翁か媼か~『源氏物語』に関する些細なこと9の二
文法的にも語法的にも自然、と昨日書きましたが、内容的にも前述の読み方の方が優っていると思います。
「修理大夫」という男はこの場面にしか出て来ない端役なのですが、ほんのわずかな部分の解釈を変えるだけで彼の存在は物語世界の中で血の通った人となり、物語世界の奥行が全く違ってきます。
風流ぶった色好みの男女が老いを迎えて、媼は衰えることなく若い男を求めて婀娜めくが、翁の方は自分を捨てた媼を忘れられず、普段は柔和な年配者なのに媼のこととなると乱心して、何度も逢瀬の場に乱入するが、何もできない男と見透かされて媼には相手にされていない。
そういう生々しい人間模様が奥行きとして見えてきます。
ただし、この生々しいところを決して具体的に写し取るのではなく、茶番の描写のほんの数行で透かし見せるというところが筆力というものでしょう。
そうして、この部分を前述のように解釈すると、次の部分の読みも違ってきます。
頭中将が源氏を脅すために太刀を引き抜き、これに慌てた典侍が「あが君、あが君」と頭中将に取りすがる場面直後の語り手の評言です。
「五十七、八の人の、うちとけてもの思ひ騒げるけはひ、えならぬ二十の若人たちの御中にて物怖ぢしたるいとつきなし」
ここを小学館新全集は次のように訳します。
「五十七、八の老女が生地むき出しにあわてふためき大声を立てている様子、それも二十歳のえもいわれぬ若い貴公子たちの間でおどおどしているのは、まったくおさまりがつかない格好である」
現代の諸注釈はこの部分もほぼ大同小異です。しかし、「うちとけて」を”生地むきだしに”とするのは、やはり少し無理がありそうです。「うちとく」は、古語辞典では、「➀解ける ②くつろぐ・心が落ち着く ③気を許す・油断する」(『ベネッセ古語辞典』)などとされている語で、諸注釈のように「生地むき出し」(新旧全集)「恥も外聞も忘れて」(新潮集成)、「気取る余裕もなく」(岩波文庫)という解釈はかなり語義を外します。
ここは、「うちとけて」が前述の部分の「ならひて…つと控へたり」を指す物と考え、”油断して”と取っておけばよいのではないでしょうか。「物思ひ騒ぎ」以下は、時系列に沿った典侍の慌てぶりをまとめたと考えると、この部分の現代語訳は次のようになります。
「五十七、八才の人が、油断していた末に困り果てて騒いだ様子や、言いようもないほど美しい二十才ほどの若人お二人の真ん中で怯えている様子はたいそう似つかわしくありません」
これで上手くいっていそうな気がするんですが…。
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