秋の小金井ゆめまぼろし
昨日の日曜、娘(仮称ケミ)は朝から塾でした。
午前中にゆうパックで何か届きました。まさか、と思ったら、一昨日某アマゾンで注文したケミさんの過去問でした。ひえー、なんて早さだ。
過去問のコピーをとり解答用紙を作成するのはワタシの仕事です。すぐに一年分の練習問題が出来上がりました。
あとは愚妻YのPTAの仕事の相談に乗ったり散歩に出たりしてぼんやり過ごしました。
今日は珍しい月曜のお休みの日。午前中はのーんびりと散歩。イヤハヤ、秋の小金井はのんびりしています。こんなにぼんやりのんびりで良いのかしら。ハロウィンで大変な目に会った人もいるのにね。
午後は昨日から取り組んでいる某東大の今年の問題の資料を、完成させようとしたのですが…。
うーーん、今年の問題って何だか難しくないですかねえ。
これだけ難しい問題は…、T女史なのからしん。~o~;;
いろいろと注釈書やら出版されている過去問の本やらを見て…、ぼんやりし過ぎで回らなくなった頭で考えているのですが、何だか変です。
「夢とだに何か思ひも出でつらむただまぼろしに見るは見るかは」
『浜松中納言物語』のこの歌は、かつて中国の后とはかない逢瀬を持った中納言が
「ふたたびと思ひ合はするかたもなしいかに見し夜の夢にかあるらむ」(再び逢瀬を持ちたいと思っても思い当る方法もありません。あの夢のような逢瀬は、どのように見た夜の夢であるのでしょうか)と詠み掛けた贈歌に対する后の返歌です。
「夢とさえどうして思い出してもいるのでしょうか、いいえ、夢とさえ思い出すことは出来ないはずです。私たちの逢瀬は夢よりはかない幻のようなものなのですから、まして思い出すことなどできないはずなのです。ただ幻のような逢瀬では逢瀬などと言えるものではないはずですから」
このくらいの解釈になりそうなんですが…。注釈書も過去問本もどれもこういう解釈をしてくれていません。
ワタシの解釈の方が、「まぼろし」なんでしょうかねえ。~o~;;;
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