母の命へ一人旅
昨日、姉から、施設にいる母が誤嚥性肺炎になり、今は治まっているけど、どうなるか分からないので面会に行っておきなさいという連絡がありました。
母には二週間前に会って娘(仮称ケミ)の中学生姿を見せたばかりだったので驚きました。
それと同時に姉の言葉の深刻な響きに戸惑いました。「最後になるかもしれないから」というのです。
ただ、入院しているわけでも、まして危篤状態などというものでもなさそうなので、「ただに急げる」などという切実な茂吉状態にはならず、漠然とした不安を抱えたまま電車に乗り、相模湾の街の施設に行ってきました。
母は自室で眠っていましたが職員さんが起こしてくれました。仕事が休みだったので面会に来た旨を伝えたところ、母は真顔で「あなたは誰ですか」と言うのです。
何とも答えようがありませんでした。
ところが、姉から聞いていたのとは少し異なり、田舎の家の昔のことを延々と語り続けます。なんだか体調は悪くなさそう…。
ワタシを息子だと認識してくれないことを除いて、問題はなさそうに見えました。どうやら、ワタシを病院の先生だと思っていたようでした。
母の話が一区切りついたところで、何度か名前を名乗り認識してもらおう試みました。
「〇〇だよ、お母さん」「〇〇だよ」
顔を近づけて繰り返すと、「先生は〇〇に似てますねえ」だと。
「お母さん、本物の〇〇ですよ」「孫のケミの写真を持ってきましたよ」
ケミさんの写真を見せると、不思議そうに見ている母のぼんやりした顔にわずかに生気がもどってくるのが感じられました。
ようやくワタシを息子と認識してくれました。ヨカッター。
後で聞いたところ、昨日、姉が面会に行った時に母の具合が本当に悪く、呼吸が苦しくてやっと息をしているような状態だったらしいです。それから考えたら、今日はずいぶん回復してくれていたということのようです。ホッとしました。
ホッとして駅の傍の「駅舎カフェ」という店でパスタを食べて帰って来ました。
駅長さんの使っていた机がテーブルになっていました。
とりあえず、不安から解放されて、食べ物の味がしました。
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