忘れないために
二学期三週目がほぼ終了、四週目に入っています。
以前から感じていたのですが、イマドキの子供たちは本当に日本語の語彙が足りません。例えば「~さす(=~シカケル)」という語法を教えようとして、「ホラ、唐揚げの食べかけを『食べさし』って言わない?」各クラスみんな首を横に振ります。~o~;;
しょうがないから、「昭和じゃ言ってたけど、平成で言わなくなって、令和で消えるね」で済ませるのですが、このセリフ、最近何度も口にしています。「あらぬ疑い」とか「心してかかれ」なんて言いませんか…ねえ。
ちょっとブログを遡ったら、十年前にも同じことボヤいてました。
スマホやPCを活用する教育の果てに、フランスじゃ子供達が鉛筆で字を書けなくなったって話ですが、そこまで行かなくも、語彙の消失は国語教師にとって深刻です。忘れないでくれよー。
一昨日、ラグビーW杯が開幕して、我が家でも昨日今日とTV観戦しました。隣のラグビー少年S君は大興奮。歓声が我が家にも聞こえるそうです。小学校三年生でW杯が日本に来ちゃったんだから、この感動は一生忘れないだろうなー。
日本代表の勝利はあちらこちらで称えられているようですが、このチームが多様性のチームだってこと、排他的なライトサイドのお爺さんたちには忘れないでほしいモンです。日本的戦闘スピリットとしての「大和魂」ではなく、他者と調和する精神としての「大和魂」のチーム。「ワンチーム」が彼らのスローガンだってことを。
忘れないと言えば、もう一つ。某T電旧経営陣に無罪を言い渡したN渕健一裁判長。この人の下した現政権や原子力ムラ寄りの判断を我々国民は忘れてはならないでしょう。いつか国民審査という機会が訪れたら、裁判官の主人は独裁者などではなく、国民であると分からせてあげなればなりません。忘れないために、ここに記しておきます。
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コメント
ラグビーW杯。見れてません;;
うらやましい・・・!
東京電力のお話は
うーーーん。難しいですね・・・
地震の予知は、現代の科学ではできないんですよ。実は。
いつ起こるのかも予測できないし、震度の大きさも予測できません。どちらもざっくりとならできますが、不確実です。
そういうのもあって、裁判官は「津波は予見できなかった」と判断したのかもしれませんが
被害者遺族にとっては、「じゃあ誰が悪いの?」と言いたくなる判決でしたね。。。
難しいです。
投稿: みっくん | 2019年9月24日 (火) 05時11分
そうです、おっしゃるように地震は予知出来ません。しかし、津波の予見は別です。そのような可能性が示されていたにも関わらず、彼らは楽観的に無視したというのが実際です。
たとえば、こういうことです。満員電車に缶コーヒーを持って乗り、電車が急停車して缶コーヒーが飛び散り、周囲の人の服を汚した。「いやー、急停車は予期できなかったので、僕のせいじゃありません」
これは通用しませんよね。
別に、缶コーヒー持って乗るなと言っているのではありません。缶コーヒー持って乗るなら、急停車も含めてあらゆることを悲観的に考えて準備しなければならないということです。そこで楽観的にダイジョブダイジョブと判断したのが旧T電経営陣というわけです。
この判決の一番拙い点は、これから起こるかもしれない第二の福島に対してブレーキを掛けるチャンスを一つ見送ったということ。旧経営陣に対して、アンタ達の勝手な楽観が悲劇を招いたと指摘してやることは、これから先の第二の福島を予防する意味で社会的に必要だったのです。
それが裁判官として分からないわけではないでしょう。今回の判決は、全て判った上で、「でも、ブレーキなんて掛けたら、ムラとA様にウケが悪いですから」
保身です。国民の未来より独裁者の顔色を見たのです。
別に、どっちの判断をしても裁判官としての合理性が損なわれるわけではなかったのでしょう。そういう時に、どちらの判断をするか、人間としての値打ちはそこで決まります。
投稿: mumyo | 2019年9月24日 (火) 18時41分