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2021年8月31日 (火)

秋開く朝

 昨日、二学期が始まりました。それも、一番時間割のキビシい月曜日から。

 朝一番から横浜です。一昨日夜まではちょっと憂鬱だったのですが、当日になってみると、何だか普通に起きて普通に出発できました。

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 出発間際に撮った庭の朝顔。そういえば、朝顔は秋の季語だっけ。

 校舎についても何だか普通です。恒例単語と赤本の話をスムーズに済ませて順調に授業に入れました。まだ八月なんですが、仕事上は秋の始まりです。

 娘(仮称ケミ)の方も、順調に二学期が始まった模様。小学校はまだなのですが、塾の二学期は昨日からでした。

 日曜に志望校判定模試などというモノモノしいものを受けたのですが、やはり国語は安定して出来るし、算数はイマイチ。昨年から受けた何回かの模試はほぼ全て同じパターンです。

 国語の先生としては、何だか微妙な気持ちです。算数は努力して努力して、すこーし上向いてきたかなというところなのに、国語は特別に努力しているわけじゃなくても安定して出来ます。多分、今回も国語の偏差値は60を楽に超えるでしょう。

 結局、国語が出来る子ってそういうもの。小学校までの読書量という武器は絶対的なんだよなぁー。

 でも、それを言っちゃったら、国語の先生は敗北ですからね。~o~;;;

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2021年8月27日 (金)

Yの休日

 このところ、ワタシと娘(仮称ケミ)が自宅で三食食べている関係で、主婦としてのYクンは忙しい日々を送っています。

 もちろん、そのことを常にボヤいています。~o~;;

 しかも、このコロナ禍でなければ、この日程は家族で丸沼に出かけているはず。それも当然ボヤキの種です。

 Yの機嫌が悪くなるのは、我が家的には危機です。その前にガス抜きをしなければ。

 ということで、昨夜は夕食を食べに出ました。もちろん、ノンアルコール。

 以前から、ランチには何度も入って、夕食に行ってみたかった小金井の中華の名店「福源居」です。

 こちらのお店、所謂町中華というには本格派で、本格的中華というには庶民的値段。貧乏性Yが行きたがる絶妙なポジションの中華です。

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 海鮮パリパリ焼きそばと点心のセット↑は、このボリューム感で980円。しかも野菜も海老も上手く火が通っていて美味しいです。

 これに、Yクンが一度ランチで食べて以来恋い焦がれていたジャガイモと豚肉の炒め、ライス、冷やし中華大盛を頼んで三人で十分に食べて2760円とは、御立派なコスパ。心置きなくビール飲める環境になったら、是非、飲みに来なきゃねえ。

 帰宅して、三人で車椅子バスケのコロンビア戦を観戦。同じ車椅子球技でも、前日見た車椅子ラグビーとは違って、かなりエキサイティングで楽しめる内容でした。車椅子ラグビーの方は、もうちょっとルールと戦術が整備されるともっと面白くなりそうなんですけどね。

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2021年8月25日 (水)

晩く咲く夏

 このところ、我が家の朝顔が咲きます。

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 昨年、軽井沢のペンションで種をもらってきて、Yクンが期待して六月に植えたものだったのですが、上に伸びるだけで全く蕾をつけず、イヤハヤ大外れ、と思っていたのですが…。

 何日か前から一日一輪ペースでキレイに咲きます。今日は二輪並んで見事な咲きっぷり。晩くなったけど、ようやく夏の花が咲きました。

 我が家の娘(仮称ケミ)も、ここのところ夏全開です。先週から隣のお姉さんと一緒にプールに行くことをおぼえ、25mを一回泳げたら、もう、次からは安定して25mを何度も泳ぎ切り、クイックターンまで覚えたとか。次は50mかよ。

 一方、お父さんはデスクワークとABEMA TVでの将棋王位戦観戦で一日を過ごしました。イヤハヤ、藤井君強い。

 勝負自体は、挑戦者豊島竜王のポカと言って良い失着で決まったのですが、優劣がついてからの勝ちっぷりが凄まじいです。AIの示す最善手を外して、遅いけれど絶対負けませんよという手を連発。人間的には、最速の最善手連続よりも強さを感じさせる勝ちっぷり。アレをやられるとやられた方はダメージ残りそうだなー。

