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2024年6月30日 (日)

ケガの功名?~『源氏物語』に関する些細なこと27

 この記事、大きな勘違いがあり翌日訂正をいれました。

 『澪標』巻中ほど、舟で住吉に参詣した明石の君が、たまたま願ほどきに参詣していた源氏一行とすれ違う場面です。明石の君は、源氏の威勢に押されて住吉参詣を諦め難波の祓だけでもしていこうと難波に漕ぎ戻りますが、源氏はそのことを惟光から知らされています。

 「神の御しるべを思し出づるもおろかならねば、いささかなる消息をだにして心慰めばや、なかなかに思ふらむかし、と思す。御社たちたまひて、所どころに逍遥をし尽くしたまふ。難波の御祓などことによそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、『いまはた同じ難波なる』と御心にもあらでうち誦じたまへるを…」

 小学館『新編日本古典文学全集』はこのような本文を立てて、次の訳を付します。

 「これも神のお導きとお考えになるにつけても、おろそかとも思われないので、『せめて一言の便りだけでも遣わして慰めてやりたい。来合せてかえって心を痛めているにちがいない』とお思いになる。御社をご出立になって、あちこちで遊覧を重ねていらっしゃる。難波の御祓などは、ことに儀式正しくお勤めする。堀江のあたりをごらんになって、『今はた同じ難波なる』と何気なくお口ずさみになるのを…」

 これのどこが「些細」なのかというと、「仕まつる」の主体は源氏のはずなのに、尊敬語がないんです。

 こういうの学者さんはそれほど気にならないのかもしれませんが、予備校屋は気にします。なにしろ、授業で上記のような解釈をしようものなら、ウチの予備校じゃ質問殺到なのでね。

 この一節は、実は、本文上の異同があって、「御祓などことに」を「御祓ななせに」とする写本があり、現代の注釈書もどちらを取るかで意見が分かれています。それで、そちらに学者さん達の注意は向いてしまっているのでしょうが、予備校屋的には敬語の不一致の方が大問題というわけです。

 んで、解決法です。「仕まつる」の後に句点を打たず、「仕まつる堀江」という本文にして主体を明石の君一行にしてしまうのはいかがかと。

 つまり、堀江で祓をしている明石の君一行を、住吉参詣を切り上げてあたりを逍遥する源氏が遠目に見て、「今はた同じ難波なる」と元良親王の古歌を口ずさむと取るわけです。

 このように読むと「堀江のわたり」を御覧になっていた源氏が元良親王歌を口ずさむ心理的な流れが良くなります。明石一行を遠望して「同じ難波にいる」と口ずさむのだから当然です。逆に言うと、源氏が祓をすると読んだ場合、なぜ「堀江」を見て、元良親王歌が脳裏に浮かぶのか、ちょっとわかりにくくなります。

 

 と土曜夜には思ったのですが…

 夜寝ながら、祓の主体は陰陽師なので、上記の文章中の「仕うまつる」は、「(陰陽師が源氏に)して差し上げる」と読めば良いことに気づきました。もしかして諸注釈はそう読んでいるのかしらん。そうと分る記述はあまり見当たりませんが、それでも岩波文庫の「盛大にご奉仕する」などという注はその筋を言っているのかもしれません。

 しかし、一旦、明石一行の祓と読んでしまうと、どうもその方がお話の流れが良さそうな気がしてきます。

 というのは、まず、この場面の少し前に明石の君が「今日は難波に舟さしとめて、祓をだにせむ」と思っていて、難波の祓に来ていることが明らかであること。明らかであるから人物の想定はでき、ここで明石の君という人物に触れないことに不自然さはありません。

 加えて、もし、源氏の祓と読んだ場合、その間、明石一行は何をしているのかということ。この後、源氏は明石の君に和歌を送りますから、周辺にいなければなりません。

 さらに加えて、上記のように源氏は「堀江」を見て元良親王歌を口ずさみますが、そのことが明石の君への贈歌につながるという話の流れの中で「堀江」の意味を考えた時、そこに明石の君がいた方が自然です。

 その場合、この前後では明石の君に敬語は使われていませんから、「仕まつる」という敬語は、「行為の向かう先を高める働きを失い、単に主語を低める」(三省堂『詳説古語辞典』)ということになるのでしょう。

 明石の君の祓と取ると、上記の部分の訳は次のようになります。

 「神のお導きをお思い出しになるのにつけても疎かな気持ちではないので、『せめてちょっとした手紙だけでもやって心を慰めたい。かえって来合わせない方がと思っているだろうよ』とお思いになります。御社をお立ちになって、所々に遊覧をし尽くしなさいます。明石一行の人々が難波の御祓などのことを格別に厳めしく奉仕している堀江の辺りを御覧になって、『いまはた同じ難波なる』と澪標を歌った昔の恋歌を無意識に口ずさみなさっているのを…」

 自然な話の流れだと思います。

 もしかして、勘違いが怪我の功名になったかも…。

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2024年6月28日 (金)

一年ぶりのぜいたく?

