禁句を見た日
この週末、本当は遠出するはずができなくなったので、少し暇ができました。直前講習テキストの仕事も終わったので、一家そろって外出し、ワタシのボロボロになったジーパンと靴を買い替え、本屋さんによって、ちょっと参考書を見てきました。
というのは、ついこの間、生徒さんから質問を受けたからです。某W大を狙うクラスの子で、テキストの『栄花物語』「浦々の別れ」、隆家が配所に赴く場面、隆家から中宮への手紙の文章についてでした。
「かひなき身なりとも、今一たび参りて御覧ぜられでややみ侍りなむと、思ひ給ふるになむ、いみじう苦しう侍る」
(「とるに足りない我が身であっても、もう一度、中宮様のところに参上して私自身をお目に掛けないままになってしまうのでしょうかと存じますと、たいそう苦しいのです)
この「御覧ぜらる」の「らる」は、明らかに<受身>の助動詞なのですが、彼女の見た参考書には、尊敬の動詞の下の「る・らる」は必ず<尊敬>なると書いてあるというのです。
実は、以前から、そういう説明をする参考書の存在は知っていました。それでも、「<尊敬>になりやすい」という程度の説明ならOKだろうと思ってきました。「なりやすい」なら間違いとは言えないし、ワタシは、間違ってなければ○だと思っているので。
しかし、「必ず<尊敬>になる」と書いてあったと彼女は言うのです。仕方なく、こういう場合、「必ず」とは言えないので、あまり便利な公式みたいなものを信用し過ぎないようにと説明してその場は済ませたのですが、やはり気になったので、実物を見てきたというわけです。
んで、実物は、やはり「アウト~!」でした。~o~
助動詞「る・らる」の意味の見分け方について、まず<打消>を伴っていたら<可能>になることが多いが、それ以外の場合で、「尊敬語の下の『る・らる』は絶対に<尊敬>」と書いてありました。ダメです、アウトですヨ、某会社組織の予備校の有名講師Tさん。
予備校屋は、こういうところで「確実に」や「絶対に」という言葉を使ってはいけません。文法に関して「確実に」や「絶対に」は禁句です。どんな文法則にも例外はあるし、その例外が出題されてしまった場合、自分を信じてくれた生徒さんの一生を狂わせることになりかねないからです。
もちろん、ワタシ自身のことを考えても、「絶対に」は絶対に使わないとは言い切れませんが、でも乱発しちゃいけません。よほど基本的な文法則以外、ワタシは「絶対」とか「確実」を言わないはずです。
ましてや、尊敬語の動詞の下の「る・らる」で<尊敬>にならないケースは、ちょっと古文読んでれば山ほど出て来るでしょうにねえ。
この人の使っているテキストにはそういう用例が載っていなかったのでしょうか。今まで、過去問を持ってそういう質問をしに来る子がいなかったのでしょうか。不思議です。しかし、いなかったんでしょうねえ。
だいたい、そもそもちょっと古語辞典を引けば、「御覧ぜらる」「召さる」「おぼさる」「おぼしめさる」などの項目に、<尊敬>にならない用例が山ほど載ってるでしょうに。辞書引かないのかなぁ。辞書引かずにこの商売やっちゃってたのかしらん。謎。
まあ、立ち読みのチラ見だったので、この人の参考書の他の部分については判りませんが、こんな所に「絶対」を使っちゃうというのは、もしかして、推して知るべしなのかもね。~o~;;;
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コメント
辞書愛好家としては、ぜひ辞書を参照してもらいたいものです。生徒さんもT講師も。
「ごらんぜらる」「めさる」は見出し語として扱われており、「らる」「る」が、1.受身の場合 2.尊敬の場合、として説明がされています。
投稿: 侘助 | 2013年11月11日 (月) 15時18分
ホントにね。~o~
それにしても、辞書持って質問に来られたら、どう対応するんでしょうね。他人事ながら心配になっちゃいます。
それはそうと、Tさんの参考書、今日確認したら、「確実に」ではなく「絶対に」でした。一応正確を期すため、直しておきます。
投稿: Mumyo | 2013年11月11日 (月) 16時08分
「る」「らる」の意味の区別は難しく、受験生にとっては悩みの種でしょう。この記事を読み、早速今使っている文法書(『体系古典文法』S研出版)で確かめてみたところ、意味の判別法の原則として、敬語動詞+「る」「らる」→尊敬と書いてあって驚きました。まあ「原則」という言葉が前提についているので、間違いとはいえないにしても、正確な説明ではありませんな。古語辞書には、いずれも、受身と尊敬、両例が列記してあります。辞書を引けば一目瞭然でしょう。わかりやすさを第一とし、そのような説明を施したのでしょうが、そもそも誤っていては話になりません。とりわけ活字の場合は言い逃れできないでしょう。
活字の間違いで思い出したのですが、指導要領がかわることによって来年度から使われる新しい「古典」の教科書を読んでいたら、能楽の流派の記述に「今春流」というのがあり、変換ミスとはいえ、びっくりしました。教科書の編集委員、編集者、さらには文部科学省の検定の方々の目を通ってきたとは思いますが、こういう単純なミスもときにあります。早速教科書会社に訂正を申し入れたら、あわてて編集者が謝罪に見えました。
投稿: ニラ爺 | 2013年11月12日 (火) 12時39分
「尊敬語動詞+る・らる」→「尊敬」とする参考書の根拠として考えられるのは、
「思さる」「おぼしめさる」などが<自発>になりやすく、そのような場合、<自発>を無視して、「お思いになる」と訳しても文意が通り、かつ<自発>表現を嫌う現代語としては自然であるということがあろうかと思います。
また、「る・らる」が<尊敬>の意味を獲得するのは、「『おぼさる』『仰せらる』など本来尊敬表現に下接して用いられたのに始まる」(『先生のための古典文法Q&A』右文書院 中村幸弘著)もののようで、ということは、<尊敬>の「る・らる」は少なくとも初期の段階では尊敬動詞に必ず付いていたということであり、それも、根拠の一つなのかもしれません。
なんにしても、現在の古典文法研究に照らすと、「敬語動詞+る・らる→尊敬」は誤りというしかないようです。
やっぱり、「絶対」「確実」はNGワードってことですかね。
投稿: Mumyo | 2013年11月12日 (火) 16時50分