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2023年7月 6日 (木)

都の戌亥馬と鹿

 昨日の続きです。

 「辰巳だから動物つながりで『鹿』」という考え方は、実は、娘(仮称ケミ)の中学校の先生のオリジナルの思いつきではありません。あまり多数派の考え方ではなさそうですが、それでも、『角川ソフィア文庫 古今和歌集』(高田祐彦訳注)には、「しか」の所に「『鹿』の連想もあるか。辰-巳-午というつながりから鹿への連想が及ぶ。鹿の鳴き声は秋のもの悲しさを代表するもので、下句の『憂し』ともつながる」と注が施されています。

 青学の高田祐彦教授はいまやこの道の権威だし、マトモな学者さんですからねえ。多分、ケミさんの中学の先生も、どこかでこの高田説を見たのかと思います。

 んで、ワタシが思いついた「突拍子もないこと」なのですが、「辰-巳-午」となるべきところを、「辰-巳-鹿」と言っているということは、「馬」と言いそうなところを「鹿」と言ったということで、これは、もしや、『史記』巻六「秦始皇本紀」の趙高のエピソードを踏まえていやしないかということです。

 丞相となった趙高が群臣を試すために二世皇帝の前で「鹿」を馬だと言い張り、趙高に反対して「鹿だ」と言った者を罰したというエピソードは、平安京の貴顕の間でも人口に膾炙していたと見えて、『源氏物語』「須磨」では弘徽殿太后がこれを口にしていますし、『拾遺集』にも贈答歌があります。

 「鹿」を「馬」という者とは阿諛追従する者のことであり、「鹿」が「鹿」と呼ばれるということは権勢に阿る者がいない清廉な土地ということになります。

 この文脈を喜撰歌の解釈に当てはめると、「私の庵は都の辰巳にあり、鹿が鹿と呼ばれる土地で阿諛追従する者に交わることなく、そのように清廉に暮らしています。それなのに、私がこの世をつらいと思って住んでいる宇治山だと人は言っているようです」くらいになるんですが…。

 これだと、「しか」という指示語を無理に「このように」と近称で取らなくても良くなるので、そういう点でも悪くなさそう。『古今集』真名序で紀淑望が「宇治山の僧喜撰は、その詞華麗」と言っているのは、もしやこういうところを褒めているのかも…、

 とそんな気が一旦はしたのですが、でも、高田先生に申し上げたら、「うーーん、面白いけどねえ…、考え過ぎ!」と爽やかに笑い飛ばされそうです。

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