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2017年12月16日 (土)

誰からの「西の君」~『源氏物語』に関する些細なこと5

 ここんとこ、時間があると『源氏』の注釈書を読み返しています。んで、まだぞろ、重箱の隅が気になります。
 
 「空蝉」の巻巻末近く、空蝉が残した薄衣についての源氏の歌を、弟小君から受け取った空蝉の感慨を記す部分です。
 
 (小君は)かの御手習とり出でたり。さすがに取りて見たまふ。かのもぬけを、いかに伊勢のをの海人のしほなれてやなど思ふもただならず、いとよろづに乱れて。西の君ももの恥ずかしき心地して渡り給ひにけり。
 
 (小君は)あの源氏の君の御手習いを取り出しました。そうは言っても、女は手に取って御覧になります。あの抜け殻を、古歌にいう伊勢をの海人の衣ではないが、どんなに汗臭いかと思うにつけて普通ではいられず、たいそう様々に思い乱れて。西の君も、何となく恥ずかしい気持ちがして、西の対にお渡りになってしまいます。
 
 諸注釈、「西の君(軒端の荻)」に対して、「渡り給ひにけり」と尊敬語を用いていることに疑問を呈しています。ここは、本文に問題のあるところで、河内本では「渡りにけり」となっていて、島津久基『源氏物語講話』は、「この方が正しいか」と首をかしげています。しかし、青表紙本系は、すべて「渡り給ひにけり」です。現存する写本による限り、少なくとも定家は、「給ひ」を入れて読んでいたのであろうと推定せざるをえません。
 
 『玉上琢彌 源氏物語評釈』では、この敬語表現に疑問を呈しながらも次のように推測しています。
 
 「われら、『源氏物語』の真の読者から見れば、問題にならない身分の女が、思いがけず源氏の君のお情けを頂いて、にわかにえらくなったつもりで、歩いてゆくこっけいなところを思うべきなのであろうか」
 
 
 しかし、ここは、そんなひねくれた読み方をしなければならないところなのでしょうか。はなはだ疑問です。
 
 上記の本文は小学館『新編日本古典文学全集』なのですが、「西の君」の直前に「いとよろづに乱れて。」と句点を打っています。この部分も本文に異同のあるところで、青表紙本系でも、「思ひ乱れたり」とする本文もあります。小学館の旧全集はこの本文を取ります。
 
 しかし、近年の注釈書は新潮社『日本古典集成』も『新全集』も岩波『新古典文学大系』も「乱れて」の本文を取っています。このうち、『集成』と『新大系』は、「乱れて」の後を読点にして、「『て』のあと人物や場面が入れかわる文と見ておく」(『新大系』)などと脚注をほどこしています。
 
 しかし、なぜそんな例外的なことを考えているんでしょう。不思議です。ここは、「乱れて、」として以下の部分の主語を空蝉で読めばそれで解決してませんかねえ。
 
 (小君は)あの源氏の君の御手習いを取り出しました。そうは言っても、女は手に取って御覧になります。あの抜け殻を、古歌にいう伊勢をの海人の衣ではないが、どんなに汗臭いかと思うにつけて普通ではいられず、たいそう様々に思い乱れて、西の君に対しても、何となく気づまりな気持ちがして、西の対にお渡りになります。
 
 「渡り給ひにけり」の主語を空蝉で読んでおけば、空蝉に対しては前後で尊敬語を使用しているので全く問題が起こりません。源氏の歌を見た空蝉が、自分の身代わりに源氏と情事を持った継娘の様子を見に行くというのは、決して不自然な行為ではないように思います。
 
 「~もはづかし」で「~に対して恥ずかしい・気づまりだ」の意になるのに諸注気付かなかったってことでしょうか。しかし、それほど珍しい語法ではなく、例えば、
 
 「今までは何に心のとまるぞとよそに見るらむ人もはづかし」(拾遺風体和歌集 雑 行家朝臣)
 
などと使います。
 
 しかも、このように読んでおくと、「西の君」という呼称がしっくりきます。玉上琢彌『評釈』によれば、軒端の荻に対して女房たちが用いた「西の御方」という呼称よりも、「西の君」は敬意に富む表現だと言います。ここは、「思ひ乱れて」と空蝉の心中を叙述した後、空蝉に寄り添った視点から、「西の君ももの恥ずかし」と空蝉の心内語的な表現をしたと考えてやれば、すべて問題は解決しそうです。
 
 つまり、「西の君」と呼んだのは、語り手ではなく継母空蝉の心中ではないかと見たいのです。
 
 そもそも、源氏と情交を持った軒端の荻が、こんな時間まで継母の元でぼんやりしていて、やっと帰っていくというのは何だか変じゃないでしょうか。軒端の荻はとっくに自室に帰って、初めての体験の余韻を一人で噛みしめ、物思いにふけっていたと考えた方が自然な気がします。  

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コメント

ご無沙汰しております。侘助改め翌檜です。

一人が二人になり、二人が三人、三人目は小学一年生、八王子から小金井とFamily History をみてきました。時には、あんなにスキーにいっていいのだろうか、と全く余計な心配をしながら、日記をみてきました。

源氏は難解で全巻すら持っておらず拾い読みです。偽書の山路の露、雲隠六帖を眺めていることもあります。それなりに長くつきあっていくつもりです。

坂道を寄り道をし下りながら日記をのぞいていきます。

投稿: 翌檜 | 2017年12月18日 (月) 11時09分

 お久しぶりです…で良いのかどうか、わかりませんが。~o~;;

>それなりに長くつきあっていくつもりです。

 こちらのブログも長いおつきあいをお願いします。

 

投稿: Mumyo | 2017年12月18日 (月) 15時22分

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