« 年中行事と始まりの日 | トップページ | ありがたいんですが »

2014年2月21日 (金)

まほならぬものに幸あれ

 昨日、高校生の授業中に「まほならぬ」というフレーズが出てきました。「まほなり」は、完全であることを表す形容動詞です。思わず、「完全な人間はいないってことですかねえ」とつぷやいてしまいました。「まほ」ならぬ「まお」ちゃんのSPのあった日だったので。

 勝負がどんな結果になろうと求道的なまでにパーフェクトな演技を追求してきた彼女は、「まほ」であることを誰より求めてきた人でした。でも、「まほ」にはなりきれなかった。結局、人間は完全にはなりきれないってことなんでしょう。

 そんな思いもあり、今朝のフリーはどうなることかと思って注目していたのですが、メダルの呪縛から解き放たれたということなのか、完璧な技術を披露して会心の演技をしてくれたようです。(「ようです」というのは、実は、生では見ていないので。なにしろ、我が家は今日、早朝出発だったモンですから。~o~;;;)

 翻って考えてみると、これがオリンピックであり、これがスポーツだということでしょう。スポーツとは、完全な人間がいないことを前提に成り立つ営みです。完全な人間が出場しては競技になりませんからね。

 その完全でない人間が、どこまで完全に近づけるかを競うのがスポーツでありオリンピックです。とすれば、完全に近づこうとする意志と努力こそが、スポーツとオリンピックの意義だと言えるのではないでしょうか。

 常に完全な演技をすることにのみ価値があるのなら、プログラムの通りに作動する機械だけを出場させておけば良いのです。「大事なところでいつも転倒する」人間だからこそ、完全であろうとする意志と努力は尊く美しく、人々の感動を誘うのです。

 「まほ」になりきろうと苦闘して「まほ」にはなりきれず、それでも、最後まで「まほ」であろうとし続ける意志を全世界に示した「まお」ちゃんは、そういう意味では今回の五輪でスポーツとオリンピックの精神を体現したと言えるのではないでしょうか。彼女の「まほ」になりきれない苦しみ、「まほ」であろうとする意志こそ、スポーツとオリンピックの美しさであり尊さです。

 だから、どうか胸を張って帰ってきてください。リザルトやメダルは、あなたの美しさ尊さをいささかも損なうものではないのですから。

|

« 年中行事と始まりの日 | トップページ | ありがたいんですが »

コメント

同感です。

投稿: Taiji | 2014年2月22日 (土) 07時58分

やっぱり五輪です。いろいろ感動しました。フリー前の練習の精気のない顔。ひょっとすると棄権か、それならそれでよしとするか、と思いました。見事に演じました。
また、ライバルのキムヨナも立派でした。私は、彼女が金メダルです。バンクーバーのプルシェンコのように。

投稿: 侘助 | 2014年2月22日 (土) 16時05分

>Taijiさん
 どもです。
八海山でお会いできるものと思っていました。

>侘助さん
 キムヨナは本当に強いですね。
オリンピアの女神に愛されている人なんだと思います。

投稿: Mumyo | 2014年2月22日 (土) 22時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: まほならぬものに幸あれ:

« 年中行事と始まりの日 | トップページ | ありがたいんですが »