再び僥倖を思う
先週今週と娘(仮称ケミ)は、週二回登校日で学校に行っています。
登校日とは言え、午前中に各クラスが出席番号で奇数か偶数かによって分散登校し、ほんの少し授業らしきものをして帰宅。お友達同士話すこともほとんど無いそうです。
まあ、子供の側も学校の側も様子を見ながら肩慣らしということでしょうか。
ワタシの方も授業開始の詳細が書面とメールで送られてきました。それらを整理して自分のスケジュールを書き出してみたのですが、しばらくは本当に「様子を見ながら肩慣らし」。
日本中のいたる所で、そんな感じなんでしょうか。
そんな中東京では、ひと頃は収束しかけていたと思われていた新たな感染者数が、ここ数日、確実に二桁キープ。小金井の病院の閉鎖病棟のクラスターという原因が分かりやすい時はまだ良かったのですが、このところの数日は…。
改めて「夜の街」が犯人扱いされているようです。今さらって感じじゃないでしょうかね。そんなことは最初から判っていたわけで、早くからそこに力を入れて経済的援助と自粛要請を行ってりゃ良かったんじゃないんですか。
昨日、日本人の民度とやらを、わざわざ国会で、自分の党の議員に質問させて自分達の成功のように誇るマヌケがいたらしいですが、何をやっとるんだ、この大〇鹿モンは。そんなお手盛りをするほどヒマなのかこいつわっって感じですね。
結局のところ、「民度」などというものを誇るのは、自分たち現政権側がどれほど無能でなす術がなかったかということの裏返しではないか。それでさえ、この人も認めるように「憲法上(強権的なことは)何も出来なかった」わけで。その憲法を改悪しようとしていた現政権側の人間が何を誇ろうというのだ。
おまけに日本が英米やブラジルと比較してウィルスとの戦いを有利に進められたのは、貧富の差の少ない日本社会という土壌があったからに他なかろう。その貧富の差を拡大させようとしていた現政権の側の人間が、「民度」なんて誇って良いわけないだろに。
つまり、この大臣さんは、自分たちが破壊しようとしたもの、憲法と貧富の差の少なさという日本の宝に日本社会の自由と安全が守られていたということに全く気付かず、「民度」などという怪しげなものを誇って他国民を貶めて喜んでいるという無礼、不作法、マヌケ、無能、恥さらしな御仁だったわけです。
「今までの我々が間違っていました。国民の皆様のおかげで、我々の無能な政府は救われました。国民の皆様にお詫びとお礼を申し上げます」
まあ、この人にこんなことが言えるわけないね。
こんな人が大臣なんだから、我々の現在の自由と安全は、ひとえに僥倖によって守られたということでしょう。僥倖を大切にして政府なんかに頼らず、来たるべき第二波を乗り切らないとね、というのが今日も結論でした。~o~
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