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2021年8月23日 (月)

あいなき御達の雑感

 このところ、二学期開講のためのプリント作成の日々です。

 毎年、二学期開講時に単語リストとテキストの索引を配布しています。この索引を作成しているといつも思うのですが、単語リスト一番の「あいなし」ってウチのテキストには出て来ないよなぁー。

 「あいなし」は、アイウエオ順に単語を並べると重要単語の一番になってしまうので、その関係で大抵の単語集の一番最初に載っています。アイウエオ順の関係なさそうなゴロ合わせの本にさえ一番に載っています。にもかかわらず、ウチの通常授業のテキストにはもう何年も載っていません。

 これは、もちろん、ウチのテキストに欠陥があるという話ではありません。ウチのテキストには入試に出題されそうな文章、あるいはすでに出題された文章ばかり採用されているので。「あいなし」は入試においてそれほど頻出ってわけじゃないんじゃないかしらん。

 主要な大学の入試問題を毎年チェックしているワタシの感覚から言っても、「あいなし」は、そんなに入試頻出単語と思えないのですが、でも、ほとんどの単語集では重要単語一番です。

 新たな単語集を編集しようとする時に、既存の単語集をたたき台にすると、アイウエオ順一番のこの単語は切りにくい…ってことなんですかねえ、どうも。~o~;;;

 では、なぜ最初の単語集に載っちゃったのかというと、『源氏』『枕』などの有名作品で印象的に残る場面に出て来るから…かもしれません。『源氏物語』桐壺巻冒頭近くの、

「上達部、上人などもあいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり(上達部や殿上人なども皆むやみに目を背けて、まったく見ていられないほどのご寵愛です)」

 なんかがあるからでしょうかねえ。

 こういう重要単語とされている語とは逆に、全く単語集等で扱われない語が出題されてしまう場合があります。今年の某東大の問一のアなんががソレ。「御達(ごたち)」なんて、どの単語集にだって載ってません。

 あまりに重要単語扱いされていないので、某東大受験指導専門塾T緑会の過去問本では、「東大の教員はモノの判った人達だから、『御達』は採点対象外か」などと言いだす始末。

 ちなみに、この部分の解説文原文が、「採点の対象外とされなかったのではないか」とあるのを見た時には、一分間凍りました。あんまり国語が得意じゃない御仁が書いたんでしょうかね。~o~;;;;

 閑話休題。採点対象外と言われても仕方ない出題でしょう。「御達(=女房・御婦人方)」は、珍しい単語です。

 しかし、これを出題した人の身になると、なんとなく理解できなくはありません。「御達」は、一般的な古典作品ではレアな単語ですが、物語文学では、そこそこ出て来ます。『源氏物語』では、「悪御達」「古御達」「ねび御達」などを合わせると二十回ほど出て来ます。特に、「竹河」巻冒頭の、

 「これは、源氏の御族にも離れ給へりし後の大殿わたりにありける悪御達の落ちとまり残れるが問はず語りしおきたる…(これから語るのは、源氏の御一族からは縁が遠くていらっしゃった後の太政大臣のお邸あたりに仕えていた口さがない女房達の、まだ生き残っていた者が問わず語りに語っていたもの)」

 という一節が源氏物語の文体論でよく扱われる研究者に馴染みのある印象的な用例なので、ねえ。

 出題者は、『源氏』の研究で有名なT木さんでしょう。

 「御達」くらい聞いても良いでしょ。

って思ったとしても、まあ理解できるかな。

 というわけで、某東大受験予定の諸君、「御達」は、採点対象だったはずです。文脈から読み取ってください。~o~

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2021年8月22日 (日)

