幻想の超克~ある日の新聞記事から
昨日の朝刊に夏の東京五輪中止を求める社説が載って、ちょっとした話題になったそうです。しかし、「賭けは許されない」とは、拍子抜けするほど当たり前の話です。
その社説の隣の紙面に、ICT教育についての記事がありました。それを読んで思い出したことがあります。
昔、多分五十年以上昔、ディズニーか何かのお気楽映画で、コンピューターが競馬の予想をして大儲けする話を見たことがあります。その時、子供ながらにちょっと違和感を感じたものでした。
確かに、当時からコンピューターだったら何でも可能になるという幻想がありました。上記の映画はその幻想に則った筋立てなのです。コンピューターを利用すれば何だって出来るんじゃないかと大多数の一般人が考えるから成り立つ筋立てです。
しかし、いくらコンピューターだって大儲けするほど競馬みたいなものを当てられるのかしらん。
子供だったワタシは薄々そんなことを感じていたんだと思います。そして、その予感はスーパーコンピューターやAIが発達した現在に至って妥当なものだったと実証されました。
某文部科学省さんの「GIGAスクール構想」とやらは、どうも、上記の映画の時代から脈々と「コンピューター幻想」が続いていることの証左のようです。
コンピューターを利用しさえすれば、「学びの個別最適化」をすることも「創造性を育む」ことも、何だって可能なんだー。
とは、随分と単純なんですね、文部官僚って。~o~
そんなことが可能になるエビデンスは無いと新聞記事は言っています。そりゃそうだろ。
ICT授業をやらされる身となって、切実に感じます。ICTはただのツールに過ぎないのだと。
確かに、子供たちがお手軽お気軽に学習を進められます。多少、ゲーム感覚もあって取り組みやすいのは事実です。しかし、それが学力の獲得につながるかどうかは、結局のところ、教材の良しあしによるし授業を運営する教師の努力によります。要は人間の力です。
ICT授業を企画する側も教材作成の側も授業運営する側も、全ての授業に関わる人間がコンピューター幻想を超克してこそ、有効なICT教育が成立するのです。ICTはただのツールであり、その効果は利用の仕方によって決まるのだと、全員が地に足をつけて考えなければならないということです。
コンピューター幻想に捉われたままのICT運営は、結局、子供達を「実験台」にすることになります。賭けが許されないのは教育も同じなんですよね。
というわけで、今、今週のICT授業の準備をしています。コレ、マジで大変なんだよー。~o~;;;
| 固定リンク
コメント