つれづれの今さら発見
一昨日、ようやく模試関係の仕事が終わり、ちょっとデスクワークから解放されました。
んで、今日の午前中は仕事もないので、ちょっとネットの世界を徘徊していたら、某ヤフーの質問コーナーに97年センター国語ⅠⅡ本試験の問題になっている『松浦宮物語』の和歌の記事を見つけて、調べているうちに妙なことに気付きました。
97年センターは、入内することになった神奈備の皇女と、皇女に思いを寄せながらも遣唐使となって渡唐する弁の少将の贈答歌を設問にしています。
「神奈備の皇女
a もろこしの千重の浪間にたぐへやる心もともにたちかへりみよ
(中略)
b 息の緒に君が心したぐひなば千重の波わけ身をも投ぐがに」
この本文に対して、「息の緒=命」、「身をも投ぐ=『身を』に『水脈』を、『投ぐ』に『凪ぐ』を掛ける」、「がに=ここではある事柄の実現を期待する意」と注がついています。
設問は、この贈答歌にこめられた詠み手の心情を聞いているのですが、正解の③には、
「a たとえ大海原を隔てても、私の心はいつもあなたのおそばに寄り添って、無事にご帰国になるまでお守り申し上げることでしょう。
b あなたの心が本当に私の身に寄り添ってくださるならば、私は大海原を分けてきっと無事に帰ってくることができるでしょう。」とあります。
質問コーナーの質問は、bの歌の現代語訳を求めていたのですが、こりゃ、受験生には無理だよ。
というのは、「がに」の解釈が難しいからです。センター出題者の意図としては、「がに」に「ある事柄の実現を期待する意」と注を付けているからには、「がに」は「水脈も凪ぐ」に対する願望と考えて、
「あなたの心が本当に私の身に寄り添ってくださるならば、私は大海原を分けて、(水脈が凪いでくれることによって海に身を投げることなく)きっと無事に帰ってくることができましょう」
とでも解釈したのでしょうが、この解釈には致命的な欠点があります。というか、注に致命的な問題点があります。
上代語「がに」には、程度や様態を「・・・するほどに。・・・しそうに」と表す語法と、将来への期待を「・・・だろうから」と表す語法があります(後者は辞書によって、接続助詞とされたり終助詞とされたりしています)。
センター出題者は後者と取って注を付けたんだろうけど・・・ねえ。~o~;;;
この両者は接続が違っており、前者は終止形接続ですが、後者は動詞の連体形に接続するんです。つまり、後者は、上二段活用の「凪ぐ」にも下二段活用の「投ぐ」にも、「なぐるがに」という形でしか続きません!~o~
こーりゃ出題ミスだねー、あははははー。~o~ ~O~
恐らく、この和歌の正解は、「がに」を前者と取り、
「私の命にあなたの心が寄り添ってくれるならば、私は大海原の波をかき分けて海に身を投げるほど懸命に(あなたが和歌に詠んでくれた通り、我が国に帰って来ましょう)」
くらいなんでしょう。
ちなみに、小学館『新編日本古典文学全集 松浦宮物語』では、この「なぐ」を「心が穏やかになる」意と取って、
「あなたの心がともなってくださいますなら、私はそれを命の綱として、いくえもの波を分けて船旅を続けても、我が身を平穏に保つようにすることができましょう」
と訳しています。一つの見解とは思いますが、かなり苦しい解釈のような気もします。
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