 昨日は夜だけ仕事の日でした。

 午前十一時、デスクワークするワタシの所に世にも嬉しそうな満面の笑顔で、Yがやってきました。

 「まだそれほど暑くなさそうだし、お腹空きました!」

 ほほう、珍しく行く気か。

 ということで行ってきました、Yさん大大好きな「つばき食堂」。

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 ↑ワタシのネギみそ中です。

 もしかすると、この時以来かもしれません。

 Yの不思議な経済感覚だと、「ぜいたくしちゃいマシタ~」ってことになるらしいです。でも、二人でお腹一杯食べて1500円程度なんですが…。~o~;;

 

 <後日記>

 九月に行ってました。それでも九か月ぶり。

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2024年6月26日 (水)

つゆ草の庭蓬の宿

 最近、我が家のネコの額では、つゆ草が花盛りを迎えています。

 花盛りとは言っても、単なる雑草のことですから、まあ見栄えはしないんですが…。

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 んで、蓬の宿なんですが、先日、『蓬生』巻について書いたことの補足です。

 「四つのセンテンスのうち、三つが『…見捨て奉りがたきを。』『ゆるさせたまへとてなむ』『あはれげなるさまには。』と言いさしです。いかにも泣きながら(泣くふりをしながら)言っていそうなんでね。」

 と書いたんですが、このパターンは、実は『源氏』の中にしばしば登場します。例えば、『桐壺』巻、靫負命婦の弔問を受けた更衣の母君は、

 「『…いと恥ずかしうなん』とて、げにえたふまじく泣いたまふ」

 係助詞「なん」を用いた結びの省略で会話文を言いさし、泣き出します。

 『紅葉賀』巻でも、自分を捨てて出ていこうとする源氏に対して源典侍が、

 「『今さらなる身の恥になむ』とて、泣くさまいといみじ」

 やはり「なむ」の結びの省略で言いさし、泣き出します。

 『蓬生』巻でも、出ていこうとする侍従に対して、末摘花は、

 「『誰に見ゆづりてかと恨めしうてなむ』とていみじう泣いたまふ」

 同様の結びの省略で言いさし、泣き出しています。

 この会話文の言いさしは、多分、現代の作者であれば、三点リーダー「…」を使って表現するんでしょう。ところが紫式部には三点リーダーどころかカギカッコ「 」や句読点さえありません。三点リーダーもカギカッコも句読点も無い世界で、言葉を最後まで言い切れず泣き出すというシーンを活写するのは、難しかろうと思うのですが、結びの省略に「とて」を組み合わせることでそれを実現しているというわけです。

 おそらく、先日の「泣くふり」の描写は、これら表現テクニックの応用なんでしょう。三点リーダーがもし平安に存在したら、きっと、もっと楽に表現できたんじゃないでしょうか。

 逆に我々現代の読者は、三点リーダーもカギカッコもない世界の表現を想像しながら解釈する必要があるってことじゃないかしらん。

 例えばこんな場面も、三点リーダーとカギカッコがあったら…。

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2024年6月25日 (火)

亭主にやらせろムラの寄り合い

 日曜日、我が〇〇村では子供会のイベントがありました。子供達だけで連れ立って、東村山のスポッチャと言う施設に遊びに行ったとか。

 本当は、〇〇村の三家族で小金井公園でBBQという予定だったのですが、お天気があまりBBQ向きではないということで急遽決まりました。

 夕方まで、ワタシは必死のデスクワークで某東大対策添削を完成させ、準備万端。

 子供達が返って来る時間に合わせて、ムラの寄り合いがありました。まあ、早い話、三家族で飲みに行くってこと。

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 昨夏、Yと二人で行ったお好み焼き屋さんでした。

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 大人のテーブルのもんじゃは、何故か三つとも亭主調理。手前のはワタシ作でした。まあまあ、じゃないかしら。

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 お好み焼きもワタシ作。

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 子供達は、もう勝手に自分達で焼いて自分達で食べます。楽しい食事会だった模様。

 大人達もいろいろ情報交換して、有意義な寄り合いでした。

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2024年6月21日 (金)

おだやかでもどかしい木曜

 昨年に続いて施設の母が誤嚥性肺炎を起こしてしまいました。

 木曜は、仕事が夜だけの日なので、Yと一緒に相模湾沿いの街に面会に行ってきました。前日に面会に来た姉によると、呼吸がぜいぜいと苦しそうだということで心配していたのですが、この日は熱も下がり、呼吸の方も改善されていました。

 ベッドに寝たきりで酸素のチューブを鼻につけていましたが、昨年の誤嚥性肺炎の時に比べると、頭もしっかりしていて、我々を認識してくれたようでした。おだやかな体調と言って良いと思います。

 しかし、歯の具合があまりよくないらしく、発音が不明瞭になります。母は我々が入室してすぐにしゃべり出したのですが、最初、一言も理解できませんでした。時々、自分で可笑しかったらしく、笑うような口調になります。