初めての予備校屋的晩夏

 ここのところ、取り立てて仕事もなく、二学期の準備のデスクワークで一日が過ぎていきます。

 こんなにすることのない晩夏もめったにありません。というか、予備校屋になって三十数年で初めてかも。

 娘が生まれるまでの14年間、夏期講習終了の翌日はそのままイコールニュージーランドへの出発の日でした。娘(仮称ケミ)が生まれてからは丸沼に避暑のための家族旅行に行ったり、宿願のNZ旅行なんかもあって、昨年は一学期開講が遅れた関係で夏期講習終了≒二学期開講。

 今年は、夏期講習が終了して二学期開講まで十日もあるのにどこへも出かけられません。んで、仕事のないのんびりした晩夏というわけです。

 でも、これって実は、普通の予備校屋には当たり前なんですよね。初めての予備校的晩夏です。

 昨日は通塾以外は暇にしているケミさんが料理を作ってくれて

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 青茄子のチーズ焼き↑。傍で見ていたら、結構スリリングでした。~o~;;

 晩酌は、夏期講習の池袋で購入してきた高知県亀泉酒造さんの「亀泉 純米吟醸 CEL24」と岐阜県中島醸造さんの「小左衛門 純米吟醸 中汲み」でした。

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 亀泉は甘い含み香のフルーティでキレイな吟醸、小左衛門は爽やかな酸味の好バランスな吟醸酒で、どちらもこのクラスでは突出した出来と言って良いんじゃないかしら。久々にブログに名前を挙げたくなる銘酒でした。

 小左衛門、昔は結構よく飲んでいて、今回久しぶりだったけど、こんなに美味かったんですねえ。

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2021年8月20日 (金)

対岸の感触

 一昨日、採点の仕事を終わらせ提出しました。これで、夏の仕事はとりあえず終了。

 ワタシが仕事の海を泳ぎ切ったら、娘(仮称ケミ)も。

 まず、読書感想文を書き終えました。今年は、『蝶の羽ばたき、その先へ』というジュブナイルでした。

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 今までは、作品選びで個性を発揮していたのですが、今年のは、いかにも感想文向け。「『いかにも』な感想文になっちゃう」と愚妻Yは心配していましたが、良いんじゃないの、それで。

 奇しくもその完成した日、隣のお姉ちゃんと一緒に出掛けた市民プールで25mをクロールで初めて泳ぎ切れたそうです。我が家の夕餉は感想文よりはそちらで盛り上がりました。

 昨日は、Yクンの二回目のワクチン接種の日でした。朝、接種した後、昼過ぎから微熱を出し夜には8度7分まで上がりましたが、今朝は落ち着いている模様。

 これでようやく我が家は、夫婦ともどもコロナ禍の向こう岸へたどり着けたかもしれません。

 まだまだ感染の危険はありますが、重症化の可能性が低ければ、安全ベルトを装着した運転みたいなもんですからね。

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2021年8月18日 (水)

夏と善意の行方

 昨日夏期講習が終了しました。やたーーーっ!~o~

 とは言え、採点残ってます。ぐげっ。

 先週あたりから雨模様が続き、涼しくなっていましたが、今日は久しぶりに青空が見えます。でも気温はそれほど上がらず。夏って、本当にもう終わったんでしょうか。

 夏はどこへ行ったやらの昨今、憂鬱なニュースを耳にしました。アフガニスタンでタリバン首都制圧だとか。

 遠いアフガニスタンのことなので、世間的にはそんなに気にしてないんだろうけど、我が家的には非常に憂鬱なニュースです。

 我が家の娘(仮称ケミ)は、昨年夏、アフガン内戦を題材にした『ソルハ』で読書感想文を書いていますが、実は、一年生の時に長倉洋海さんという写真家の『アフガニスタンの少女マジャミン』という本を読んで関心を持ち、それ以来、長倉さんが主宰するアフガンの学校を支援するNGOに募金をしてきました。『ソルハ』はそのNGOの人から勧められた本です。

 この募金は我々夫婦が勧めたのではありません。小学生の娘の完全な自発的行為です。もちろん、我々もそれを手伝いはしますし、多少お金を足してあげたりもしますが、一切口は出していません。

 ケミさんは、いつもこの募金を楽しみに行っていました。お手伝いをしてもらったお駄賃やらワクシングサービスで稼いだお金やらの小銭を溜めて、「マジャミン達が勉強できるように」と送金していました。

