いとゆゆしういみじき秋
爽やかな秋の日です。小金井の空気も爽快。空が高いです。
娘(仮称ケミ)は、今週末が運動会の予定なのですが、もう一つ盛り上がっていないのは、運動会といいながら、かけっこ系がすべて中止になり、ソーラン節を踊るだけなのだとか。「かけっこはツバが飛ばないのに」とはケミさんの苦情。ごもっともですが、今年は仕方ないか。
昨日一昨日は、一週間のスケジュールで一番ハードな横浜-吉祥寺-仙台の日でした。
授業をしていると感じないのですが、休憩時間や移動の時間に、疲労の蓄積を感じつつあります。電車に乗って座るや意識を失う日々です。
差し迫ったデスクワークは某東大対策添削だけなのですが、進めておかないとヤバいからなあ。
今日のタイトルは、最近、現代語訳していて気になったこと。『源氏物語』紅葉賀巻、藤壺との不義の子と対面した源氏が、この皇子の容貌につしいて感慨を述べる箇所です。
「うち笑み給へるが、いとゆゆしううつくしきに、我が身ながらこれに似たらむは、いみじういたはしうおぼえ給ふぞあながちなるや」
少しお笑いになる皇子の非常に可愛いらしい容貌に、この子に似ているとしたら、我が身ながら非常に身を大切にしたい美しさだと感じる源氏を、語り手が身勝手だと批評しているのですが、程度のはなはだしさを表す語が「いと・ゆゆし・いみじ」と三種用いられています。
これ、バラバラに出て来ると、全て”たいそう”で済んでしまうのですが、まとめて出て来られると、訳し分けたくなります。
「ゆゆし」はもとも不吉さを表す言葉なので、”恐ろしいほど・不吉なほど”などとすればよいにしても、「いと」と「いみじ」はどう処理するのか。
どちらも「ゆゆし」「いたはし」という形容詞の程度のは甚だしさを言っているのですが、うーーん。どうしたものか。
紫式部は使い分けていたんでしょうからねえ。~o~;;
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