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2017年7月26日 (水)

ねぢけているのは?~『源氏物語』に関する些細なこと3

P10806461  昨日の朝顔です→。濃い青紫が鮮やかな三十四輪目。多分、今まで咲いた花の中でも最も見事な花でしょう。
 
P10806471
 
 
 
 娘(仮称ケミ)が学校から持ち帰った苗木の三十五輪目←。これも朝顔らしくてお見事。
 月曜から、立川で毎年お馴染み講座のカリスマA師のテキストです。いつもながら、難易度高いけど、遣り甲斐があります。
 
 しかし、こっちが遣り甲斐を感じてしまうということは、生徒さんにとってはかなーり難易度高いってこと。イマドキの生徒さんには、もう少し親切な本文や注を用意してあげた方が良いかもしれません。
 
 
 講習が夜なので、昼間は家と図書館でデスクワークなのですが、『源氏物語』「空蝉」巻で、ちょっと首を捻る所がありました。
 
 空蝉弟の小君の手引きで紀伊守邸に忍んで来た源氏が、碁を囲う空蝉と継娘軒端荻を垣間見る場面です。
 
 軒端荻の容姿の描写なのですが、
 
 白き羅の単襲、二藍の小袿だつものないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはにばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげにつぶつぶと肥えてそぞろかなる人の、頭つき額つきものあざやかに、まみ、口つき愛敬づきはなやかなる容貌なり。髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、下がり端、肩のほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなる人と見えたり。
 
(白い羅の単襲に二藍の小袿のようなものをしどけなく着こなして、紅の袴紐を結んでいる辺りまで胸が露わで品のない態度です。たいそう色白で可愛らしい様子にむちむちと太って大柄な人が、頭つきや額つきが鮮やかで、目もとや口つきは魅力的で華やかな容貌です。髪はたいそうふさふさとして、長くはないけれど、胸に垂れた髪や肩の辺りの髪は美しく、「すべていとねぢけたるところ」がなく、可愛らしい様子の人と見えました。)
 
 この、「すべてねぢけたるところ」が問題です。「ねぢけたるところ」を性格的なものと取りたがる注釈がいくつかあります。一方で、容貌の欠点と取る注釈もあります。
 
・性格説
 『源氏物語講話』(島津久基)「全体がおっとりとしてゐてひねくれた所はない」
 『新潮集成』「おっとりした育ちぶりで」
 『完訳日本の古典』「素直でおおどかで」
 『新編古典全集』「癖がなくおおどかで」
 
・容貌の欠点説
 『岩波旧大系』「何もかにもひねくれた欠点がなく」
 『玉上評釈』「どこにも変なところはなく」
 『旧古典全集』「全体としてひねくれたところがなく」
 
 どちらかというと、最近の注釈は性格説へ傾いているように見えます。小学館の『旧全集』から『完訳』『新編全集』への変化にそれが見て取れます。これは何故かと言うと、「ねぢく」という語の語義から言って、単なる容貌の欠点を「ねぢけたるところ」とは言いそうにないからです。
 
 しかし、軒端荻の性格的な面を「おっとり」や「おおどか」と表現してしまうのは、文脈的に無理があります。というのは、この軒端荻という娘は、この引用した部分でも「ばうぞく(品がない)」などと言われ、引用文直後にも「静かなる気を添えばや(静かな感じを加えたい)」「品おくれたり(品位で劣っている)」などと評される人だからです。
 
 この問題の解決は「すべて」にあるのではないかと思われます。「すべて」を容貌や人物評のまとめと考えるから、無理が来るのです。「すべて・・・打消」で”まったく・・・ない”の意と取り、「ねぢけたるところ」を髪に関する批評の続きと取ってしまえば、簡単なのではないでしょうか。
 
 「すべていとねぢけたるところなく」の部分に、”まったくひどく捩れたところがなく”という訳を代入して上記の訳文を読んでもらえば、何処にも無理はないはずです。
 
 なんだってこんな簡単なことに今まで気づいていなかったんでしょう。動詞「ねぢく」は、”曲がりくねる・よじれる”が本来の使い方のはずなんですけどねえ。

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コメント

 以前にもコメントしましたが、つい10日ほど前に岩波文庫で「源氏物語」が出版されました。鈴木日出男校注とありますから、以前からの計画だったと推察されます。ご存じかどうか、最近の岩波文庫は、注釈が充実しているのが結構多いのです。地味なイメージは払拭できないのですが、結構斬新な注釈や翻訳があって、学生時代とは比べようもないほどの変化があります。所収作品も大きく変わりました。われわれの頃は日本近代文学などは「真空地帯」しかなかったと記憶していますが、今や大江や谷川などの自薦作品集が収められるに至るとなるともう隔世の感しきりです。その岩波文庫ではどうなっているのか、参考になさると面白いかもしれません。
 はい、以前ならば真っ先に買ったでしょうが、夏休みのドリルがほしいといわれ、そちらを優先。2、3000円ほど買ったのですが、あっという間に終えてしまいました。ああ、岩波文庫を買ったら、一生ものだったのになあと。
 そうなんです、Z会は小学生コースもあるのです。ことZ会だけは、南海ホークス(かなり古いギャグですな)、全く縁がありませんでした。

投稿: ニラ爺 | 2017年7月27日 (木) 10時56分

 岩波文庫の情報ありがとうごさいます。山岸徳平さんのを改訂するのかと思っていたのですが、どうやら新大系をベースにしたものになるようですね。さっそく本屋さんに注文にしてきます。

投稿: Mumyo | 2017年7月29日 (土) 09時59分

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