 考えてみると、我が子ながらずいぶんと感心な小学生ですよねえ。いるんですねえ、こういう子が。~o~;;;

 でも、その善意が、この数日の出来事で吹き飛んでいまうかもしれないのです。

 もちろん、アフガニスタンには多くの日本人の善意が集められてきました。上記の長倉さんのところだけでなく、様々な方が関わっていると思います。特に、故中村医師の業績などは、どれほどアフガンの人達を援けたことか。

 でも、親としては、自分の娘のことを第一に考えてしまいます。毎日新聞を読んでいるので事態は知っているのでしょうが、あまり詳しい話は娘の前でしていません。

 個々の人間の善意が簡単に吹き飛ばされてしまうというのは、まだ知らせたくないなあ。

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2021年8月13日 (金)

この夏最後の

 今日は、雨時々曇り。涼しくなって、夏も終わりかと。

 仕事の方も昨日、この夏最後の高校生講座が終わりました。今日は一日、講習はお休みです。

 とは言え、メチャメチャ忙しく、目が回りそうです。夏の最後のヤマです。模試の採点で…。

 ウチの予備校に来る生徒さんの中でも最もお出来になるはずの生徒さん達が受けている模試…のはずなんですけどねえ…。

 まあ、みんな頑張って書いてますヨ。~o~;;;;

 ようやく先ほど第一弾終了。提出してきました。でも、まだ第二弾が300枚ほど、ウゲ。

 おまけに二学期開講のための資料を今日明日中に作らねばならず、デスクワークはここがこの夏の正念場です。

 ブログ書いてる場合じゃないんですが、こういう時に限って、逃避癖が…ね。~o~

 明日からの講習は、昨夏「プラセボ」なんて呼んでいた某共通テスト対策講座三連発。それでこの夏の講習は最後です。今年は、プラセボより少しはマシかしらん。

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2021年8月 9日 (月)

夏のぼうけん、それぞれの終わり

 昨日一昨日と夏期講習はお休みでした。

 お父さんは久々にノンビリだったのですが、娘(仮称ケミ)は、以前から企画されていた○○村子供会のイベントでした。

 土曜は、まずボウリング大会。ケミさんは今までボウリングというものをしたことがなく、全くの初体験でした。最初はおっかなびっくりの両手投げでした↓。

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 ところが、お隣のお姉ちゃんAちゃんは、かなりの経験者で、フォームが安定しています。「Aちゃんのマネをしてごらん」とアドバイスしたら、たちまちけっこう様になってきて、2ゲームやった最後には初ストライクを出してご満悦でした。2ゲームのアベレージ66は、まあ、こんなものかしらん。

 昨日の夜は、村の子供達を母親軍団が引率して、小金井公園で花火大会だったそうです。

 「そうです」というのは、ワタシはその頃、模試の採点会議で御茶ノ水だったわけで。

 遠出しての花火は初めてでした。子供達の夏のぼうけんは大満足のうちに終了。

 子供たちの冒険が終わったら、オリンピックも終わってました。

 卓球の水谷君が「自分の冒険はここまで」と引退を表明したそうですが、後輩たちを引っ張って2つメダルを取っての引退は立派の一言です。「ぼよよ~んず」の頃から13年。お疲れ様でした。

 東京都と政権側にとっても冒険だったんだろうけど、市民の命を的にした冒険は、あんまり感心できないよなぁ。パラリンピックが始まるまでに医療体制の逼迫をどうにかできるんだろうか。

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2021年8月 7日 (土)

粗忽者としての惟光Ⅱ~『源氏物語』に関する些細なこと12

 昨日の続きです。

 近現代の諸注釈は、何となく座りの悪い訳だがこんなものという態度のように思われます。こんな時に頼りになる谷崎も、「よもや御前でお使いになりはしますまいが」と大同小異。

