言葉に悩む日々
夏期講習がお休みになって、短い夏休み期間です。
娘(仮称ケミ)の方は、夏期講習が本格的に始まりました。
夏期講習期間は小テストの成績によってクラスが頻繁に上下するため、ケミさんも最初の日は「いくつクラスを上げられるかしら」とワクワクしながら通塾したのですが…。
初日の小テストで隣の席の子に惨敗。帰宅してションボリしているので、「すぐに上がらなくても、夏期講習中に一つか二つ上がれば良いんじゃないか。出来たら二つ上がってほしいけど」と慰めのつもりで言ったら…。
「それは、二つ上がらなきゃいけないってこと?!」と泣き出されてしまいました。
言葉遣いは難しいヨ。~o~;;
言葉遣いと言えば、先日の事件について、「テロ」と呼ぶ人がいます。
実は、ワタシも最初の日、事情がわからなかったので「テロ」と書いてしまったのですが、これは誤りでした。訂正したいと思います。
そもそも、「テロリズム」とは、
「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」(『日本大百科全書』)
なのだそうです。
ここでポイントになるのは、「心理的威圧や恐怖心を通して」という部分。
例えば、爆弾の爆発によって、その地域の人々に恐怖心をまき散らし、経済活動や市民活動を停滞させること。
例えば、暗殺によって、心理的な威圧を与え政治家や市民の政治活動の自由を奪い、結果的に軍部に従属させること。
今回の場合、犯人の動機があきらかになるにつれて、一般市民やマトモな政治家の皆さんから恐怖心や心理的威圧は消えたはず(マトモでない政治屋さんたちは別の恐怖を感じてるのかもしれませんが)。
コレは「テロ」なんかじゃありません。完全に私怨による殺人でした。
だから、そうした私怨を生み出す土壌となった当該の宗教法人と政治家との関係は追及されてしかるべきです。たとえ、それが犯人の狙い通りだったとしても。それを追究することがむしろ犯罪の再発を防ぐことにつながるからです。
この事件を「テロ」と呼んで憚らず、「報道機関、特にテレビは倫理観をもって臨むべきだ」とマスコミの報道姿勢を疑問視するようなことをホザいた国際政治学者の方などは、完全に言葉遣いを間違えてます。
つか、この人、いつもこういう的外れのコメントを出しているように思いますが、本来の専門の国際政治学の方ではどうなんでしょうね。
実は、この人、ワタシの高校の後輩らしいので、あまりお〇鹿な発言は控えてもらいたいと思います。「S南高校の先生方は国語の時間にそんなことを教えてるんですかね」なんて言われかねないからね。~o~;;
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コメント
ここへ来てさすがにテロだとか民主主義への挑戦だとか主張する人は少なくなりましたが、三浦某という人はやたらテロと強調していて、訂正するに訂正できなくなったのかなあと思っています。
この報道があったとき、多くの新聞や識者は民主主義の危機というふうに結びつけて論じていました。知る限り、高村薫だけは民主主義へと結びつけるのは早計だと釘を刺し、私怨による犯罪だと断言し、大いに共感したのを思い出します。「毎日新聞」に寄稿していました。
無名講師さんも覚えていらっしゃると思いますが、私どもが入学した当時、原理研というあやしい団体がキャンパス内をうろついていて、やたら勧誘を繰り返していました。その頃から非常に危険な団体だと立て看板などで注意を促していて、原理研=国際勝共連合=統一教会というのは常識だったはずです。
まともな政治家ならば、避けて通るべき団体であることは明白です。
ついでにいえば、個人的には宗教団体というよりも反社会勢力と認識した方がいいと思います。今後このような悲劇を生まないためにも。
投稿: ニラ爺 | 2022年7月24日 (日) 17時48分
>入学した当時、原理研というあやしい団体がキャンパス内をうろついていて、
こういうのを懐かしがるのも変な話ですが、大学に入学した頃いましたねー。
最初は、「校門の所で話しかける奴らはゲンリだから、返事するな」って言われても、何のことやら理解できませんでした。当時、右も左もわからない子供だったので。
もう45年くらい前の話なんですが、今頃になってまた話題になるとは、シブトイ人達ですねえ。
投稿: mumyo | 2022年7月25日 (月) 12時00分