世は鈍く回り行き
ここんとこ、日々どよーんとしてます。重い空気の中を足掻いているようで、キレがありません。原因は疲労と腰。やっぱ、二学期第一週に腰痛が重なると、こうなりますかねぇ。
昨日は、あざみ野から横浜へ回る日で、週のうち二番目に大変なスケジュールの日でした。あざみ野の授業はやる気のある生徒さんに助けられて、どうにか上手くいったのですが、横浜の高校生の授業後、やっかいな質問を受けてしまいました。
「うちの高校の先生は、マ○○ナの参考書を勧めるんですけど、○ドン○古文はどこが間違ってるんですか?」
実は、この質問、今年何回か受けています。何故、今年、この質問が多いのか謎です。ちょっと困っています。
というのは、この人、参考書をとてもたくさん書いていて、その全部について、具体的に、「○○の本の△△ページにこんな間違いがある」と間違い探しをしているわけにもいかないからです。なにしろ、ちょっとした間違いなら山ほどありますし、大きな間違いだってかなりありますから。
仕方なく、『京○書房 新修古典文法』のNGを集めたプリントを渡して質問者には納得してもらっているのですが、昨日の質問者は、「うちの高校の先生はみんな勧めているんです」と食い下がってくるので。
なんだか気の毒になって、この人の参考書の方法を使って、センター試験の文法問題が解けなかった話や参考書に「98%こうなる」と書いてあることを、実際の授業では「難関校受験者は90%に下げなさい」と指導してるという話、句読点の話などをしてあげたのですが、どうもスッキリしない様子。こちらも泥沼の中で足掻いている気がして、疲れました。
いったい、高校の先生方、いつまで騙されてりゃ気が済むんでしょう。自分で実際に教科書の古文を読み、入試問題を解いてみりゃ、この人のやり方がどんなやり方なのか簡単に解かるでしょうに・・・。
さて、今日は、朝から町田で授業の日でした。これまた、やる気のある生徒さんに助けられて、なんとか授業は順調に進んだのですが・・・。うーーん、しゃべりにキレがなひ・・・。~o~;;
最後には、泥にはまって鈍くて回らない車を力ずくで回してるようなしゃべり方になって終了。どうにか、第一週の高卒生の授業は終了しました。疲れましたがホッとしまた。
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コメント
ほんと、この本売れています。知る限りで、多くのいわゆる名門進学校で採用されています。私も、実際にそのような学校で、この本を使って教えていたことがありましたが、いつも必ずしもこうではないと付け加えていました。
「自分で実際に教科書の古文を読み、入試問題を解いてみりゃ、この人のやり方がどんなやり方なのか簡単に解かるでしょうに・・・。」とはまさしくその通りで、これは、講師さんが考えている以上に、高校教諭、問題解いていませんなあ。正確にいえば、問題を解いている教員は、そんな簡単に解けないということは身にしみて感じるでしょうから、安易にはすすめないでしょう。
さらに大きな誤解を持っていて、予備校では、この本のような教え方をしている、だから入試に対応できる。われわれとしても積極的に受験指導技術を向上させようと勘違いしているのです。
今年の夏、若い教員をS予備学校の教員向け講座に行かせました。今や、むしろ高校が受験技術ばかり教えていて、むしろ予備校のほうが正統派の授業をしているよ、と助言した言葉に参加前は訝しがっていたのですが、参加した後、なるほどその通りだと納得していたようです。
「東下り」や「須磨」を講読したときに、嘘でもいいから、泣くのだよと、それが授業だよという私はやはり変り者ですかねえ。
投稿: ニラ爺 | 2015年9月 5日 (土) 10時59分
>さらに大きな誤解を持っていて、予備校では、この本のような教え方をしている、だから入試に対応できる。
まさにおっしゃる通りのことを、薄々感じていました。
今やこんな教え方をする予備校屋は少数派のはずなんですが、どうも、そこんところに誤解があるようです。
この十年ほど、少子化の影響なんでしょうが、私文系でも記述が増えたり、無理な難問が減ったりしています。マトモな良問にいい加減な「受験技術」は通用しないのですが、そこのところがもう一つ認識されてないんでしょうか。
投稿: Mumyo | 2015年9月 5日 (土) 11時29分