 ワタシとしても、この部分に関して正解と確信できるものを思いつけずにいます。

 しかし、一つ正解になりえるかもしれないアイデアがあります。目の付け所は、最初の惟光の会話文にあります。

 惟光は、最初の言葉を「あなかしこ、あだにな」と言いさしています。もし、『新編古典文学全集』の訳のように「あだやおろそかにしてはなりませんぞ」と丁寧に言いたいのなら、「あなかしこ、あだにな」の後に「し給ひそ」あるいは、「もてなし給ひそ」くらいの語がなければなりません。

 「あだに」は言忌みの対象となるNGワードです。これはもちろん、言霊の発動を危惧してのことですから、話者がどんな意味で使おうとダメです。また、当人達の前で言わなければ良いというものでもありません。したがって、”いいかげんに”のつもりで「あだに」と口に出した瞬間に、惟光は「シマッタ」と思っているはずです。

 惟光という男は、「心とき者」と言われ、気の回る男ではありますが、同時にウッカリした失敗を起こす人でもあります。例えば、「夕顔」巻では夕顔の家の前を通りかかった頭中将を確認に行かず、「お前自身が見届ければよかったのに」と源氏に突っ込まれていますし、物の怪が出た時刻に某院から帰ってしまっていて、朝になって源氏から「憎し」などと思われています。

 ここも、ウッカリNGワードを口にしてしまい、それにㇵッと気づいて口ごもったのではないでしょうか。

 ところが、事情を知らない若女房弁から「あだなる」を”浮気”の意味にとりなした冗談を言われて、”そう、それなんだよ!”とばかりに、返した言葉が「まことに」だったのかもしれません。

 ”そうそう、ホントにその言葉を今はお避けになってくださいよ”と弁に注意を促した後の「よもまじりはべらじ」は…。

 もしや、慌てて自分の失言を取り消す、”私の言葉にもまさか混じっていないでしょう”だったんじゃないかしらん。

 これなら、現存する本文をそのまま訳して意味が通じます。しかし、粗忽者惟光が自分のウッカリから目を白黒させて若女房とやりとりする寸劇を、果たして読み取って良いものかどうか。

 面白い読みだとは思うのですが、自信はありません。でも、あり得なくないんじゃないかしらん。

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2021年8月 6日 (金)

粗忽者としての惟光~『源氏物語』に関する些細なこと12

 結局、接種二回目の副反応は、二日目午後になって微熱が出ただけでした。それも翌朝はすっかりド平熱。やっぱり年寄りは副反応出にくいってことかしらん。

 さて、些細なことシリーズその12です。

 「葵」の巻巻末近く、紫の上と新枕を交わした源氏の命令を受けた惟光が、用意した三日夜の餅を少納言の乳母の娘である弁に持って行かせようとする場面です。

 「『たしかに御枕上に参らすべき物にはべる。あなかしこ、あだにな』と言へば、あやしと思へど、『あだなることはまだならはぬものを』とて取れば、『まことに、今はさる文字忌ませたまへよ。よもまじりはべらじ』と言ふ」

 この部分を小学館『新編日本古典文学全集』は、次のように訳しています。

 「まちがいなく御枕もとへさしあげねばならぬ祝儀のものですよ。ゆめゆめあだやおろそかにしてはなりませんぞ」と言うので、弁は解せぬことと思うけれども、『あだなことはまだ存じませんのに』と言って受け取ったところ、『いや本当に、今回はそういう言葉は慎んでくだされ。まさかそんな言葉は使いますまいな』と言う。

 源氏と紫の上の新枕を祝う縁起物なのだから、いいかげんに扱わないようにと注意する惟光に対して、「あだなり」という言葉が”おろそか”の意味にも”浮気”という意味にもなることを利用して冗談を返す弁に対して、さらに惟光が新婚の祝い物に使うのは不吉な”浮気”の意味になる「あだなり」の語を避け、言忌みをうながすというやりとりなのですが、このやりとりは語法的にも内容的にも少し変です。

 というのは、惟光の最後の言葉は、直訳すれば、”まさか混じっていないでしょう”という訳になるのであって、”まさか使いますまい”にはならないのです。加えて、「あだに」と最初に口に出したのは惟光の方なのです。