 後でYに確認したら、確かに笑っているようだったとのこと。だから、機嫌は悪くないんでしょうし、意識ははっきりしているのですが…。

 Yと一緒に聞き取りを続けているうちに、いくつか聞き取れる言葉が出てきました。

 Yは、「多分なんですけど、『アタシも88才だから、もうダメだよ』って言ってたと思います」というんですが、お母さん、また、若返っちゃったか。

 結局、「もう帰んなさい」と言われて、「またすぐに来るからね」「わざわざ来なくて良いよ」というやり取りをして退出してきました。

 本人も言葉が通じずにもどかしかったたんだろうと思います。なんとかもう一度、3月の時の状態にもどってくれると良いんですが。

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2024年6月19日 (水)

アプローチと底意地の悪さの水曜

 水曜は仕事がお休みの日です。

 前日、書斎で仕事中のワタシの所にYが嬉しそうにやってきました。「明日は晴れて暑くなるらしいけど、朝の内なら、まだそんなに気温上がらないと思うんデスヨ」ナルホド。

 こいつの考えることは分かります。なにしろ、先週は怪進撃だったからね。~o~;;

 今朝、娘(仮称ケミ)を学校へ送り出してから、いつもの打ちっぱなしへ。

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 いつもの7アイアンを練習後、PWのアプローチを練習↑。

 先週全くスコアの上では敵わなかったワタシですが、唯一、Yを感心させたのは、9番でのワタシのグリーン回りのアプローチ。Yクンはぶきっちょなので、スピンを掛けて止まるアプローチなんて打てないんです。

 ちょっと教えて練習させました。ぜーんぜん出来ません。あはははは。

 さて、それとは関係なく『源氏』の話です。『蓬生』巻。大弐の北の方となった叔母が末摘花を女房にして連れて行くために、源氏に忘れられたままで荒れ果ててしまった常陸宮邸を訪れて、末摘花をかき口説く場面です。

 「『出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。(中略)などかうあはれげなるさまには』とて、うち泣くべきぞかし、されど、行く道に心をやりていと心地よげなり」

 と言う本文に対して、『小学館 新編日本古典文学全集』は、次の訳を付します。

 「『いよいよ旅立とうと思いながら、おいたわしい有様がとてもお見捨て申すこともできないのです。(中略)どうしてこんなに見るも哀れな有様では』と言って、普通なら当然泣き出してしかるべきところだが、しかし、これから赴く任国への道に思いを馳せて、まことに心地よさそうにしている」

 ところが、『旧全集』は、

『いよいよ旅立とうと思いながら、おいたわしい有様がとてもお見捨て申すこともできないけれど、(中略)どうしてこんなに見るもあわれな有様では』と言って、まるで泣きそうにしている、しかしこれから行く任地に思いを馳せて、まことに心地よさそうな面持ちである」

 つまり、『旧全集』は、叔母が泣くふりをしながらも任地での贅沢な生活を考えて心地よさそうな面持ちと取るのですが、『新編全集』は泣くべきところなのに心地よさそうにしていると取るわけです。

 実は、現在出版されている主な注釈書は真っ二つに分かれます。

 <泣くふり説>『玉上琢彌 源氏物語評釈』『旧全集』

 <泣くべき説>『岩波書店 古典大系』『新潮社 日本古典集成』『小学館 完訳日本の古典』『岩波 新日本古典文学大系』『岩波文庫』

 『旧全集』は、「うち泣くべき」の頭注に「次の『されど…いと心地よげなり』を読めば、これが本心からでないことが知られる」とあることから、故A先生の読み方です。一方、『完訳』から変わったということは、故S先生が「泣くべき」に変えたということでしょう。

 <泣くふり説>の玉上博士と故A先生には共通点があります。お二人とも、京都以外の御出身ながら京都で青年期をお過ごしになったこと。

 昔、授業中に故A先生は、旧制三校の同級生の方のお宅に伺った時の「京の茶漬け」のような実体験を紹介なさって、「我々田舎者は、『源氏』にはそういう人達が出て来るものと思って作品に対峙しなければなりません」とおっしゃっていました。

 つまり、玉上先生も故A先生も京の人の口腹相反する底意地の悪さを身に沁みて知っていて、それを読みに反映したということじゃないかしらん。~o~

 そちらが正解だと思います。この叔母の台詞をよく読んでみると、四つのセンテンスのうち、三つが「…見捨て奉りがたきを。」「ゆるさせたまへとてなむ。」「あはれげなるさまには。」と言いさしです。いかにも泣きながら(泣くふりをしながら)言っていそうなんでね。

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2024年6月17日 (月)

初めての有料

 一昨日の夜、突然、話が持ち上がりました。「日曜は味スタに行こう」

 今週の日曜は、娘(仮称ケミ)のタケトレがお休み。ワタシも仕事は一段落しているし、天気は良さそうだし。調べてみると、味スタのvs磐田戦は18:00キックオフ。それなら、9時頃には帰って来れます。

