母の日の顛末と人類の可能性
ことの始まりは一昨日のこと。仕事から帰って自室でデスクワークしていたワタシの所に娘(仮称ケミ)がやって来て言いました。「パパ、ひみつの相談があるの」。
「母の日なんだけど、ママに何をプレゼントしようか」
内弟子Yは、母親を大事にする人で、実母には母の日のプレゼントを宅急便で送ったりカードを書いたり。ワタシの母にもいろいろ気を使ってくれるので、ケミさんはそういうのを見て覚えたのだと思います。
それにしても、金曜日に相談に来るとは、何と気の利いた四歳児であることか。実は、昨日の土曜日はワタシは一日中仕事。仕事が終わったらすぐに越後へ出かけるというスケジュールだったので、土曜日に言われても何も出来なかったのです。それを理解しての金曜夕方の相談でした。
すぐに近所のケーキ屋さんに二人で出掛け、ケミさんにクッキーを選ばせました。ラッピングしてもらって、ワタシが持っていることにしました。
昨日夜は、八海山のペンションY泊まりでした。今朝、奥只見へ出かける間際、ケミさんに言って「ひみつのプレゼント」をYの所に持って行かせました。→
Yは予想通り、大感激。「ありがとうー」「これケミが選んだの」「美味しそうだねー、ありがとうー」
ひとしきり感激して御礼を言った後、Yクン、シラッとのたまいました。「んで、ケミちゃん、これは何のプレゼントなの?」
わかってなかったのかよー。~o~;;;;;;;;;
母の日だろうがっ、と言ったところ、「あははは、アタシ自分が母親だって自覚してませんデシタ」。
こんな母親からこんな娘が生まれるんですから、人類はまだまだ奇跡的な進歩をしたりするんじゃないかと思ってしまった朝なのでした。~o~;;
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