 この部分は、古注釈の世界でも問題になっていて、『湖月抄』には、「抄聞書」として、

 「さはあるまじけれどもと、弁に惟光が陳じていふ詞なり。また或る説に、よもまじり侍らじとは弁が惟光への返答なり。よもさやうの事は申し混ぜじといふ心なり。あだなる事はよも混じらじといふなり」

 とあって、この言葉を弁から惟光への返事とする「或る説」を紹介しています。

 これを受けて近現代の注釈書でも、島津久基さんの『源氏物語講話』は弁の返事説を取ります。

 しかし、この弁の返事説には、致命的な問題があります。弁は、この時点で紫の上の新枕を知らないはずなのです。

 それで近現代の諸注釈はおおむね『新全集』と同じ方向の意訳をして済ませようとします。岩波文庫は、さすがにこの意訳に気がひけたか、「けっして(そのような言葉が)まじってはなりません」と原文に近い形で訳していますが、この訳は、通常<打消意志>や<打消推量>になる助動詞「じ」を、大変珍しい<不適当>の意味で取らねばならず、やや文法的に苦しくなります。

 そのように言いたいなら、「じ」ではなく、「まじ」でしょうかねえ。

 ところが、『源氏物語大成』によれば、この部分を「まじ」とする異本はなく、全ての写本が「じ」です。

 長くなるので、続きは明日。

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2021年8月 3日 (火)

五苦のその後と半世紀の感慨

 昨日、二回目のワクチンを接種してきました。

 二回目に副反応が出る人が多いと言うので、夏期講習の合間のお休みの日に合わせ、なおかつ、翌日の仕事が厳しくない日ということで予約を取ってみたのですが、打ってみたら、何だか一回目と全く同じ感じ。全く痛みもなく、発熱も今のところありません。

 世間的には、医療体制の逼迫が心配されるほどの事態になっているこのタイミングで、どうやらワクチンの傘の中に上手く逃げ込めそう。

 まあ、あと何週間かは大事にしないといけませんけどね。

 お父さんが五苦をめぐってアレコレしている間にも、娘(仮称ケミ)は夏期講習でビシバシお勉強している模様。偉いもので、暇な時間は図書館に行ったり児童館に行ったりしていますが、塾の宿題もちゃんとこなしています。

 半世紀以上前のワタシの小学生時代は、田舎の小学生は皆、毎日遊び惚けてましたけどねえ。

 読書家のケミさんは図書館からたくさん本を借りてきているのですが、こんなに塾で忙しいのに読書感想文も書くと宣言しています。

 去年がああいう本だったので、今年は古典的なスタンダードはどうだろうかということで、『坊ちゃん』を提案してみました。

 『坊ちゃん』は、ワタシとしては思い出深い作品で、最初に触れたのは57年前の六歳の時でした。家族でバス旅行した浅草仲見世の本屋で、好きな本を選びなさいと言われて、真っ赤な背表紙と『坊ちゃん』というタイトルに惹かれたんでしょうねえ、「コレ」と指さしたら、本屋のオヤジが慌てて、「ボクにはまだ早いよ」と制止したっけ。

 それを面白がって購入してしまう両親も両親でした。結局その本は、バスの帰り道に半分ほど読んで本棚にお蔵入り。多分、五、六年後に本棚で再発見して、再読し始めたら保育園児の鼻くそだらけで往生しました。~o~;;

 ローティーンの頃、繰り返し繰り返し読んでいました。多分、一番読んだのは『猫』で『坊ちゃん』は二番目。

 今回、ケミさんのために文庫本を購入して読み返してみたのですが、やっぱり傑作ですねえ。

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 パパとしては、半世紀前の因縁もあるので、これで書いてほしい気持ちもあるのですが、ケミさんとしては、自分で図書館で借りて来た『蝶のはばたき、その先へ』が気に入っている模様。

 まあ、どっちも読んでみてください。

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2021年8月 2日 (月)

第四十五回無名講師日記アクセスランキング

 忘れてました恒例アクセスランキング。4/1~7/31のページビューPVの総数は22175でした。前回に比べて9000ほどの減。「これはこのブログ特有の夏枯れで一年前と比較すると」と毎年のように書くのですが、なんと、一年前と比較すると…。あひゃー。~o~;;