 チケットを取りました。我が家の三人とも有料観戦は初めて

 まず、Yとワタシが15時頃出掛けます。目的はもちろん、

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 コレ↑。

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 サポーターの皆さんも盛り上がってます。

 17時頃にケミさんが合流。入場します。ケミさんは初の味スタ。

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 我々が入場した頃はこんな感じでしたが、徐々にスタンドは埋まっていきます。

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 アウェイチームのサポーターはキックオフ1時間前からすごいハイテンション。我々はアウェイ側のメインスタンドだったので、この大騒ぎはちょっと耳にこたえました。

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 ホームチームもゲーム開始直前になると、盛り上がり始めます。

 盛り上がりをよそに我々は、

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 昨年美味しかったローストビーフ丼。

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 シーフードパエリア。

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 シュラスコ丼など、スタグルを堪能。ピクニック状態でした。

 ゲームは前半磐田がコーナーキックから先制。後半、FC東京はアメリカ遠征帰り中2日の松木、荒木を投入して攻勢に転じ1点を返してなおも攻め続けますが、結局、1-1のドロー。

 今回、気付いたのですが、ユニ着ているサポーターたくさんいるのに、10番を着た人がただの一人もいませんでした。これ、多分珍しいことだと思います。ここにこのチームの問題点がありそう。ヒガシどうした?

 武蔵境を回って帰宅は21時でした。

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2024年6月16日 (日)

一生懸命と大人の矜持と白エビ天の土曜

 土曜日は娘(仮称ケミ)の授業参観の日でした。

 昨年まで土曜に仕事が入っていたので行けませんでした。今年、土曜の仕事を切った効果はこういうところにも表れます。ホント、切って良かったヨ。

 三時間目の古典から参観させてもらいました。若い女性の先生でちょっと解りにくいとケミさんから聞いていました。覚悟して行ったのですが、いや、とても一生懸命に教えてくれています。

 多分、古典の教師を始めて2~3年くらいじゃないかしら。大事なところも大事でないところも全部一生懸命。しかも、落ち着きがなく、焦っている気持ちが聞いている全員に伝わってきます。

 こいうの初々しいと感じてしまうのは、自分が古だぬきであることの裏返しでしょうかねえ。~o~;;

 昔、オレもこんなだったかなあ、35年ほど前は。

 でも間違ったことは教えてなかったし、彼女にはこれから先に期待したいです。

 ケミさんも、「R子(女性の先生のお名前をここの生徒は呼び捨て、あるいは「~ちゃん」と友達のように呼びます。まあ、女子校らしいってことか)は、判りにくいけど、しょうがないよねってクラスのみんな言ってる」

 大人だなー。

 四時間目の代数は40代くらいの男性の先生でした。学年主任でもあります。この人はさすがに落ち着いて、しかも声量十分でパワフルなしゃべり方を一時間続けました。こういうのエネルギー消耗するんだよな、とはやはり同業者の感想ですかね。

 内容的にもとてもわかりやすく、かつ、生徒に対する信頼と矜持「君達はあの入試を通ってるんだから、このくらい解りますよね」が伝わってきます。生徒もそれを好意的に受け入れてる感じでした。

 今回は、さすがに居眠りしている子はいませんでした。二人ほどしか。

 でもやっぱり、自由な雰囲気はわかります。休み時間に個々にしゃべっているのを見るとまだまだ子供だと思うのですが、各自が判断を尊重しあってる感じで、妙にオトナです。

 ケミさんはその中でも落ち着いている感じで、クラスの中に自分の居場所を確保してる感じがします。ちょっとホッとしました。

 授業参観後、Yは保護者ランチ会と保護者会に出席すべく残り、ワタシだけ帰りました。帰宅途中、学校の最寄り駅近く評判高い立ち食い蕎麦屋で昼食。

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 こういう店で、

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 メニューが豊富なのですが、特に、天ぷらの種類の多さがウリです。

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 掛けそばに「白エビかき揚げ天」と「ゴーヤ天」載せ。これで720円は驚きのコスパです。蕎麦自体もなかなかのものでした。

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2024年6月15日 (土)

疲労困憊父娘の金曜

 昨日の金曜日、朝刊を取るために郵便受けを見たところ、ウチの予備校の封筒が入っていました。昨日、気付かなかったのか。

 驚いたことに、例のワタシの成績表でした。今年は、少し早くアンケートを取っていたようだったのは知っていたのですが、こんなに早く郵送してこようとは。

 朝食前に計算してみて…。うーーむ。

 ここのところ、授業で失敗というのをほとんどしなくなっているので油断していたのですが、うーーーむ、浪人の教科平均が異常に高い。

 苦手なはずの高校生は平均を上回っているんですが、得意なはずの浪人でヤラレました。そういえば、学力低位クラスの空気を掴みそこなっていたか。

 こういう気分で仕事に出掛けるのは、ちと疲れるのですが、仕方ありません。金曜の授業のクラスは高い評価をしてくれているので、彼らのせいじゃないからね。

 疲労困憊してはいても、この日はノンビリできません。授業後、一旦自宅へ帰った上で、今度は娘(仮称ケミ)を池袋のICIカスタムフェアに連れて行かなければなりません。

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 昨年同様、池袋サンシャインシティのカスタムフェアでコーチにマテリアル相談でした。ワタシはその後、池袋で授業があります。時間的にはかなり切迫しています。

