祈りと「と」の兼ね合い~『源氏物語』に関する些細なこと22の下
まず、「この世の犯しかと」と「と」の入った本文が優勢だという前提に立つとします。
「と」の入った本文をとる『新編全集』『集成』はいずれも、「と」のつながっていく先を特に示していません。示していないということは、直後の「神明明らかにましまさば」以下につなげて読まなければならないのですが、訳文を読んでもこれはつながりません。
唯一『旧大系』だけが「と」の先を示しているのですが、後の諸注釈がこれを踏襲しなかったのは、「と(源氏の君は憂えなさる)」という省略を想定し、大きな補いをしなければならないからだと思われます。
「と」の先が「と」以下に明示されておらず、省略でもないとすれば…。
倒置しかないでしょう。少し前の「天地ことわりたまへ」がピッタリです。『新編全集』の訳文で考えると、「天地の神々も理非を明らかにしてくだされ。…そのうえかくも悲しいめにあい、お命も尽きようとするのは、前世の報いか、今生に犯した罪のためか」を倒置させて、「そのうえかくも悲しいめにあい、命も尽きようとするのは、前世の報いか、今生に犯した罪のためかと、天地の神々も理非を明らかにしてくだされ」となります。
このように考えた時の利点は、「そのうえかくも」以下の敬語の欠けた部分を、「天地の神々」の視点に寄り添う記述と見ることで、敬語の不一致を説明し得るかもしれないところです。
また、「と」が「神明明らかに…」以下につながっていかないとすると、「と」までを供人の会話文とし、「神明明らかに…愁へやすめたまへ」を源氏の会話文として括る事によって、「御社の方に…願を立てたまふ」の「たまふ」を単に源氏への敬語として処理することで、敬語の説明が容易になります。
訳文としては、このようになると思います。
「叫び声を合わせて仏神を祈り申し上げます。『源氏の君は、帝王の宮殿奥深くに養われなさって、(中略)今、何の報いを受けておびたたしい波風に溺れなさるのでしょうか。天地の神よ、どちらなのか明らかになさってください。源氏の君は、罪がなくて罪に当たり、官位を取られ家を離れ、都との国境を去って、朝晩心穏やかな時もなくお嘆きになっていますのに、こんな悲しい目まで見て、命尽きてしまおうとするのは、前世の因果の報いなのか、この世での罪の犯しなのかと。』君も『神仏よ、明らかでいらっしゃるならば、この嘆きを安らかになさってください』と住吉の御社の方向に向いて様々な願をお立てになります。」
これで何とかなっている気がするんですが、どうですかねえ。
| 固定リンク
コメント