子供たちに謝ってください
昨日まで、午前、横浜、夕方から御茶ノ水での某東大志望高1生の講習でした。移動付き二階建ての六時間授業は、今年の冬期の仕事の中でも一番のヤマです。
一昨昨日まで夕方は町田に移動しての授業で、その時も高1の講座でした。たまたま高1シリーズになってしまったわけです。
今年の高1生相手の講座では、つい力が入ってしまいました。というのは、新テストの試行調査問題というのを目にしたばかりだったので。
試行調査問題に関して、その目指す理念や問題としての完成度は、今は置いておきます。ただ、この大きな変更が誰に対して負荷のかかるものであるのか、その一点を取り上げたいと思います。
明らかに、この変更は現高1生に対して大変な迷惑になります。現高1生は、現行センター試験を受ける最後の学年です。ということは、その試験で失敗すると、新テストを受けることになります。つまり、まったく異なった二つのテストを受けさせられる可能性があるというわけです。
これ、可哀想過ぎませんか。この子たちは、現役の間は現行センターに対する対策をして、もし浪人すると、全く方向の異なる新テストに対する対策を講じなければならないんです。その時、現役の連中は何年も前から新テストに対する準備をしているのです。著しく不利です。
ワタシにしては珍しく、高1生にアツく語ってしまいました。「君達はセンター試験での失敗が許されない学年です。今から対策を進めておきなさい」と。
先日、新聞にこの新テストへの「改革」を推進している某K応大の先生へのインタビューが載っていました。
「入試改革は以前からの課題です。・・・何も変わらないまま10年あまりが過ぎました。大人は子供たちに申し訳ないと思うべきです」
「子供たちの幸せを考えれば、改革は遅きに失したほどです」
そんな偉そうなことを言うなら、Aさんよ、アンタ、現高1生たちに対して謝ってくれよ。他人に対して「子供たちに申し訳ない」と思えというなら、アンタが一番、申し訳ないと思うべきだろ。「子供たちの幸せ」などと言うなら、アンタが一番、現高1生の幸せを踏みにじってるんだろうに。
大人が自分勝手な都合で勝手な机上の空論を振り回すと、犠牲になるのは誰なのか。考えてくださいよ、頼むから。
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コメント
思い起こせば40年以上前のこと。共通一次が導入されるというので、混乱していました。釈迦に説法ですが、当時は国立一期校と二期校があり、国立大学は二回チャンスがあり、大学独自で科目数も決められていました。私はその最後の年でした。浪人すると、いきなり五教科七科目で一発受験。それはないよなあと。
今回も改革のための改革のような気がしてなりません。記述式も不公平が出るとかなりの大学が懸念を示しています。
一昨年の夏に埼玉会場で行われた説明会では、某株式会社の予備校主催でしたが、文科省の役人や県の教育長まで出てきたのにはびっくり。文科省の意気込みに驚きを超え、あきれてしまいました。
投稿: ニラ爺 | 2017年12月27日 (水) 10時06分
そうですね。我々の世代が第一次の「犠牲者の世代」だったわけです。忘れてました。~o~;;
今回は、本当に「改革のための改革」でしょう。拙速と言わなければならないタイミングに時限を設定し、役人が「改革」と誇るためだけの急激な方向転換は、子供無視の大人の論理です。
教育において急激な方向転換というのは、一種の人体実験になり社会的にも深刻な結果をもたらすというのは、「ゆとり」の時に分かったはずなのに。
しかも、このAさんというセンセイの困った点は、それを子供のためだと強弁していることです。こういう輩は本当に…。
投稿: Mumyo | 2017年12月29日 (金) 00時05分