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2021年6月19日 (土)

「読める」と「夢になる」の相関性

 最近、この季節の重荷、某東大対策添削をこなしています。

 某東大を受けようと(少なくとも今は)思っている人達なのですから、ウチの予備校の中でも学力の高い人たちのはずなのですが、かなり出来不出来が分かれます。単語文法の知識量の違いによるところもあるのですが、どうもそれだけではなく、勘の良い人と悪い人で得点率が大きく分かれるようです。

 昨日つけていた理系クラスの冊子にも、知識量はないクセに妙に話の筋が判っていてる答案が混ざっていました。所謂「読めている」子です。

 こういう「読める」子の指導は簡単です。単語文法の知識を増やして減点要素を減らしてやれば、後は本人が勝手に得点します。この子はこれから伸びるな、きっと。

 クラス担任に話を聞いたら、他の教科も有望な子なのだとか。

 こういう、「読める」と「読めない」の差は、どこから来るのかというと、もちろん、今までの読書量などもあるのでしょうが、モノガタリを獲得しているかどうか、なんてことも関わっていると思われます。

 モノガタリってのは、こういうことなんですが…。

 もう十五年も前の記事なんだけど、我ながらなかなか良いこと言ってますね。~o~

 そういう点でいうと、うちの娘(仮称ケミ)なんかは安心かもしれません。なにしろ、家族との日常会話に「芝浜」のオチが出て来る小学生だからね。

 落語を聞く事は、間違いなくモノガタリの継承獲得につながるでしよう。志ん朝さんも大須のマクラで「子供には落語を聞かせなきゃいけない」なんて力説してるけど、ホントその通り。

 某文部科学省さんも、道徳の教科化なんて大馬〇なことは止めて、落語の教科化でもすれば良いのに。~o~

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コメント

 落語の教科化、大賛成です。私は、落語を知らない同僚とは話をしません。こういう人と話をしてもつまらないからです。
 某東大を出た落語好きの官房長官が「寄席」を「よせき」と読んだのは、それこそブラックジョークではないかと思いましたが、それはさておき、道徳やら小学生の英語やら、そんなものを勉強させるより、「火焰太鼓」を志ん生と志ん朝で聞かせて、どちらが好きかなどという授業をした方がよっぽど情操教育にいいと思います。

投稿: ニラ爺 | 2021年6月19日 (土) 16時04分

 >落語の教科化、大賛成です。

 賛成、ありがとうごさいます。

 こういうやり方は、多分、志ん朝さんが草葉の影で顔をしかめると思いますが、
「古典芸能を鑑賞する」という建前で良いから、子供たちに落語を聞かせる機会を作ればよいのになあと思います。

投稿: mumyo | 2021年6月19日 (土) 19時52分

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