 娘と学校近くの駅で待ち合わせてそのまま池袋へ。相変わらず、池袋は大変な人出です。田舎者のケミさんは、人の多さにゲンナリしていました。

 カスタムフェアも大変な人出でした。

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 東京でスキーする人ってまだこんなにいるのか、と思わされるほどですが、これで金曜ですからねえ。土日はどうなるんでしょう。

 板の相談を済ませて、ケミさんにブーツを試し履きさせました。ブーツの中の足の感覚をコーチと一緒に聞いてみるのですが、かなり詳細に答えてくれます。

 うーーむ、レーサーってスゴイ。

 ワタシ自身、ブーツを試し履きしてこんなに詳細に感覚を語れるかどうか、自信ありません。ヤッパリ、本物はスゴイな。

 とこちらは感心ばかりしていたのですが、ケミさんは、カスタムフェアの人の多さに相当疲れたらしいです。

 結局、相談途中でワタシだけ仕事に出掛け、ケミさんはブーツを決定して一人で帰宅しました。疲労困憊していたとか。

 まー、こういう日もあるよ。

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2024年6月14日 (金)

「古き女」は何嘆く~『源氏物語』に関する些細なこと26

 『蓬生』の巻を読んでいます。源氏の須磨流離の間の常陸宮姫君の旧弊と窮迫のさまを執拗なほどに丁寧に丁寧に描いて行く筆の運びを見ていると、うーーーーむ、なんてぇ女だ紫式部、と思います。

 間違えなく言えるのは、紫式部は、きっと末摘花っていう登場人物が大好きだったんでしょうね。

 さて、その『蓬生』巻冒頭近くに、末摘花に仕える古参の女房が源氏流離による窮乏生活を嘆く箇所が出てきます。

 「『(源氏の君の心配りは)ありがたう見たてまつりしを、おほかたの世のことといひながら、また頼む方なき御ありさまこそ悲しけれ』とつぶやき嘆く。さる方にありつきたりしあなたの年ごろは、言ふかひなきさびしさに目慣れて過ぐしたまふを、なかなかすこし世づきてならひにける年月に、いとたへがたく思ひ嘆くべし」

 『新編日本古典文学全集』は上記のような本文に対して、次のような訳を当てます。

 「『(源氏の君の心配りは)信じがたいような思いでしたのに、移り変わるのは世の習いとは申すものの、ほかには頼るお方とてない姫君の御身の上が悲しゅうございます』と、ぶつぶつ嘆いている。そうした貧しいお暮しが普通になっていた昔の幾年かは、言いようもない寂しさも、それなりにあたりまえのこととしてお過ごしであったものを、なまじ多少とも世間並のお暮し向きになじんで年月をおくってきたために、女房たちはじつに辛抱できない思いで嘆いているのであろう」

 訳文を読んで、何だかちょっと変な感じがするはずです。女房のつぶやきの後の部分、主語は誰なんだろうと思うはずなんです。

 実は、「言いようのない寂しさも、それなりにあたりまえのこととしてお過ごしであった」の部分だけは尊敬語がついているので姫君なんです。

 これは、他の注釈書の記述だとよりはっきりします。例えば『玉上琢彌 源氏物語評釈』の該当部分の訳は、

 「嬉しいことと拝んでいましたに。われらには関係ない出来事とは申すものの、あのおん方のほかには頼み所のないお身の上が悲しいこと」と、ぶつぶつ嘆くのである。そんな貧しい生活が不断のことであった過去の幾年かは、お話にもならない寂しさも特に何とも思いはせず(姫は)お過ごしであるが、なまじ少し人並みな生活をしてみた日々のため(女房たちは)こらえきれない思いで嘆くのであろう」

と(  )をつけて主語を補っています。

 ( )付きでの主語の補いは、裏を返せば、それをしないと人物が把握し難いということ。特に、末摘花の動作である「言ふかひなきさびしさに目慣れて過ぐしたまふを」は唐突な感じです。訳文を読んでもここは不要な感じがします。主体の交代は違和感しかもたらしません。

