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2016年10月22日 (土)

今更恥ずかしい進歩

 最近、東大京大の過去問添削に追われているのですが、自分で意図したわけではない効果が表れているようです。
 
 授業中の言葉の扱い方が変わってきたような気がします。今までは、「まあ、こんな感じ」で済ませていたものを辞書を引いて緻密に考えるようになりました。
 
 別に今までだって入試問題に対応できないほどアバウトだったわけではないのですが、やはり東大京大対策ということになると、非常にシビアにニュアンスまで検討して添削しなければならなくなるので。
 
 例えば、現代語の「ものの道理」と単なる「道理」はどう違うか、古語の「心やすし」と「うしろやすし」はどう違うか、古語「のどやかなり」を現代語「おおらかだ」と訳して良いか悪いかなどなど・・・etc.
 
 あまり気にしてなかったようなことが最近とても気になります。こういうの国語教師としては「進歩」なんでしょうが、人間としてはイヤなヤツになってきてるかも。~o~;;;
 
 過去問に対する対応も今までよりはるかにシビアになってきています。例えば、2004年の東大過去問、『庚子道の記』からの出題です。
 
 筆者武女は、名古屋城内に仕えていて七年ぶりに江戸へ里帰りをします。江戸の町の変わらぬ賑わいを目にした筆者は、
 
 「はえばえしく賑はへるけしき、七年のねぶり一時にさめし心地して、うれしさ言はん方なし
 
 と記すのですが、この「うれしさ言はん方なし」に東大は傍線を付し、「なぜうれしいのか、簡潔に説明せよ」と問います。
 
 この問に対して従来の傾向と対策の本では、「大通りの賑わいを見て、七年ぶりに江戸に帰ったと実感したから。」、「江戸に到着し、七年前と変わらぬ繁栄を目のあたりにしたので。」などと模範解答を組み立てています。
 
 ワタシも今まではまあ、そんなもんだろうと思っていました。東大にしては簡単な設問だと思っていました。でも、そんな簡単な答えで良いのかしらんとちょっとは引っかかっていたんです。
 
 というのは、この程度の解答は、東大を受けるほどの受験生であれば、誰でも書けるので差がつかないんじゃないかと。
 
 んで、今回、添削のための模範解答を作成していて気付いたんです。この設問、「七年のねぶり一時にさめし心地」の解釈が鍵になることは明らかですが、これは作者の側の内的変化を表す表現なのではないかと。
 
 七年ぶりに変わらない江戸の賑わいを見て目が覚めた気がしたというのは、江戸へ帰ってきた喜びの表現なのですが、逆に言えば、今までの七年間を仮眠状態として捉え直したということでもあります。
 
 名古屋城内という出仕の場所では本来の自分を眠らせていた作者が、故郷江戸の賑わいを見て、本来の自分に目覚める、そういう感覚が「七年のねぶり一時にさめし心地」なのではないかと。
 
 本来の自分の居場所に帰ってきた筆者の喜びを説明しろってことなんじゃないかしらん。
 
 んで、ワタシの模範解答は、
 
 「七年前と変わらない江戸の賑わいを見て、本来の自分に戻れた気がしたから。」
 
 従来の模範解答と比べて少し長いのですが、35字は東大の解答欄にギリギリセーフで入ると思われます。コレ、けっこう自信があります。~o~
 
 しかし、還暦も近い今頃になって、こんな「進歩」ってのも恥ずかしいかも・・・。 ~o~;;;;;

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