心の強弱ふたたび
昨日から、二学期第二週が始まりました。
ライブ配信している関係で、教室の中央に三脚とカメラが備え付けてあったりするのですが、慣れて来ました。そこに向けて欠席者にメッセージを送ったり、それを無視して普通に授業したり出来るようになりました。
最初は、「こんなの長く続けられないよ」と思うくらい違和感があったんですけどね。
ちょっと気になるのは、赤本NGのプリントを取りに来る子の少なさです。まだ、受験校を絞り切れないということがあるのかしらん。第一志望はともかく、第二、第三…滑り止めなんかの決定は遅れるのかもしれません。
先週の毒蛇退陣とともに、新聞で前政権(というか、まだ現政権)の検証が行われています。校舎でちらと御用新聞の経済政策検証を見たけど、「政権側は悪くなかったが、企業側が反応してくれなかった」という論調でした。ナルホド、お立場推察します。
数日前のA紙朝刊で「改憲論」についての経緯を見ましたが、「戦後憲法はナショナリズムが20世紀前半に重い葛藤を経た産物であり、A氏のナショナリズムのずっと先を行く」というのが理由で改憲の手がかりをつかめなかったのだという論には、ちと違和感を感じました。
この記事の中でも触れられているけど、独裁者Aの改憲論の出発点は常に「憲法が占領軍の手で作られた」ことです。自主憲法と唱える人達はだいたい同様でしょう。しかし、それは、戦前戦中に政権側にいた者の歯ぎしりに過ぎません。
独裁者Aは祖父さんの昭和の妖怪から無念さを刷り込まれているんだろうけど、妖怪の怨念が後ろ向きの物であることは明らかです。「戦後レジームからの脱却」と言葉を換えれば前向きに見えるというだけのこと。
「戦後レジームからの脱却」という独裁者Aの言い分に後ろ向きの怨念を感じるからこそ、改憲論は盛り上がらなかったのでしょう。一般国民の大多数は、生まれた時から現行憲法がもたらしてくれた平和と繁栄を空気のように感じて生きています。後ろ向きの怨念で我々から空気を取り上げるなよ、というのが我々国民の正直なところでしょう。
ところで、京大の先生またまたやってくれたようです。四月にうかがった仮説の進化版。11月には終息とはありがたい御託宣です。是非是非、そのセンでお願いします。スキーの予定もありますから。~o~
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