都の戌亥鳩の隣
最近、どういうわけか、隣の家に山鳩が住んでいます。
隣は、同じ〇〇村の家なので我が家の猫の額と同じ程度の庭があるのですが、気付いてみたら、そこに生えている木に山鳩が巣を作って産卵していたと。
適度に田舎の小金井にしても、ずいぶんとノンビリした話です。書斎の窓から、こんなものが見え↓、「デッデーポッポー」と求愛の声が聞こえます。
その鳩とは関係なく、一学期の受験生の授業が昨日無事終了しました。なんとか、カタルシス。
しかし、高1高2はまだ続きます。
さらにそれとは関係なく娘(仮称ケミ)は定期テスト真っ最中です。先日は、夕食中に、「わがいほは~」といきなり言い出しました。
「古典」で百人一首をやっていて、喜撰法師が試験範囲らしいです。驚いたことに、故S先生御執筆の本↓を使ってたりします。
「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり」に対して、
「私の庵は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしている。だのに、私がこの世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと世間の人は言っているようだ。」という訳が付されています。
この歌は、『古今和歌集』 巻十八 雑下にも収められていて、実は、解釈に諸説ある歌です。
➀「しか」の部分に「然」と「鹿」という掛詞を認めるか否か。
②「しかぞすむ」を「このように心のどかに住んでいる」と取るか、「そのように憂き世の中に堪えつつ住んでいる」と取るか。
おおむね、この二点で解釈が分かれます。故S先生の御本は、➀の掛詞を認めず、②は前者で取っています。おそらく、現代の諸注釈の大半がこの解釈をしているのではないでしょうか。
ケミさんの中学の先生も、おおむねこれに従っているらしいのですが、「『辰巳』だから、動物つながりで『鹿』なんだって」と言い出しました。
おや、変ったことを言い出したと思ったのですが、そこで突然、突拍子もないことを思いついてしまいました。
長くなるので、続きはまた明日。
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