現代語訳の日々
このところ、午前吉祥寺、夜立川で毎日六時間授業。それだけでも忙しいのに、間の時間に某W大S経学部の傾向と対策本執筆をしています。
今年のS経学部は『菅家須磨記』という偽書が出題され、偽書特有の悪文に苦労しながらの現代語訳となっています。いやはや、ホント、この悪文は洒落にならんよ。
しかも、今朝になって大変なことに気付きました。この問題文、本文校訂がなされているらしいのです。
通常、古典作品というのは、書き写されて広まるため、何通りもの本文を持ちます。そこで、ある本で意味不明の場合、他の本を使って本文を改めたりするのは、ごく普通のことです。これが通常の本文校訂です。
ところが、この『菅家須磨記』は江戸時代の偽書ですから、何通りもの本文なんてあるはずがなく、底本を改めるのは、すなわち出題者の作文ということになります。いくら偽書といえども、意味不明の部分で作文しちゃってるなんて・・・。
この出題者さん、古典作品をなんだと心得ているのでしょう。こんなのは、「古典」という教科の問題とは言えません。「古典もどき」とでも呼ばなければならないんじゃないかしらん。
訳していて、うっとうしく不快感ばかりがつのってきます。
そこで息抜きというか逃避というか、娘(仮称ケミ)のための枕草子訳をしてみました。ケミさんの保育園では、年長さんになると、「はるはあけぼの」の段を子供に暗唱させます。
でも、暗唱するだけで意味は教えてくれないというので、ケミさんに意味を聞かれて、それじゃパパが訳してあげようと。幼児の皆さんにわかるようにってことで少しコテコテした訳ですが、最初の方はこんな感じ。
「はるはあけぼの
はるは、よあけのころが、きれいです。
すこしずつ、白くなっていく山のあたりのそらは、すこしあかるくなって、むらさきっぽくなっているくもが、ほそながくなって、ういているのは、きれいです。
なつは、よるがすてきです。
・・・・」
いやー、幼児のために「古典」の名文を訳すのって、心洗われるなぁ、「古典もどき」の訳と違って。~o~
<後日記>
この記事は、ちょっと勘違いが含まれていて、『須磨記』には異本があるようです。しかし、江戸時代の偽書のくせに異本とは・・・。
ただし、某S経学部問題の本文校訂箇所については、どのような経緯でなされたものか依然として不明。
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コメント
古典の魅力の一つに簡潔な表現というのがあると考えます。「枕草子」など典型的です。「はるはあけぼの」の段落を暗唱させるという行為こそ教育の本質そのものでしょう。名文を身体におぼえこませる。名文だからいいのです。この対極に『須磨記』があると思われます。某S経学部、やはり出題に問題があると考えざるを得ません。ほんと受験生がかわいそうです。
「文學界」9月号の蓮実重彦と渡部直己の対談において、渡部が早稲田大学の選択式の問題を批判し、京都大学のような記述式こそ大事だという主張があり、強く共感できます。採点はひどく時間がかかり、困難を極めますが、べらぼうに高い受験料をとっているからには、問題作成や採点にもっと時間をかけていいはずです。
投稿: ニラ爺 | 2016年8月10日 (水) 13時08分
そうなんですよ、まったく。
かわいそうなのは、受験生です。こんな問題文で落とされたら、泣くに泣けません。
投稿: Mumyo | 2016年8月10日 (水) 22時43分
昨日W大政経学部の青本を拝見しました。『菅家須磨記』と設問に対する怒りにも似た思いがひしひしと伝わる解説でした。長年にわたって、問題の傾向と対策を研究している解説だけに説得力が十分あったと受け取りました。例の問、妻でなく姫と断じたのは、当然なのでしょうが、それはそれで勇気が必要だったかとは思います。
おそらく問題作成者は、ひどく後悔していることでしょう。
いずれを正解としたのか、大学側の見解をうかがいたいところです。
投稿: ニラ爺 | 2016年10月19日 (水) 16時02分
>問題作成者は、ひどく後悔していることでしょう
だとしたら、良いのですが、果たして後悔してくれているのかどうか…。
来年度の問題を見てみましょう。~o~
投稿: Mumyo | 2016年10月19日 (水) 20時58分