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2019年10月19日 (土)

恥ずかしい進歩Ⅱ~葛城の神の告げたこと

 二学期第七週が静かに進んで行きます。ホッとしたこともあり、疲れが溜まっていたこともあり、おまけにデスクワークは次々と湧いて出てきてそれに振り回され、授業では、生徒さんには気付かれてないだろうけど小さなミスを連発しています。ヤバいなぁ。

 んで、そんなタイミングの今に限ってデスクワークの方では発見したりするんですよね。三年ぶりの恥ずかしい進歩です。

 2012年某東大の過去問は、『俊頼髄脳』からの出題でした。

 「岩橋の夜の契りも絶えぬべし明くるわびしき葛城の神」

という東宮女蔵人左近の歌を解釈するために葛城の神の伝説が紹介されている文章です。葛城の女神は醜女であったために、役の行者に命ぜられた葛城山に橋を掛ける仕事を人目のある昼間進めることが出来ず、護法によって岩にされるという伝説です。この伝説自体は、枕草子などにも使われ、中古中世においては有名な伝説であったようです。

 某東大はこの和歌について、

「この和歌は通って来た男に対して、どういうことを告げようとしているか」と問うています。

 これに対して、傾向と対策本の類では、

 「醜い顔を見られて嫌われないよう、夜の明けないうちに帰ってほしい」(某青い本)

 「自分の容貌の醜さを明るい所で見て嫌われるのがつらいということ」(某赤い本)

 という二種類の答案が示されています。

 ワタシとしては、前者が良さそうなのは判っていたのですが、後者の趣旨の答案を生徒さんに持って来られた時に、何故これでは拙いのか、また、どの程度の点数が付くのか、明確に説明出来ませんでした。

 でも突然、昨日閃きました。なーんだ、この女は、「アタシを大事にしてね」と言っているのだ。

 平安京の恋人達は、男が女の元による通ってきて夜明け前に帰るというのを一種のマナーにしています。これは、女性の側の羞恥心の問題なのですが、明るい所で男性に容貌を見られるのを女性が嫌うのです。もちろん、二人が馴染んでくると、男は明るい所で女性の容貌を見ることになります。その類のシーンは、『源氏物語』でも「末摘花」や「夕顔」などに、初期の恋人同士がステディになる関係の進展を表すシーンとして印象的に活写されています。

 この女、左近は、葛城の神の伝説を踏まえて、「二人の関係が絶えてしまいそうです。夜が明けてから顔を見られるのがつらい葛城の神のように、私の容貌は醜いので」と歌っているのですが、これに対して、「通って来た男に対して、どういうことを告げようとしているのか」と某東大は聞いています。

 この設問の意味がワタシには今までよく判っていませんでした。でも、今はよく判ります。女が交際している男に対して、「アタシ、本当はブスだから、アンタアタシを嫌いになるわ」なんて正直に言うわけないじゃん。~o~;;

 この女は、容貌に自信のある女なんでしょう。だから、敢えて自分を葛城の神に擬えることが出来るのです。「アタシはブスだから明るい所で見られるのが辛い」と歌うことで、「私たち、しばらくステディにならずに最初のマナーを守った交際をしましょ。もうちょっと恋人同士の関係を楽しみたいわ、あなたも私との関係を大事にしてね」という意を婉曲に告げたんでしょう。

 これは、多分、現代でも一般的な男女関係の心理のアヤです。男女が深い仲になっていく過程で、男は、一旦深い仲になると、旦那さん気取りで図々しくなっちゃうんですが、女性の方はいつまでもフレッシュな恋人同士であることを願うものです。

 個人的なことですが、ワタシも時々、愚妻にそういう態度を求められて戸惑うことがあります。「今さら腕組んで表通りを歩けるかよ、めんどくせー」なんてね。~o~;;;

 某東大が、どこまでその辺りの男女の心理の理解を求めたのか分かりませんが、出題者は、N田秀樹さんと芝居をやっていたこともあるW先生だろうからなあ。

 閑話休題。なんにしても、赤い本路線ではダメですね。多分、50%か60%の得点しか与えられないでしょう。青い本路線がこの場合の模範解答になります。

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コメント

「初期の恋人同士がステディになる関係」!
 私には、この説明非常にわかりやすくて、さすが無名講師さんと感心します。
「ステディ」ということば、久しぶりに耳にしました。いまは、どうでしょうか、「アベック」同様あまり使われなくなったような気がします。
「恋人」というのは、現在ではすでに関係を持った間柄に使われるようです。女性同士の会話を聞いたときに、「A男とB女、最近仲良くなったみたいだけれど、恋人同士になるまではまだまだ時間かかりそう。二人とも慎重だから」というので、「おくてなのだねえ」と生返事をしたところ、「おくてって何」といわれてたまげたことを思い出しました。

投稿: ニラ爺 | 2019年10月20日 (日) 07時24分

 「ステディ」通じないかしらんと思って、愚妻に聞いてみました。

 「そういう言葉を使うオジサン・オバサン達がいたのは知ってマス」

 こりゃ授業じゃ使えませんね。~o~;;;

投稿: mumyo | 2019年10月21日 (月) 05時53分

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