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2013年2月28日 (木)

何が「むつかし」だったのか

 某東北大の難問ですが、調べているうちにいろいろ判ってきました。

 出題は後深草院二条の『とはずがたり』巻一で、前斎宮が大宮院の仲介で後深草院と会う場面です。

 「大宮院、顕紋紗の薄墨の御衣、鈍色の御衣引き掛けさせたまひて、同じ色の小几帳立てられたり。斎宮、紅梅の三つ御衣に青き御単衣ぞ、なかなかむつかしかりし。」

 この「むつかしかりし」に傍線が引かれて「『むつかしかりし』は何に対するどのような感情を表したものか。二十字以内で説明せよ」と設問が付いています。この部分は、作者の斎宮の衣裳に対する感想を述べているところで、「むつかし」は不快感を表す形容詞ですから、作者が斎宮の衣裳に対して不快を感じたということです。

 とりあえず、「斎宮の衣裳に対して不快を感じた」という形で解答の基本的な路線は決まるのですが、それだけでは二十字という字数が少し余ります。できれば、何故不快なのかを制限字数の中に織り込みたいところです。ところが、これが難しい。なにしろ専門家の書いた注釈書の意見がバラバラなんです。

 新潮社の『日本古典集成』(福田秀一校注)には、「斎宮の衣裳の配色がくどくしつこいのを批判したもの。大体、作者は野暮ったいのは嫌いであり、春のものであるべき紅梅襲を十一月頃着ているというのも、センスに欠ける」と頭注がついています。我々の解答は、この新潮説をアレンジして、季節外れを不快感の理由としました。問題文の他の箇所に季節が冬があることを表す箇所があり、その箇所にわざわざ出題者が注を付けているからです。

 ところが、他の注釈書を見ると、岩波書店の『新日本古典文学大系』(三角洋一校注)には、「裳唐衣さえ略した衣裳が、大宮院を見くびるもので、気位高いと難じたものか」。小学館の『新編日本古典文学全集』(久保田淳校注)には、「しつこい感じで、かえって感心しなかった」とあります。

 また、『講談社学術文庫』(次田香澄注)は、ほぼ新全集に近いものの、紅梅襲には普通は紅の単衣を合わせるものだと、色の組み合わせの拙さを指摘しています。

 整理すると、

 1.季節外れ説 『新潮集成』

 2.略装説 『新大系』

 3.配色のセンス説 『新潮集成』『新全集』『学術文庫』

 となります。某東北大の出題者は、このいずれを求めたのか、これがちょっと判らないんです。ただし、この時代の貴族の配色のセンスというのは、現代人には全く判りませんし、センスの悪さをうかがわせる記述は本文中にないので、これを求めるのは少し無理があります。また、略装という判断も、受験生に求めるのは無理なような気がします。

 ということで、我々は季節外れ説を取ったのですが、この季節外れ説には本当は一つ致命的欠点があって、学問的にはやや怪しいのです。というのは、この問題文の少し前で作者自身が「紅梅襲」を着ているんですよね。~o~;;;

 多分、学問的には3が正しいんでしょう。ただ、受験問題としてそれを問うのは無理があるし、季節外れ説の欠点になる部分は受験問題に使われていないので、受験生は知る由もありませんから・・・。

 つことで、受験問題の解答としては我々の答えが正しいと確信しています。しっかし・・・。注釈書の意見が割れるようなことを、受験生に聞いちゃって良いんですかねえ。

 ちなみに、某大手さんの解答の「喪中だから」というのは、完全にアウト。何故かというと、大宮院が「薄墨の御衣、鈍色の御衣」であったのは、出家しているためで、服喪ではないんですよねー。~o~;;

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コメント

とはずがたり
問題はたしかに難しいです。
2年前に日本古典集成でざっと読みました。その時の抜書きメモに「生ぜし折も一人来たりき。去りて行かん折もまたしかなり」(四巻)とあります。
また、後で「日本古典への招待」(田中貴子、ちくま新書)を読み、「古典集成の解説は充分批判的に読んだ方がいい」とあり、読み直したのですが、素人には批判的な部分は掴めませんでした。

投稿: 侘助 | 2013年3月 1日 (金) 14時46分

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