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2023年1月26日 (木)

予備校ならアタリマエ?~『源氏物語』に関する些細なこと21

 今日は午前立川で質問待機、夜は池袋で高校生です。まあ、この季節の仕事はこんなものです。

 んで、『源氏』です。「須磨」巻巻末近く、源氏が須磨のわび住まいを嘆く場面です。

 「所につけて、よろづのことさま変り、見たまへ知らぬ下人の上をも、見たまひならはぬ御心地に、めざましう、かたじけなうみづから思さる」

 この一文に対して、『新編日本古典文学全集』は次のような訳をつけています。

 「土地がらとて万事都とは様子が一変して、今まで君のことなどまるで存じあげようもない下人のことをも、これまでご経験にはならなかったことなので、ぶしつけにお感じになり、また我ながら不面目なといった気がせずにはいらっしゃれない」

 これに対して、頭注には「『たまへ』は謙譲「給ふ」(下二段)で、意通じがたい。「たまひ」(尊敬・四段)の誤りか。源氏のことなどまるで理解も同情もない下人」とあります。

 近代の諸注釈、『旧古典文学大系』『玉上琢弥 源氏物語評釈』『新潮古典集成』『旧日本古典文学全集』『新日本古典文学大系』『岩波文庫』にも、ほぼ同様の記述が見られます。

 一番詳しいのは、『玉上評釈』で、

 「下二段活用の『たまふ』は、話し手自卑である。ここには合わない。しかし、『見たまひ知らぬ』の誤りとして、源氏がご理解なさらない下人の意とすると、すぐ下に『見たまひならはぬ御こゝち』とあるのと重複する感がある。下二段活用の『たまふ』は話し手自卑ではあるが、聞き手よりも話し手の方に近いとする場合に用いないでもない。そう解すれば、ここのところも語り手の女房が、源氏に対して自分を『下人』に近いと卑下して、源氏を『見たまへ知らぬ』、源氏を見ても理解できない下人と言ったのだ、と考えることもできようか」

と説明しています。

 でも、コレ、予備校屋的には全くあり得ない説明です。「下二段活用の『給ふ』は、謙譲語だが対者敬語で話者がヘリ下って畏まり対者への敬意を表す敬語で、主語は『私』で、訳は『ですます』調になる」と我々は説明しています。コレ、予備校じゃ普通の説明。

 だから、この「見たまへ知らぬ下人」は、予備校的には、「私が見知っておりません下人」と訳さねばなりません。

 ということはどういうことか、と考えてみると、『源氏物語』はある女房が語ったという体裁を取っていますので、ここは語り手の女房が顔を出して「私程度の者も見知る事がございませんような下人」と自らの身分を卑下しつつ語ったということになります。

 前掲の一文全体としては、

 「場所につけて、万事様変わりして、私程度の者も見知る事がございませんような下人の身の上をも、源氏の君は御覧になり、慣れないお気持ちで、『目に余ることだ。もったいないことだ』とご自分のことながらお思いにならずにいられません。」

 くらいの訳でピッタリです。

 繰り返しますが、コレ予備校的には当たり前の訳です。模試で出題したら、受験生だって(最上位層なら)こう答えるはずです。

 どうして諸碩学の皆さん、コレが出てこなかったんでしょう。不思議です。

 察するに、昭和4~50年くらいまでは、謙譲語=主体が客体に対してへりくだる表現、と多くの学者さんが考えていたために誤ったのではないかと思われます。

 しかし、今や敬語の認識は改まっているはずなので、少なくとも平成以降に出版された『新大系』『新全集』『岩波文庫』あたりは解釈を刷新していなければならなかったはずなのに…。

 うーーん。

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