色即是空とテキストの別解
今日は授業のない日だったので、デスクワークの合間に内弟子Yと一緒に買い物に出かけました。ワタシの仕事用のジャケットが長年の酷使に擦り切れてしまったので、その代わりと姪のための誕生日プレゼントを求めるためです。
八王子に百貨店というものがなくなって、こういう買い物には立川まで出かけることになります。駅前の伊勢丹でワタシのジャケットは決まり、姪のIちゃんのための服も購入。
帰り際に、Yクン、しみじみのたまいました。「こういう百貨店をブラついても、とうとう心が揺れなくなりマシタ」。貧乏性が極まったYは、百貨店を歩いても全く物欲が起こらなくなったのだそうです。うーーん、色即是空厭離穢土だね、Yクン。吝嗇の道も究めると大悟に通ずるってことですね。~o~
ちょうどテキストで、『発心集』市正時光のエピソードを扱ったばかりでした。平安後期の楽人市正時光が唱歌に夢中になって堀河帝のお召を無視するという説話です。
このエピソードを紹介して、鴨長明は仏教説話集らしく次のように結びます。
「これらを思へば、この世のこと思ひ捨てむことも、□□はことに頼りとなりぬべし」
風流心は俗世を捨てるのにも頼りとなるにちがいないという、これはやや牽強付会なまとめなのですが、□□のところがウチのテキストだと空欄補充になっています。
Yクンのことを考えると、「ドケチ」は別解になるのかもしれませんネ。~o~
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