと自負しています。
ワタシの読みの鍵は、実は、「限りとて」の歌の末尾の「けり」と「思ひたまへましかば」の「まし」の二つの助動詞の脈絡にあります。「命なりけり」の「けり」の職能は<気付き>です。つまり、「いきたいのは命だ」という自分の気持ちに初めて気づいたというわけです。
これを逆に言えば、この更衣は「生きたい」と願う自分に今まで気づいてこなかったということです。掟に縛られ帝と別れて退出する道、とりもなおさず死出の道を選ばざるを得ない、従順なだけの自分を受容していたということでしょう。
この<気づき>に呼応するかのような「まし」の<反実仮想>という職能は、今までの掟に盲従してききた更衣の人生の現実を裏側から炙り出すものでしょう。これまでこのような激しい生への執着には気付いていなかった、でも、もし、こんな気持ちを今までも持ってきていたなら・・・。
こんなに強い気持ちでいたなら、掟を踏み越えてでも最期の時を共に迎えようと言ってくれた帝の気持ちに応えられたのではないか、いや、そもそも、これほどまでに生きたいと願っていたのなら、このような最期の時を迎えることも無かったのではないか・・・。
仮定の後に言いさされた言葉は、言葉にしようのないほどの痛切さをもって更衣の人生を貫く後悔だったのではないでしょうか。
| 固定リンク
コメント
源氏・桐壺
詳細なコメントありがとうございます。
参照しながらもう一度桐壺を読み直してみます。
投稿: 侘助 | 2013年2月 9日 (土) 14時14分
こちらこそ、大変勉強になりました。
書き込みありがとうございました。
投稿: Mumyo | 2013年2月 9日 (土) 17時11分