« のんびり地味に祝う日 | トップページ | 細部の才能立体の目覚め »

2015年9月24日 (木)

的中しない時代~最新の入試動向

 ワタシにしては大変珍しく、マジメな最新の入試動向の話です。

 先日、同僚の若手の先生から相談を受けました。「明治の法学部を受ける子から相談されたんですけど・・・」で意見を求められたと。すぐにピンと来ました。ははあ、アレか。

 明治大学の法学部は、この何年か、近世の武士階級の人間が書いたマイナーな文章を出題しています。2015年のは、中国の裁判実例集を翻訳した『棠陰比事物語』。ビックリするような超マイナー作品です。

 んで、過去問をやった生徒さんがビックリして相談に来たということのようなんですが、今やこういうことはそれほど珍しくありません。近年の古文の入試動向の一つは、出典のマイナー化なんです。

 今までなら、入試問題の出典を聞いくと、我々プロは、あああの作品ねとすぐに本棚から注釈書を取り出せたのですが、最近、そういうことが減ってきました。これは恐らく、今まで無かったマイナー作品の活字化や、注釈書の出版が進んだためかと思われます。ワタシも一昨年から昨年にかけて、擬古物語の注釈書を随分購入しました。

 こういうマイナー作品の出題頻度は、もちろん、大学により学部によって違ってきます。だから、受験する所によって態度を変えなければいけないのですが、もし、受験する所がマイナー作品を好む大学だった場合、まず、慌てないことです。

 たとえば、上記の明治大学法学部の場合、出典はマイナーなのですが、設問はオーソドックスです。ですから、見慣れない文章かもしれないけど、慌てずに問題文を読み、設問に対応していけば良いんです。

 また、普段の学習において、インチキなやり方が通用しなくなっているということでもあります。例えば、有名作品の注釈書や粗筋を大量に読んだり問題集を大量にこなして、まぐれ当たりの的中を狙うなんてのは、まず当然ダメ。予備校屋さんの「奇跡の的中」なんてのも頼れません。

 また、マイナー作品は中世近世が多いですから、中古のメジャー作品にしか使えないような安直な公式やらマニュアルやらは通用しにくいはずです。文法問題の公式で文法問題を処理し、読解の公式で主語を判定する・・・なんてことばかりやっていては、マイナー作品の出題に対応できません。

 つまり普通に文法と単語の勉強をしたら、後はテキストや教科書を自分で古語辞典を引きつつ訳し、何が書いてあるのか考える、そういうオーソドックスな勉強をしていないと通用しなくなって来ているということ。まあ、マジメな生徒さんにとっては良い傾向です。

 しかし、こういう傾向は、我々プロにとっては良い傾向とばかりも言っていられません。何しろ、注釈書がないんだから。自分で読めなきゃ問題の解説もできません。

 んで、赤本執筆者も受難の時代というわけです。例えば、2015年の青学2/14問題では、『宿直草』という超マイナー作品が出題されたのですが、この問題、直接的記述はないけど、長老が長持に閉じ込められたままだということが読み取れなきゃ問九には答えられません。

 また、同じく2015年の御茶ノ水女子大の『東山鹿聞の道の記』の出題では、鹿の声を聞こうと集まっている風流人達が和歌を詠もうとしているのだと察することができないと、問一でハチャハチャになります。

 赤本の執筆者も旺文社『入試問題正解』の執筆者も、お気の毒でした。こういう注釈書の無い文章は、締切がキツイとツライですよね。和歌を詠もうと苦吟している「うち傾く」動作を、赤本は鹿の声を聞きに来た同士の仲違いの様子と取っちゃうし、旺文社は、鹿の声を聞くために耳を傾けてるなんて解釈しちゃってるんですが、よく考える時間がなきゃ、そういう勘違いも起きます。

 まあ、赤本のあら捜しを趣味にしているワタシにとっては、面白い時代になったってところなんですが・・・。~o~;;;;;

|

« のんびり地味に祝う日 | トップページ | 細部の才能立体の目覚め »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 的中しない時代~最新の入試動向:

« のんびり地味に祝う日 | トップページ | 細部の才能立体の目覚め »