 ベスト10はこんな感じでした。

1. トップページ                                  8645 
                                   
2.スキー板試乗          861                                                               
3..姫君は何を知らずと詠うのか(10'6/10)       480

4.スキー             249                                                                 
5.忙中閑の試乗レポ3~落ち着くところ(20'3/29)  222            
6.忙中閑の試乗レポ2~オマケの自由 (20'3/28)216                                                   
            
10.忙中閑の試乗レポ1~技術の深淵      (20'3/27) 148 
                                                         
 毎年恒例で強い試乗モノですが、板試乗情報サイト開店休業状態のため、新しい記事がランクインせず、その結果、昨年同時期とベスト10の顔ぶれがほぼ変わりません。新しい記事は、11位にようやく「酸っぱ目の信頼と最後の試乗レポⅡ(21'5/6)」が出て来る程度です。                                 
  昨年八月に初めてベスト10入りした「姫君は何を知らずと詠うのか」はとうとう三位にまで躍進しました。
 
 もっともアクセス数を見るとたいした数ではないので、他が地盤沈下した結果なんでしょうが。~o~;;                                               
  何なんでしょうねえ。

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2021年8月 1日 (日)

患者が増えているワケ

 昨日から夕方の一講座だけの天国期間です。

 講習で扱っている文章で、ちょっと気になることがありました。

 実は、以前取り上げたことのある『土佐日記』一月七日の条。この時取り上げた部分の少し後です。

 貫之一行を訪ねて来た地元の歌自慢のハチャメチャな歌に対して、大人達は黙々と飲み食いして返歌をしないという仕打ちでこの男をいびり出すのですが、その空気を察することの出来ない子供が返歌をしようとする場面。

 「『立ちぬる人を待ちて詠まむ』とて求めけるを(『席を立ってしまった人を待って詠もう』「とて」捜したが)」

 この「とて」の部分を、ウチのテキストで「と言うので」と訳してあるので、ヤレヤレと思ってしまいました。

 「とて」は、引用を受ける格助詞「と」と接続助詞「て」が一語化したもので、会話文や心内語を受けて「と言って・と思って」の意味になるのが一般的です。原因理由の用法もありますが、このように明らかに会話文を受けている場合、「と言って」と訳すのが普通です。

 なんだってこんな基本的な誤訳を…と思ったら、どうやら現代の諸注釈がみんな「と言うので」なんですね。

 現代の諸注釈というのは、『土佐日記全注釈』(萩谷朴著 1967)、『小学館古典全集』(村松誠一注・訳 1973)、『講談社学術文庫』(品川和子注・訳 1983)、『小学館新編古典全集』(菊池靖彦注・訳 1995)のこと。(新潮社の『古典文学集成』と岩波書店の『新日本古典文学大系』はこの部分に対して全くノーコメントです)

 ここを「と言うので」と訳してしまうと、次の「捜したが」の主体を誤る原因になります。「と言うので捜したが」だと大人達が捜したように読めてしまいますが、ここは、返歌をしようとしている子供が捜しに行かなければならないはずです。だって、大人達は自分達でいびり出した男が、もうすでに帰ったことを知っているから。

 前回の時と同様、多分萩谷先生の『全注釈』が元凶なんだろうけど、こういう誤訳を生徒がマネすると、接続助詞「て」の感覚を利用できなくなり、「主語判らない病」を引き起こす原因になっちゃうので、困るんですよねー。

 生徒さんには、「『て』は『て』と訳せ!そうしないと主語判らない病にかかっちゃうゾ」と力説しておきました。

 子供が「主語判らない病」の患者になっちゃうのって、大人の側にも原因があるんだよなぁー。

 と思いつつ、校舎から出て駅まで歩く間に、反乱を起こした居酒屋さん風俗さんとそれに乗っかっちゃったゆるーい人達が、あっちにもこっちにも…。

 東京は昨日4000人超え、全国で一万の大台に乗ったそうですが、増えるワケだよ。

 こっちは誰が原因作ったんだか。~o~;;;

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