書き書かせるという至難
娘(仮称ケミ)は、ジャングルを指でかき分けて写真を撮るのにもすっかり慣れて、任せておけばOK→。
上手に撮ってくれます←。
昨日は、仕事が夜だけだったので、ほぼ一日デスクワーク。赤本の間違い探しと模試の仕事をして過ごしました。
某J智大は文学部国文科志望者にのみ記述問題を課します。こいつの赤本が毎年悲惨で・・・。
そも、同じ問題文の2月6日問題の解答解説がヒドイのですが、記述はそれに輪をかけます。特に気になったのは、問八の記述。
問題文は『無名草子』皇后宮定子の批評を女房が行っている箇所です。
父関白が死に兄伊周は流されて苦境にある定子の御所を、何ほどのことがあるかと侮った某中将が訪れ、庭草が茂る御前について、「などかくは。これをこそ払はせておはしまさめ」と問いかけるのに対して、女房の宰相の君が「露置かせて御覧ぜむとて(皇后宮様は露を下りさせて御覧になって楽しもうとして、わざと茂らせているのです)」と答えることを、『無名草子』語り手は「なほ古りがたくいみじ」と称賛するのですが、そこに、次のような設問が付されます。
問八 このように定子側が強弁したのを、『無名草子』で、「なほ古りがたくいみじく」と評価しているのは何故か。説明せよ。
どうもコレが難問になっているようです。
赤本も旺文社も「昔に変わらず、風雅で趣深い生活を大事にしているから」という筋で答えちゃってるんだけど、それで良いのかなー。
出題者は、わざわざ「定子側の強弁」という言葉を使ってます。つまり、定子サイドの強がりの言い訳だと。
とすれば、出題者は、御所の庭に草が繁茂していることを、額面通り風雅からではなく、後見人を失って庭が荒廃してしまった結果だと読んでいるということでしょう。そして、定子側の「強弁」を賞賛している語り手は、定子側が昔と変わらず誇り高く振る舞っていることを評価しているということになります。
「強弁」の一言は、そういう読みを導く誘導ではないのかしらん。
こういう設問の言葉遣いって微妙です。模試作成の側に回ると、いかに自分の用意した模範解答を書かせるかで言葉遣いに苦労します。
昨日はずっと、解答を書く側と書かせる側の両方の至難を痛感していました。アタマ疲れたよー。~o~;;
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