宣旨書きは見知らずなむ
最近、教材で『平中物語』十八段の「上達部めきたる人」の娘が、女房に恋文の代筆をしてもらっていた話を扱っています。交際を始めた姫君が、いくら恋歌を送っても返歌をしなくなったので平中が怪しんでいると、上流階級の姫君のはずなのに「手もいとあし、歌はた知らず」(字もたいそう下手で、歌はまた詠み方を知らない)という娘で返事が出来なかったという話です。
そこで、つい最近話題の「代作」の作曲の話を思い出してしまったと。~o~;;
古典作品だと、この手紙の代筆、歌の代作という話は良く出てきます。『伊勢物語』なんかにも、業平が恋文の代作をする話が出てきます。『源氏物語』でも明石の巻に、源氏からの懸想文に返事をしようとしない明石の君に対して、明石の入道が代作代筆をしてしまい、源氏から、「宣旨書きは見知らずなむ」(代筆の手紙は見たことがありません)などと呆れられています。
しかし、いくら源氏が呆れていても、「宣旨書き」(代筆)という言葉がある以上、実態の方もやはりしばしばあったんでしょう。『宇津保物語』なんかにも「宣旨書き」の話は出てきます。
これは、この時代、恋歌恋文の出来が異性を惹きつける女性の魅力の一つだったということが深く関わっています。簡単に言うと、平安時代は歌が上手くなけりゃモテないってことです。だから、美男美女とされる人は必ず歌の名手です。したがって歌の下手な姫君が女房に代作を頼むのも、まあ仕方ないかなと。
そういう目で例の「代作」の話を見ると、別にどうってことないと思えるんだけどダメかしらと思っていたら、某週刊誌に、昨曲の世界では忙しい有名作曲家に代わって無名の弟子が作曲するのは日常茶飯事だという話が出ていて、我が意を得ました。
まあ、身体障害者を騙ってマスコミに感動話を売り込んだという点は、ちと問題だと思いますが、それを除けば、音楽自体は誰に著作権があろうと同じ旋律を奏でているわけですから、その旋律に感動しておいて、作者が別だと判った瞬間に怒り出すというのは、ちとどうかなとワタシなんかは思います。
受験参考書なんかでも、有名講師の本で、目次の下に極小の活字で「協力者」なんてのが紹介されていて、明らかにゴーストライターが書いていそうな本もあるけど、内容に問題がなければ、まあ構わないんじゃないかなと。~o~;;
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コメント
18年間の代役。いろいろ感じました。
人を利用するのがうまい人と利用されるのにふさわしい人。代役はきちんと役目を果たす人でなければならない。こういう関係、世間によくあります。
それとS氏のような胡散臭い人。外見で己を演出したがる人。よく見かけます。
投稿: 侘助 | 2014年2月15日 (土) 08時46分
そうですね。世間にはよくある関係…ではありますが、いろいろ考えちゃいますね。
投稿: Mumyo | 2014年2月17日 (月) 21時04分