追憶と拒絶する心
一昨日の採点会議は、事前の準備が万全だったため大変スムーズに進行。昨日今日と採点業務です。
「業務」と言えば、今朝ほど娘(仮称ケミ)が漢字ドリルで「務」の字を習い、「『業務』って何?」と聞くので、辞書を引いて説明して、「パパは、今日、採点が業務」。
というわけで、「業務」の合間の「逃避」です。~o~
結局、我々の都技選はYさん31位、ワタシは記録的な大惨敗で197位でした。
やはりこれでは反省を求められでます。大惨敗の興奮冷めやらぬYは、日曜には「ディスリスペクト」、イマドキネット言葉で「ディスる」状態だったのですが、昨日はちょっと落ち着いてくれたので、昼飯にYさん大好き「つばき」ラーメンを食べに行きながら、いろいろゆっくり話し合いました。
午前中、ワタシも今までのことを振り返るために調べていました。ワタシが最初に都技選に出場したのは、20年前の西暦2000年、41才の時でした。右も左もわからない中で137位は御立派です。2001年が74位で以下、74、44、56、96、62、56、70、89、103、107、74、88、69、137、84、154、140、145、197と続きます。
このうち、2003年はワタシがクラウンに合格した年で、かつ自分の最高位44位になった年です。2005年の96位は眩暈の病気を発症した年で、そんな中、あの車山を競技会で滑ったんですから正気の沙汰ではありません。2010年に103位に落ちますが、これは結婚した一年目。2011年の107位もケミさんが生まれた翌年ですから、生活の変化が影響したってことでしょう。
2015年の138位は、膝の大ケガをした翌年。2017年はやはり膝が腫れてマトモに練習できなかった年でした。154位に沈んでいます。この年から都技選は二日制になり、それ以来下位に沈みっぱなし。145位の2019年は前年のブーツトラブルを引きずって、気持ち良く練習できない年でした。
今まで、100位以下の年はそれなりに理由があったのですが、今年はどうかというと…。
まず、膝の腫れが解消しています。これは2018年くらいから取り組んでいる朝晩の膝痛体操の効果と思われます。今年に関しては全く膝が腫れず、日常生活でも膝を十分に曲げられます。2017、18の頃は家のシャッターを開けるのにも一苦労だったのですから、それを考えると膝の不安は解消されたと言えるでしょう。
ブーツトラブルの方も、夏のNZの頃に当たらない履き方をマスターして以来、特別な問題にはなっていません。まあ、メンタル的に微妙に影を落としている気はしますが。
でも、今年の大惨敗の理由は…、「老い」なのかなぁ。
この数年、股関節が時々痛みます。全体に筋力の衰えもあり、何となく積極的にかっ飛ばせません。衰えを受け入れつつある自分がいたかもしれません。
思うに、「老い」とは衰えを受け入れる心にある気がします。衰えを受け入れなければ、それは「経験」と呼ばれるはず。都技選ではそういう「経験」豊かな人達が、まだ活躍しています。男子の元代表Yさんはワタシと近い年なのに30位台、女子の大ベテランKさんなどは、今年、優勝しています。
Yとはラーメン屋でこういう人達の話をしました。Yからは、「もう家族一緒のスキーじゃなくても良いんだから、自分で草技術選にでも出てみたら」と勧められました。
うーーん、もう一度、衰えを拒絶して自分のためのトレーニングをしてみようかしら。
でも、今年は、板のチューンを何とかするのが先だったかもね。特に二日目は、応急処置として自分でサイドを削る手はあったよなぁ。~o~;;
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