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2021年10月24日 (日)

隅の隅二題~『源氏物語』に関する些細なこと13

 久々に些細なことシリーズです。今回は本当に重箱の隅の隅を二つ。

 一つ目は、「賢木」の巻、桐壺院の遺言の場面です。東宮とともに桐壺院に参上した源氏に対面した桐壺院が源氏にも遺言を残します。

 「大将にも、おほやけに仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見したまふべきことをかへすがへすのたまはす」

 この部分を、小学館『新編日本古典全集』では次のように訳します。

 「源氏の大将にも、朝廷にお仕え申すうえでのお心がまえ、またこの東宮の御後見役をなさるべきことを、かえすがえす仰せつけになる。」

 この訳のどこが「些細なこと」なのかというと、「おほやけに仕うまつりたまふべき御心づかひ」を「朝廷にお仕え申すうえでのお心がまえ」としていること。やや、違和感があります。

 現代の諸注釈は『新編全集』とほぼ同様の訳をつけているのですが、この「おほやけ」「心づかひ」を「朝廷」「心構え」と訳して良いものなのかどうか。

 「朝廷にお仕えする心構え」から想起されるのは、儒教的な「忠義を尽くせ」という一般論でしかありません。

 しかし、この部分の直前で、桐壺院は朱雀帝に対して源氏のことを「何ごとも(あなたの)御後見と思せ」と遺言しています。それを受けての源氏への遺言なのですから、この「おほやけ」は、具体的に当帝すなわち朱雀帝を指すと考えた方が良いのではないでしょうか。また、「心づかひ」は、一般的な「心構え」というより、当帝とその背後の外戚右大臣に対する具体的な「心配り・心がけ」を指すのではないでしょうか。

 語法的には「心構え」を言いたいなら、「心おきて」でしょうからねえ。この「心づかひ」に諸本の異同はありません。わざわざ紫式部が「心づかひ」と言っているものを「心構え」とするのはやや大雑把なのではないかしらん。

 さすがだと思うのは、『玉上琢弥 源氏物語評釈』が、「『おほやけに仕うまつる』とは、当帝に仕えることである。」とハッキリ指摘していること。

 しかし、その玉上評釈も訳文では、「朝廷にお仕え申し上げなさるべきお心使い」なんですけどね。ちと中途半端かな。

 二つ目は、桐壺院の死後、政治的な逼塞を禁断の女性に近づくことで晴らしてゆく源氏が、藤壺の寝所に近づく場面です。

 「いかなる折にかありけん、あさましう近づき参りたまへり。」

 ここを『新編日本古典全集』は次のように訳しています。

 「どうした折であったのか、思いもかけぬことに、君はおそばに近づきまいられた。」

 現代の注釈書は、異口同音にこの趣旨の訳をしています。さしもの玉上先生も「思いもかけぬにお近づき申し上げなさった」です。 

 しかし、「あさましうて」を「思いもかけぬことに」とやっては、接続助詞「て」の語感が抜け落ちることになるのだが。

 この「て」は、古語辞典に言う「下に続く動作の行われる状態を表す」のはずで、一般的には「…の状態で・…のさまで」などと訳さなければいけないもの。

 つまり、ここの「あさましうて」は、お傍に近づいた事実が思いもかけぬものなのではなく、近づく状態・さま・形が思いもかけぬものだと言いたいのです。

 源氏は、通常であれば王命婦という女房を介して藤壺に接近しようとします。しかし、そうしたいわば公式のチャンネルは藤壺側が閉じてしまっています。そのために非公式の意表を突いた方法で藤壺に接近したというのでしょう。

 だから、藤壺は逢瀬を拒否しようがなかったと。

 ちなみに、この「て」には河内本と別本系の陽明家本に「あさましう・あさましく」という異同が見られますが、青表紙本系はすべて「あさましうて」。

 つまり、少なくとも定家卿は、上記のようなことを考えてたってことでしょう。 

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