 現代の注釈書、『新潮社 日本古典集成』『小学館 日本古典文学全集』『岩波書店 日本古典大系』『同 新日本古典文学大系』『岩波文庫』は大同小異です。

 『源氏物語大成』を見ると、この箇所は、「過ぐしたまふを」を「過ぐしたまひしを」となっているものがわずかにある程度。本分の異同はほぼないに等しいです。

 さて、この問題はどう解決したら良いでしょうか。

 そもそも、解決を求めなければならないほどの違和感でもないのかもしれません。少なくとも、これまでの注釈書類の処理を見ると、特に解決しようとしていないようです。

 でも、このブログは「重箱の隅」に興味があるので、ね。

 解決策は、前後の文章全体の構造に着目することでした。「古き女ばら」のつぶやきの後、「つぶやき嘆く」とあり、引用箇所最後で「思ひ嘆くべし」とあります。つまり、「古参の女房は『(A)』とつぶやき嘆いている。(B)思い嘆いているのに違いない」という文章構造になるのですが、それは、(A)の嘆きを(B)で解釈説明しているように読めるのです。

(A)の嘆きの中心は、玉上博士の訳文によれば、「あのおん方のほかには頼み所のないお身の上が悲しいこと」です。つまり、源氏以外に頼る者のない末摘花の身の上を嘆いているのです。

 一方、その解釈説明になりそうな(B)というと、「過去の幾年かは、お話にもならない寂しさも特に何とも思いはせず(姫は)お過ごしである」になるのではないでしょうか。つまり、末摘花が「寂しさを特に何とも思いはせずお過ごし」だったから、「あのおん方のほかに頼み所のないお身の上」となったと。

 末摘花は、源氏以前には寂しい暮らしを何とも思わず、恋愛経験を持っていなかったのですが、そのために源氏流離後に頼る者がいなくなったと古参女房は嘆いたのではないかというのです。早い話が、この古参女房は、「昔、源氏の君以外の男にもちょっとコナ掛けときゃ、源氏いなくなっても飯のタネには困んなかったんじゃないのー」と嘆いてたんじゃないのかという推測が「(B)思い嘆いているのに違いない」なんじゃないかと。

 おそらく、具体的には、この古参女房の念頭には頭中将があるのかもしれません。あの時、頭中将様にも色よい返事をしとけば、源氏の君がいなくなったところで頭中将様が乗り出してきたんじゃないかしら、と。

 その辺りをはっきりさせて引用部分の訳文を作ると、こうなります。

 「『(源氏の君の心配りは)滅多にないことと拝見していましたが、世の中の常とは言いながら、他に頼りにする男の方がいない今の姫君のありさまは悲しいことです』とつぶやき嘆いています。そんな拠り所のない状態で落ち着いていた昔の何年もの間は、姫君がどうしようもない寂しさに慣れて他の男の方に見向きもせずにお過ごしになったことを、女房達は、かえって少し世間並みの生活で馴れてしまった年月のために、今はたいそう耐え難いと思い嘆いているに違いありません。」

  この訳のキモは、今までの注釈書が接続助詞として処理していた「過ぐしたまふを」の「を」を格助詞として取り、「過ぐしたまふを」を「思ひ嘆くべし」の目的語として処理したこと。

 この解釈、定家以来の源氏研究の800年間で誰もやってないはずなんですが、どうなんでしょう。正しそうな気もします。

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2024年6月13日 (木)

怪進撃の初夏

 昨日の水曜は仕事のない水曜。

 娘(仮称ケミ)は英語のテストがあるとかで早起きして泥縄を綯った末に、やはり出がけに我が家の英語の先生に感嘆文でのWhatとHowの使い分けというワタシでも判りそうな質問をして…。懲りないヤツだなー。~o~;;

 帰宅後に英語の先生にかなり叱責された模様。

 一方、我々は、暑い中を打ちっぱなしまで歩き、

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 二人ともまあまあ。お互い、チェックポイントがはっきりして、自分で修正出来るようになってきました。

 ただし、この日は暑かったので二人とも結構バテました。

 今日の木曜は夜だけ仕事の日。毎年恒例、板をチューンナップに持って行き、南大沢へ回って買い物の日にしようと思ったんですが、その前に、

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 久々に青梅に行ってきました。前日が暑くてバテたので、Yは気が乗らないと言っていたのですが、始めてみるとYクンなかなか好調で、

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 3番の池越えも堅実に手前に刻んで第二打をグリーン周りまで飛ばし、何とかここをトリプルボギーでまとめると、

 4番で、ナント、2オン1パット、人生初のパー!

