与えられた僥倖について思う
何故だか分からないうちに、新コロナ騒ぎが一段落を迎えつつあるようです。明日には東京でも「解除」だとか。
東京都のここのところの新たな感染者は昨日までで9日連続して20人を切っていました。全国の新たな感染者も9日連続で二桁に収まっていて、17日からの一週間なら50人以下です。
と書いているうちに今日の東京都の感染者が発表されて14人だとか。昨日一昨日に比べりゃ増えたけど、それでも14人です。
実は、昨日今日の感染者はもっと増えるだろうと予想していました。14日に発表された緊急事態宣言の地方別の解除を受けて、16、17日の週末は全国的にかなーり緩んでいて、東京でも繁華街でかなり人出があったとか。こりゃ、その報いは五、六日後つまりこの土曜日曜あたりに出て来るに違いないと戦々恐々としていたのですが…。
出ませんでしたねえ、少なくとも今のところ。
この日本の新コロナ収束については、海外から「ミステリーだ」という声が上がったようです。日本にいる我々だって、この二週間ほどの収まり方には、狐につままれた思いでいるんですから、欧米の皆さんはなおさらでしょう。
なにしろ、ヨーロッパは収まりつつあるといっても、イギリス、スペイン、イタリアではまだ毎日数百人がお亡くなりになっています。アメリカは、例の銀河系スケールの大〇鹿モンのせいで、いまだに毎日新たな感染者2~3万人、毎日1000人ほどの人がお亡くなりになってます。
最近は、「ブラジルのトランプ」ボルソナーロ大統領というのが「こんなのただの風邪だ!」と嘯いて、ブラジルにアメリカ並みの大惨事をもたらしているらしく、やはりここ数日、毎日感染者2~3万、死亡者約1000人を続けているらしいです。
こういう世界の大惨事のニュースを聞いていると、我々がどんなに僥倖に恵まれてきているか分かります。
この僥倖に対しては、早い時期から、京大の先生が幸運の集団免疫という仮説を発表していて、このブログでも紹介したことがあります。最近もこの学説は注目されているようです。
でも、この僥倖に対して、日本だけじゃなくアジア全体が幸運だったんじゃないか、日本の対策はアジアの中ではむしろ失敗してる方なんじゃないかという説もあるようです。
まあ、我々日本人から見ても、政府の対策が有効だったとはともて思えませんモンね。
でも、どういうものか分からなくても、我々が僥倖に恵まれたことは間違いありません。
思うに、我々にとって僥倖だったのはもしかすると、我々の独裁者Aが「桜」だの「夫人」だの「前法相」だのという雑事で、アメリカやブラジルの大統領ほど「指導力」を発揮できなかったことにあるかもしれません。
「指導力」を発揮できず、役立たずのマスク配ったり自宅で愛犬と戯れたりするしかなくて国民の嘲笑を買っていたがために、対策においては学者さんの意見が通りやすく、また国民一人一人には「怖くて国に任せてらんねー」という意識が芽生えたのではないかと。
もしや、我々にとっては、マヌケで無能な男を独裁者として戴いていたことが幸運として働いたのではないかと。
全く、何が幸運をもたらすか分からない人の世です。この幸運を大切にして、第二波を乗り切らなくてはなりません。
引き続き、「怖くて国に任せてらんねー」という意識を持ち続けないといけないねというのが今日の結論でした。ちゃんちゃん。~o~;;
| 固定リンク
« 寿司波米婆 | トップページ | 「いそぎ」の人々 »
コメント