昨日、春期講習が無事終了しました。娘(仮称ケミ)の小学校も始まったので、我が家はしばらく平穏な日が続きます。
んで、『源氏』「須磨」巻です。「些細なこと17」で取り上げた文章の直後には長大なセンテンスが続きます。
「うきものと思ひ棄てつる世も、今はと住み離れなんことを思すには、いと棄てがたきこと多かる中にも、姫君の明け暮れにそへては思ひ嘆きたまへるさまの心苦しうあはれなるを、行きめぐりてもまたあひ見むことを必ずと思さむにてだに、なほ一日二日のほど、よそよそに明かし暮らすをりをりだにおぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを、幾年そのほどと限りある道にもあらず、逢ふを限りに隔たり行かんも、定めなき世に、やがて別るべき門出にもやといみじうおぼえたまへば、忍びてもろともにもやと思しよるをりあれど、さる心細からん海づらの、波風よりほかに立ちまじる人もかならんに、かくらうたき御さまにてひき具したまへらむもいとつきなく、わが心にもなかなかもの思ひのつまなるべきを、など思し返すを、女君は、『いみじからん道にもおくれきこえずだにあらば』とおもむけて、恨めしげに思いたり」
心内語と会話文を含み込むとはいえ、ずいぶんと息の長い文です。
ちなみに、「須磨」巻前半には、こういう息の長いセンテンスが多いように思います。単なる印象ですが、この傾向は「賢木」あたりで源氏の不遇が始まるとともに顕著になるのではないでしょうか。
閑話休題。この文のどこが「些細」なのかというと、
「行きめぐりてもまたあひ見むことを必ずと思さむにてだに、なほ一日二日のほど、よそよそに明かし暮らすをりをりだにおぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを、幾年そのほどと限りある道にもあらず、逢ふを限りに隔たり行かんも、定めなき世に、やがて別るべき門出にもやといみじうおぼえたまへば」
の部分の処理です。この部分を小学館『新編古典全集』では、次のように訳しています。
「これがどこをどうさまよっても、必ずまた逢えることが分っていらっしゃるような場合であっても、ほんの一日二日の間別れ別れで寝起きするとなると、そんな折々ですら、やはり気がかりに思われ、女君のほうもただ心細いお気持ちになられたのだから、このたびは幾年どのくらいというきまりのある旅でもなく、再会を期して行方もしらず果てもなく別れて行くにつけても、無常の世の中であるから、もしかしたらこれがこのまま永の別れの旅立ちにでもなりはせぬかとたいそう悲しいお気持ちになられるので」
「また逢えることが分かっている」を「一日二日別れ別れで寝起きする」に逆接仮定条件でつないでいく処理をしています。実は、これは玉上琢彌博士の『源氏物語評釈』に出て来る解釈です。また新潮社『古典集成』も頭注で「お思いの場合でも」と同様の解釈をしています。
しかし、これは文法的にはかなり無理な訳と言わざるを得ません。どの古語辞典を見ても、副助詞「だに」を「であっても」と訳して良いという理屈は出て来ません。
ところが、小学館旧全集では、この部分を、
「必ず逢うことになっているのだとわかっていらっしゃる場合でさえ、ほんの一日二日の間別々で寝起きする折々ですら」と訳しています。これなら、副助詞「だに」の処理としては自然です。
旧全集と新全集の間に出版される『完訳日本の古典』では、すでに「であっても」ですから、この「であっても」は完訳から執筆陣に加わった故S先生の御意見の反映と考えられます。
しかし、故S先生はこんな無理な訳をする方じゃないと思うのですが、何故、文法的に自然な旧全集の訳を変えたんでしょう。
察するにその判断は、「思さむにてだに」「明かしくらすをりをりだに」と「だに」が並列されている珍しい文構造と、二つの「だに」の間の副詞「なほ」の関係に起因するものだったんではないかと思います。
旧全集では、この「なほ」には「『おぼえ』にかかる」という頭注がついていて、「やはり気がかりに思われ」と新全集の訳と同じ訳が施されています。しかし、頭注がついているということは係り受けの関係が不自然だからでしょう。「なほ…をりをりだに…おぼえ」というまとまりの外側に「をりをりだに」と並列される「思さむにてだに」が存在する文構造には、やや違和感が感じられます。
しかし、だからといって、現実に並列している「…だに…だに」の片方を、文法的に無理な逆接仮定条件で処理してしまうのは、いかがなものかと…。
長くなるので、続きはまた明日。
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