必要なんです
二学期の第五週目が粛々と進んでいます。
デスクワークは、ようやく昨日、某東大対策添削の第三回が終了。今朝は直前講習のテキストの連絡も終りました。少しホッ。
ホッとした今朝、ちょっと気になる記事を朝刊で見かけました。読者投稿欄に13才の中学生が「紙の教科書は重い。紙の教科書は必要なのか」と問いかけていました。
結論から言うと必要なんです。昨年、ICT授業というのを一年間やった者の実感です。
実は、今年はICT授業担当から外れさせてもらいました。ICTを卒業させてもらったのは、勿論、「タブレット操作を完全に使いこなすのは年寄りには難しいヨ」ということもありますが(まあ、そこにかなりの比重があるのは認めますが~o~;;)、やはりICT授業を有意義なものにするためには、教授者側のマンパワーが必要ということがあります。
早い話、先生の側は準備が普通以上に大変なんですよ。
それに、予備校だと先生側が大変という程度で済みますが、中高生の教科書を全面的にデジタル化した場合、生徒さん側にもいろいろと不自由なことが起こってきます。
例えば、古文だと基本文法の資料とテキストを同時に見ることができません。用言・助動詞の活用表やら敬語一覧やらを見ながらテキストを読むということが出来ないのです。これ、古文の初学者の学習には不自由でしょうね。
画面を切り替えれば良いと思うかもしれないけど、これはやってみると案外面倒なものなんです。
理社科なんかだと資料集と教科書を見比べることが出来ません。歴史の教科書の説明文と年表や地図を同時に見たくなることはありそうですよね。
また、授業を受けながら教科書にメモを書き込むことが出来ません。重要な語句にアンダーラインやマーカーの目印を書き込むことも出来ません。定期試験前に不自由でしょうねえ。
やはり、デジタル化には限界があり、紙教材との併用が望ましいのだと思います。重い辞書類や古典の基本文法や国語便覧の類、理社科の資料集はデジタル化した方が良いと思うけど、教科書は紙の方が便利です。
結局、教育の有効性を考えたら、この中学生さんのリュックの重さがほぼ変わらない程度のデジタル化で留めとくしかありません。
加えて、教科書を全てデジタル化した時の子供達の目に対する負担はどうなんですかね。13才の投稿者さんは重過ぎるリュックは子供の成長の妨げだと主張していますが、オジサンは君たちの目の方を心配しちゃうんですよ。
リュックの重量には筋力を養うメリットもありますが、タブレットの見過ぎは眼精疲労しか生まないですからねえ。
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