今なら書ける中学受験~危機を乗り越える
五年生の間、娘(仮称ケミ)の成績について、我が家ではあまり心配していませんでした。マンスリーテスト組分けテストでは時々失敗して、設定した目標クラスの幅から外れることもありましたが、五年生入塾で理社科の知識が欠けているのは判っていたので、あまり気にしませんでした。
実際のところ、理社科の成績は六年生になって改善されて行きました。特に、六年後期からの単科講座で社会を取ったのが効果的だった模様。六年生前半まで偏差値50になかなか達しなかった社会が、六年後期には五回分の平均偏差値が53まで伸びて、大きな武器になってくれました。
五年生までは成績を気にしなかった我が家ですが、六年生の三回の危機は心配しました。
一回目の危機は六年生六月の算数の失敗でした。志望校判定模試で算数の偏差値38を取った時には驚きました。
結局、この時に決めた再始動の二つの方針
・間違えた問題はすぐに答えを見るのではなく、なるべく自力で解き直す。
・毎朝、計算練習問題集を1ページやる。
これを試験日まで愚直なほどに続けてくれました。その結果、解ける問題の範囲がひろがっただけでなく、解けない捨て問題の判断が出来るようになりました。また、大問一の計算問題のミスが激減し、算数の成績が平均偏差値46~8ぐらいで安定するようになりました。
二回目は六年生十月の国語の大ゴケでした。直近の五回分平均偏差値64だったものがこのマンスリーは突然45.5でした。七つもクラスが落ちました。
おそらく、急激に上がったクラスが合わなかったんだと思います。自分がαだということを意識し過ぎたのかもしれません。この時は、結局、すぐに国語が立ち直ってくれたので、安心出来ました。
この子の国語の力は、もちろん豊富な読書量に支えられた読解力に根差しているのですが、意外と馬鹿にできなかったのは漢字の力だったと思います。四年生の漢検で六年時に習う漢字を完成していたのが国語の得点を下支えしてくれました。すぐに立ち直れたのはそのおかげもあるかと。
漢検なんて、別に中学受験対策で始めたわけじゃなかったんですけどね。ラッキーでした。
三回目は六年生一月のこの時。この時は、本当に上手く立ち直ってくれました。ケミさんのポジティブな性格がものを言ったということでしょうか。
これら三回の危機以外にも、我が家には潜在的な危機がありました。この人の弱みが顕在化して重圧に耐えられず途中で暴発していたら、どうなったことやら。よくぞ耐えてくれました。
志望校決定の時から無理なチャレンジ校を第一志望にしなかったのは、そういう理由もあってのことでした。
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