 一方、ワタシは最初こそマアマアの出だしだったのですが、池越えで9アイアンでも越えるだろうとチャレンジして池ポチャ。4番ではYのパーに気圧されたということか、パットが行ったり来たりして8の大叩き。

 その後もYの快進撃は止まりません。得意の6番7番8番を連続ボギー。どうしちゃったんだ。

 と思っていたら、ナント、最終ホールも、1オン2パットのパーですとぉ。

 何でも、練習場で7アイアンの当たりが悪かったので、7を諦めて9アイアンとピッチングだけを使ったんだそうです。それに、この日の彼女はパットのフィーリングが絶妙でした。

 「もしかして、アタシ、ゴルフ向いてるカモ」だと。  

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 まあ、このベストスコアを出されちゃ、何も言えませんね。

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2024年6月12日 (水)

「ことわりなれど」の行く先~『源氏物語』に関する些細なこと25

 本当に久々に「些細なこと」。『源氏物語』の重箱の隅をつついてみました。

 「澪標」巻の巻末近く、六条御息所亡き後、娘の前斎宮と挽歌を贈答した源氏が感慨を述べる箇所です。この時、源氏は六条御息所から娘に手を出さないよう遺言で釘を刺されています。

 「今は心にかけてともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし、と思すには、例のひき返し、いとほしくこそ、故御息所のいとうしろめたげに心おきたまひしを、ことわりなれど、世の中の人もさやうに思ひよりぬべきことなるを、ひき違へ心清くてあつかひきこえむ」

 この本文に対して、小学館『新編日本古典文学全集』では次のような訳をつけます。

 「今は心にかけてなんなりとも言い寄ることができるのだ、とお思いになるにつけても、しかし一方では、また例によって思い返し、『それもおいたわしいことだ。亡き御息所がいかにも気がかりな面持ちでお心を残してゆかれたのだから。その心配ももっともなことだし、世間の人もこの自分に対してやはり同じような邪推をしかねないことでもある、ここはひとつ翻して潔白な心でお世話申しあげよう」

 この訳文のうちの「ことわりなれど」に対応する「その心配ももっともなことだし」が今回の重箱の隅です。

 本文は「なれど」と逆接の接続助詞「ど」を用いているのに、訳文は二つのものを並列させる接続助詞「し」で処理されています。これは、つまり、亡き御息所の心配を「ことわり」と当然視する表現と、世間の人が御息所と同じ邪推をするという表現が逆の内容ではなく、むしろ類似内容であるところから、そのように処理せざるを得ないというわけです。

 現代の諸注釈では、『小学館 完訳日本の古典』はまったく『新編全集』と同様。『岩波書店 日本古典文学大系』は「ことわりなれど」に注をつけていません。

 一方、『玉上琢弥源氏物語評釈』『新潮社 日本古典集成』『小学館 日本古典文学全集』『岩波書店 新日本古典文学大系』『岩波文庫』は「無理もないが」「道理であるが」と軽い逆接や前提を表す「が」で逃げます。

 しかし、まず、「ど」は類似の表現にはなりません。一方、前提を表す「が」の処理は前後が類似内容過ぎてやや違和感があります。『小学館旧全集』が「が」で処理していたものを『完訳』になった時に「し」と直したのは、完訳から参加なさった故S先生も、前提の「が」の処理に違和感を感じていたのではないかと思われます。

 そもそも、『小学館 旧全集』頭注で、「『ことわりなれど』は、上の内容への注記的な評言であろうが、落ち着きのわるい挿入句である」とあるのは、この「ど」に、頭注をつけた故A先生が「し」にも「が」にも疑問を抱かれたからでしょう。

 『源氏物語大成』によれば、この部分に本文の異同はありません。

 このような少し無理めの解釈は、「ことわりなれど」の先、「世の中の人も…」の解釈に原因があると予想されます。この部分の解釈は実は古注釈に起源があり、『湖月抄』頭注に

 「御息所の遺言の旨はことわりなれど、今は斎宮も源のままなれば、世の中の人も定めて源の物にし給ふべしと思いよるべき事なるを」

とあるのを現代の諸注釈も踏襲したものと思われます。

 この問題、実は簡単に解決するものと思われます。「世の中の人もさやうに思ひよりぬべきこと」という本文の「思ひよる」を、「思い当たる・気がつく」の意で取ってしまったことに問題があるのです。

 古語「思ひよる」には、「思い当たる・気がつく」の意と「好意を抱く・心ひかれる・求愛する」の意があります。「世の中の人も思いあたる」とするから問題が起こるのであって、「世の中の人も心ひかれ求愛する」と取ってしまえば良いのです。

 つまりこういうことです。「世の中の人もさやうに」の「さやう」は、引用文冒頭源氏の心内語「今は心かけてもともかくも聞こえ寄りぬべき」を受けていたと取ればよいのです。自分の愛人が遺した二十歳の美貌の娘には、源氏が情欲を突き動かされかけたように、世間一般の人もそそられるはずだというわけです。

 源氏は、遺された斎宮に対して、思いのままに言い寄ることができると考えそうになるのですが、思い返して、それは気の毒だと考えます。「御息所が心配して遺言していったことは、それは心配するのが道理のことであるけれど、世間一般の人だってこういう仲であれば自分のように『思いのままに言い寄ることができる』と考えて当然だ。だが、しかし、自分は違う。逆に斎宮に邪念をもたずお世話しよう」と決意した源氏は、この娘を入内させて外戚政治の道を歩むことになる。

