ケガの功名?~『源氏物語』に関する些細なこと27
この記事、大きな勘違いがあり翌日訂正をいれました。
『澪標』巻中ほど、舟で住吉に参詣した明石の君が、たまたま願ほどきに参詣していた源氏一行とすれ違う場面です。明石の君は、源氏の威勢に押されて住吉参詣を諦め難波の祓だけでもしていこうと難波に漕ぎ戻りますが、源氏はそのことを惟光から知らされています。
「神の御しるべを思し出づるもおろかならねば、いささかなる消息をだにして心慰めばや、なかなかに思ふらむかし、と思す。御社たちたまひて、所どころに逍遥をし尽くしたまふ。難波の御祓などことによそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、『いまはた同じ難波なる』と御心にもあらでうち誦じたまへるを…」
小学館『新編日本古典文学全集』はこのような本文を立てて、次の訳を付します。
「これも神のお導きとお考えになるにつけても、おろそかとも思われないので、『せめて一言の便りだけでも遣わして慰めてやりたい。来合せてかえって心を痛めているにちがいない』とお思いになる。御社をご出立になって、あちこちで遊覧を重ねていらっしゃる。難波の御祓などは、ことに儀式正しくお勤めする。堀江のあたりをごらんになって、『今はた同じ難波なる』と何気なくお口ずさみになるのを…」
これのどこが「些細」なのかというと、「仕まつる」の主体は源氏のはずなのに、尊敬語がないんです。
こういうの学者さんはそれほど気にならないのかもしれませんが、予備校屋は気にします。なにしろ、授業で上記のような解釈をしようものなら、ウチの予備校じゃ質問殺到なのでね。
この一節は、実は、本文上の異同があって、「御祓などことに」を「御祓ななせに」とする写本があり、現代の注釈書もどちらを取るかで意見が分かれています。それで、そちらに学者さん達の注意は向いてしまっているのでしょうが、予備校屋的には敬語の不一致の方が大問題というわけです。
んで、解決法です。「仕まつる」の後に句点を打たず、「仕まつる堀江」という本文にして主体を明石の君一行にしてしまうのはいかがかと。
つまり、堀江で祓をしている明石の君一行を、住吉参詣を切り上げてあたりを逍遥する源氏が遠目に見て、「今はた同じ難波なる」と元良親王の古歌を口ずさむと取るわけです。
このように読むと「堀江のわたり」を御覧になっていた源氏が元良親王歌を口ずさむ心理的な流れが良くなります。明石一行を遠望して「同じ難波にいる」と口ずさむのだから当然です。逆に言うと、源氏が祓をすると読んだ場合、なぜ「堀江」を見て、元良親王歌が脳裏に浮かぶのか、ちょっとわかりにくくなります。
と土曜夜には思ったのですが…、
夜寝ながら、祓の主体は陰陽師なので、上記の文章中の「仕うまつる」は、「(陰陽師が源氏に)して差し上げる」と読めば良いことに気づきました。もしかして諸注釈はそう読んでいるのかしらん。そうと分る記述はあまり見当たりませんが、それでも岩波文庫の「盛大にご奉仕する」などという注はその筋を言っているのかもしれません。
しかし、一旦、明石一行の祓と読んでしまうと、どうもその方がお話の流れが良さそうな気がしてきます。
というのは、まず、この場面の少し前に明石の君が「今日は難波に舟さしとめて、祓をだにせむ」と思っていて、難波の祓に来ていることが明らかであること。明らかであるから人物の想定はでき、ここで明石の君という人物に触れないことに不自然さはありません。
加えて、もし、源氏の祓と読んだ場合、その間、明石一行は何をしているのかということ。この後、源氏は明石の君に和歌を送りますから、周辺にいなければなりません。
さらに加えて、上記のように源氏は「堀江」を見て元良親王歌を口ずさみますが、そのことが明石の君への贈歌につながるという話の流れの中で「堀江」の意味を考えた時、そこに明石の君がいた方が自然です。
その場合、この前後では明石の君に敬語は使われていませんから、「仕まつる」という敬語は、「行為の向かう先を高める働きを失い、単に主語を低める」(三省堂『詳説古語辞典』)ということになるのでしょう。
明石の君の祓と取ると、上記の部分の訳は次のようになります。
「神のお導きをお思い出しになるのにつけても疎かな気持ちではないので、『せめてちょっとした手紙だけでもやって心を慰めたい。かえって来合わせない方がと思っているだろうよ』とお思いになります。御社をお立ちになって、所々に遊覧をし尽くしなさいます。明石一行の人々が難波の御祓などのことを格別に厳めしく奉仕している堀江の辺りを御覧になって、『いまはた同じ難波なる』と澪標を歌った昔の恋歌を無意識に口ずさみなさっているのを…」
自然な話の流れだと思います。
もしかして、勘違いが怪我の功名になったかも…。
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