我がことなりと定家言い
二学期第六週がほぼ終了しました。やはりちょっとホッとしています。
某東大対策添削も提出し、新たに襲って来た模試の採点という敵も意外に楽だったりして、順調そのものだなと思っていたら…。
やはり、台風ばかりはどうにもならないようで、明日は特別授業も含めて休講。またまた借金です。
まあ、この辺りで少しノンビリさせてもらうのも良いかも。
というわけで、浮世離れした『源氏物語』の話。今週、青表紙本「若紫」巻が発見されたという驚天動地のニュースが新聞紙面を飾りました。伝定家筆青表紙本は、「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」の四帖のみが現存するとされていて、新たに見つかったのは八十年ぶりだというのですから驚きです。
今まではオリジナル青表紙本の様態を残すとされていた大島本(室町時代)で読むしかなかった「若紫」を、定家オリジナルの形で読むことが出来るなんて…。
先生、お逝きになるのが四年ほど早過ぎました。
しかし、この時代に発見されたのが「若紫」とは、なんとも暗示的です。「若紫」は、谷崎が最初の潤一郎源氏で訳せなかった巻なのですから。
これは、定家卿の警鐘ではないかと思います。再び「若紫」の読めない時代を出来させてはならないと。
「紅旗征戎我がことにあらず」とは、源平の争乱時の定家卿の言葉です。しかし、この時代のこの問題については定家卿も「我がこと」と考えるはず。戦前という反日本文化の時代の再来は、定家卿だって許せないはずです。
再び「若紫」の読めない時代を出来させてはならない。
源氏物語研究者達は、今こそ声を上げねばならないのではないかしらん、どうなの高木さん。ジェンダーなんてノンビリ論じてる場合じゃないよ。
少なくとも、A先生なら、何か積極的に発言なさったのではないかと、不肖の末弟子は思わずにいられません。
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コメント
「再び「若紫」の読めない時代を出来させてはならない。」
力強い指摘、全くもってその通りです。
ここへきて、レガシーを残そうと、改憲に躍起になっている首相やその取り巻きたち、もう文科大臣など見識も資質もあったものではありません。
改憲などではなく、災害大国日本、ほかにやらなければならないことは山積しているはずです。
「どうなの高木さん」とは東大教授のことでしょうか。ぜひとも「定家卿の警鐘」を真摯に受け止め、発信してほしいと願います。
投稿: ニラ爺 | 2019年10月13日 (日) 08時09分
この話の本当に気味が悪い所は、この間青表紙本が発見されたのは、「八十数年前」、つまり、まさに「若紫」が読めなくなる昭和初期だったということなんです。
定家卿くらいになると、そういう前兆を示すことがあっても不思議じゃないような気がします。
投稿: mumyo | 2019年10月13日 (日) 19時15分