国葬にしてはいけない理由
国葬をめぐって、いろいろな御意見が出ているようで、喧々囂々百家争鳴の趣なのですが、皆さん、肝心なことを議論してしないような気がします。
国葬に反対する人達は、国民的合意が得られるのかとか政治的評価を強制しているとか経費がかかるとか与党による政治利用だとか、いろんなことを言っているようですが、問題はそんなことではないんじゃないかしら。
亡くなった人を嫌いだった人達は、よく思い出してもらいたい。彼の何が嫌いだったのか。
現総理は、「民主主義を断固として守り抜く決意を示す」ために国葬すると言ったそうですが、国葬してはいけない理由はまさにソレです。民主主義を断固として守り抜く決意を示すだめに国葬にしてはいけないのです。
与党やright sideの一部の方達は、未だに「民主主義」の反対概念が「共産主義」や「無政府主義」だという、もはや黴も生えない古色蒼然の政治認識をお持ちのように見受けられるのですが、そんなのは、「遠い空白70年(1989)」のマルタ会談で終わってるでしょ。~o~
東西冷戦が終わりソ連が崩壊した後の世界には、「共産主義」や「社会主義」の国家は残っていません。「共産主義国家・社会主義国家」という壮大な実験は20世紀とともに終わったんです。
今現在、世界の民主主義の国と対立している国々、つまり、ぷーちんの国、大陸の国、半島の国等を見てみりゃ明らかです。ちょっと前のUSAを考えてもよろしい。
21世紀において「民主主義」の対立概念は「独裁主義」です。
そして、亡くなった人は近代日本の歴史の中では恐らく唯一無二の「独裁者」と呼ばれるのに相応しい人だったのです。
思い出してください。マスメディアを把握して言論統制し、歯向かう者を卑怯な手段で追放し、官僚に忖度を強いてニューヨークタイムスに独裁的と指摘され、この人に尾を振る者が国家財産の分け前にあずかり特別な認可を与えられ犯罪を取り消してもらい、この人の支持者だけが桜の会を楽しんできたのです。
国葬を主張する人たちは、この人を強いリーダーシップ、魅力的な人格、身内に優しい人柄と慕います。
でも、それは全て、「独裁主義」の裏返しです。そして、それは「民主主義」の対立概念です。
我が国が「民主主義」を断固として守り抜く決意を国際社会に示すために、我々はこの人の国葬にNo!と言い続けなければならないのです。
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コメント
今度は夫人を選挙に出すというので開いた口がふさがりません。いやしくも公党、それも政府と一体化している政党が民主主義とは対極にある私物化がここへ来て拍車をかけています。ご本人は辞退したと報道されてはいますが。
私どもで言えば、免許更新制というのが導入されました。あれは資質向上というのが狙いではなく、要は多くの私大の経営を助けるための政策に過ぎないのです。文教族をはじめとして結構な額が政治家に献金されたと思います。当初から効果は疑問視されていましたが、先般廃止が決定されました。
民主主義というのならば、国葬一つとってももう少し時間をかけて、せめてもの国会で議論をすべきです。
投稿: ニラ爺 | 2022年7月22日 (金) 07時46分
>民主主義というのならば、国葬一つとってももう少し時間をかけて、せめてもの国会で議論をすべきです。
まさに、その通りです。
「ゴチャゴチャ議論が出て来るのは面倒だから、議論する前に決めちゃえ」
という意図が見え見えですが、どう考えても、それを民主主義とは言いませんよねえ。
その決定理由が「民主主義を断固として守り抜く」なんだから…。
イヤハヤ。~o~;;
投稿: mumyo | 2022年7月22日 (金) 09時31分