罔さと殆うさの板挟み
今週は、順調に授業できています。先週は肉体的限界を感じたのですが、今はちょっと余裕があります。先週の月曜はプリントの印刷と質問の多さが重なっちゃって、一秒も休めない感じだったから。やはりプリントは早めに印刷しておかないとイカンです。
肉体的に余裕があると、いろんなことが気になり出します。どうも、今年の生徒さんは、両極端の子が多いかなぁ。
品詞分解にこだわって、テキスト各課を全て品詞分解して見せに来る人と、逆に、古語辞典を全く使わずに訳したデタラメの訳を見せに来る人が、交互に質問に来たりします。これってワタシに言わせりゃ、どっちも、うーーーむ。
品詞分解ってのは、やれと言われりゃ出来なきゃいけないが、それだけにこだわって、品詞分解だけで勉強をした気になっては困るんだが・・・。
どうも、品詞分解ってのは時間が掛かる分、達成感があるらしく、ノートにキレイな品詞分解を作ってそこで燃え尽きちゃう人をよく見かけます。実はそこから後が本当の古文の勉強なんですけどねえ。解釈のための文法じゃなきゃ意味ないでしょう。
こういう人は、スキーに例えるとプルークだけして満足しちゃうプルーク教徒みたいなもので、基礎は大事かもしれないが、基礎で燃え尽きちゃったら何の意味もないゾ。
古語辞典を使って、品詞分解したら、それを元にして自分で解釈を考えなければ、「学んで思わず」の弊害が出ちゃうんですよね。論語に「学而不思則罔」とあるのを思い起こしてほしいモンです。
んで、その逆の人もいるから不思議です。古語辞典使わずに訳してキチンと訳せているレベルの人は良いのですが、デタラメの想像になっちゃったら全く意味ないと思うゾ。「思うて学ばず」の弊害は深刻です。危なっかしいし、努力してもちっとも進歩しないと思うんだが。「思而不学則殆」と肝に免じて欲しいモンです。
どうも、品詞分解を重視した指導をする先生と、自分で考えることを重視した指導をする先生の両方と組んでいるかららしいのですが、罔さと殆うさの板挟みになる当方はツライ。生徒の皆さんが、極端な勉強法は進歩の妨げだと気付いてくれると良いんですけどね。
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