「些細なこと」シリーズも二桁に乗ります。
今まで、『源氏物語』という作品は古典作品の中では、長い研究史と分厚い研究者の層に支えられた一番研究の進んだ作品と思っていたのですが、こうして重箱の隅を突っつき始めると、各巻に少なくとも一つは、今まで解明されていなかった箇所、今まで示されてこなかった新たな読みが出て来ます。
今回も、何故今までコレが放置されていたのか不思議に思われる箇所を見つけてしまいました。
「花宴」巻、南殿の花の宴の後、弘徽殿で「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさんでやって来た右大臣家六の君(朧月夜の君)に出会い、その袖を捕らえた後の源氏の和歌です。
「深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ」
小学館『新編古典文学全集』は、この歌を、「月の朧」と「おぼろけならぬ契り」の掛詞の歌と見て、
「あなたが夜更けの風情に感じ入られるのも、入り方の朧月を愛されてでしょうか、その月に誘われてやってまいりましたこのわたしにめぐり会うのも、ひとかたなら縁ゆえと思います」
と解釈しています。この解釈に従うと、六の君が「朧月夜に…」と口ずさんだのは、実際に入り方の朧月を見てのことのように読めます。そして、この「入る月」を実際の景色と見るのは、現代の注釈書では一般的な取り方です。島津久基『源氏物語講話』に、「『入る月の』は眼前の景を採っての『朧』の序詞」とあるのを始めとして、玉上琢彌『源氏物語評釈』、新潮社『日本古典集成』、岩波『新編日本古典文学大系』などに同趣旨の注を見ることができます。
しかし、この取り方はどうも釈然としません。というのは、この南殿の花の宴が開かれたのは陰暦二月二十日過ぎのことだからです。物語には、「二十日余り」とあるので、二月二十一日か二十二日頃なんでしょう。明らかにこの日の月は有明の月です。
試みに、今年2021年の陰暦二月二十一日(4/2)、二十二日(4/3)の京都での月の南中、月の入りと日の出の時刻を調べて見ると、
2/21 月の南中3:40 月の入り8:44 翌日の日の出5:41
2/22 月の南中4:39 月の入り9:34 翌日の日の出5:40
となります。
まさか、南中している頃の月を「入る月」とは言いません。「入る月」と表現するからには、南中と月の入りの間くらいに月が進んでいなければならず、それは、今年の2/21なら6時頃以降、2/22なら7時頃以降です。とっくに太陽が昇って明るくなりきってます。
一方 源氏はこの歌の後、六の君と情事におよび、それがすっかり終わってから「ほどなく明けゆけば」ということになります。
いったい、何時、源氏は六の君と情事に及んだというのでしょう。
そもそも、この歌の直前、花の宴が終わった直後の描写に、「月いと明うさし出でてをかしき」とあります。この描写に従うかぎり、花の宴終了時には、まだ月は東から出て来て南中していないと思われます。
「入る月」は、「眼前の景」などではないはずです。では、何が「入る」なのでしょうか。
古注釈の世界では、九条稙通『猛津抄』に、こんな注があります。
「まへに女の『照りもせず』の歌を吟ずるは月の哀れを知る也。上の句はその心也」
この注の前半は諸注釈ともに継承していると思われるのですが、注意したいのは後半です。「上の句」と言っています。「初二句」ではありません。つまり、九条稙通は、「入る月の」までを「月の哀れを知る」女の心だと言っているのです。
これをそのまま受け入れれば、「入る月」は「女」の比喩ということになるでしょう。「深い夜の情趣をわきまえながら、朧月がやがて山の端に入るように、深い夜の月の情趣を知りながら、あなたは、寝所に入るのですね」ということなのではないでしょうか。
その筋で、一首全体を解釈するとこうなります。掛詞は諸注釈と同様に考えて、
「深い夜の情趣を知りながらも西に沈んでいく月がおぼろに霞んでいるのではありませんが、深い夜の月の情趣を知りながらもあなたが寝所へ入って来て私に逢ったのは、私達二人が並々ならぬ前世の宿縁にあるからだと思いました」
この解釈をした場合の問題点は、六の君は何処から何処へ入って来たのかということでしょう。源氏は弘徽殿の西廂の細殿またはその内部の枢戸の周辺にいたものと思われます。女は「朧月夜に」の歌を口ずさんで来たのですから、それまで朧月を賞美していたと考えたいところです。とすると、女は弘徽殿の南廂にでもいたのかもしれません。
南廂で月を愛でていた女が寝所にしている塗籠へ向かおうとして枢戸にいた源氏に袖を捕らえられるというのは、あり得ないことではなさそうです。
しかし、この女は右大臣秘蔵の六の君で、東宮入内が決まっていたのですが、その女の周辺に女房が全くいないというのは、ちょっとどうなんでしょう。
まあ、女房がその辺にいたのではこの話は成り立ちませんからねえ。右大臣家、それだけ迂闊ってことで良いのかしらん。~o~
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