 そういう話だと取れば良いのです。訳文は、次のようになります。

「今は思い通りにどのようにも言い寄り申し上げることができるのだよ」とお思いになるにつけて、例によって思い返して、「それもお気の毒なことだ。故御息所がそのことをたいそう心配そうに気に掛けていらっしゃったが、それも道理であるけれど、このような仲では世の中の普通の人でもそのように懸想じみた心を抱いてしまうのは当然のことである、だが、しかし、自分はそれとは逆に邪念ない有様でお世話し申し上げよう」

 これで良いんじゃないでしょうか。「ことわりなれど」に疑念を抱かれた故A先生、これでどうでしょう。

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2024年6月10日 (月)

はやとちり感謝のF'day

 昨夜、夕餉の膳についたところで、Yが高らかに言い放ちました。「今日は父の日なのでお刺身デス」

 あちゃー。

 実は、午後、娘(仮称ケミ)とYが一緒に買い物に行きました。さらに、夕食前に台所で一緒に何かやっていました。うーーむ。

 父の日は六月の第三日曜。

 などと覚えてなくても、街のあちらこちらに「6.16 Father's day」って書いてあるんですけど、ね。~o~;;

 というわけで、昨日の夕餉は、

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 父の日の御馳走が並びました。奥左はY特製、「鳥の胸肉ブロッコリーコーンの炒め」。奥右は、広島県相原酒造さんの「UGO JUBAR」。奥中央は京都府城陽酒造さんの「純米生 徳次郎」。

 デザートは、

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 ケミさん特製の牛乳寒天。

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 中にフルーツ缶が入ってます。

 まあ、忘れてるよりははるかにありがたいです。早とちり前倒しの父の日。~o~

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2024年6月 9日 (日)

お疲れ様の銀座

 昨日、娘(仮称ケミ)は学校でした。Yはケミさんの登校を見送ってからお義母さんへの手土産を買いに出かけました。

 昼過ぎに我々は出かけました。この日は、お義父さんのリタイアを祝う会があったので。

 お義父さんは普通のサラリーマンだったのですが、会社を定年退職後も知り合いの会社で経理の仕事を手伝っていました。しかし、今年85才になったのをきっかけとして完全にリタイアすることにしたんです。なかなかお見事な人生です。

 子供達と孫二人で完全リタイアを祝おうというわけで、銀座のお店に予約を取っていました。

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 久しぶりの銀座は歩行者天国でした。インバウンド系の人達、予想ほど多くなかったけど、やはり目立ちますね。

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 銀座七丁目の裏通りの店でした。銀座としては格安ながら個室を用意してくれる高級居酒屋って感じのお店です。

 お義母さんが昔銀座の近くに勤めていた関係で二人とも銀座には土地勘がある…。と思って油断していたら案外判りにくい場所だったらしく、かなり迷ったそうです。

 ケミさんは学校から直接銀座へ。従妹Iちゃんと話すのは本当に久しぶりです。Iちゃんは今までの子供ミュージカル劇団からヤングアダルト向けの劇団に移り、すっかりお姉さんでした。しゃべり方が演劇の発声トレーニングをやってる人になってました。

 乾杯の後、

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 瓶に入った茶碗蒸し。トマトとチーズ入り。

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 ランチコースのメニューと「くずしおひたし」。

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 トマト味の湯葉真丈。美味しかったんですが、Yは苦手の揚げ物にちょっとヤラれた模様。

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 サラダ、

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 鶏肉と進み、

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 カレイの天ぷらをYは楽しみにしていたのですが、もうすでに油にヤラれてたらしく、わずかに箸をつけただけでした。ワタシがほぼ二人前食べました。

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 炊き込みご飯の鰻丼。

 Y一族の集まりですから、当然、皆さんよく食べよく飲み、楽しく語りました。ここんとここういうの出来なかったから、四、五年分くらい話題が溜まってたってことで。

 最後は記念品と色紙の寄せ書きをプレゼントしてお開き。

 Iちゃんはそこから都内某所へ劇団のトレーニングに向かいました。我々はゆっくり帰宅。お疲れ様でした。

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2024年6月 8日 (土)

たわいたわい

 たわいない話を。

 先日、昼食時にYが「変な話ですケド、チサンに『少々ナンあり。尿臭い』って書いて安売りしているピーマンがありマス」と言い出しました。

 「チサン」というのは、駅近くの地産マルシェという農産物販売のお店です。

 「どうして『尿臭い」んでしょう。そんなの買う人いるのカシラ」と首をひねっています。

 木曜日、一緒に買い物に行って「地産マルシェ」を覗いてみました。まだありました。

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 Yは「尿臭い」ものに触れたくなかったらしく、ちょっと離れた所から見ていたらしいんです。「尻くされ」のピーマン。~o~

 ちなみに、「たわいない」を国語辞典で引いたら、[文語 たわいなし]と出てきました。古語辞典引いたら略して「たわい」と言う用例が『仮名手本忠臣蔵』に出てきました。「『御免候へ、たわいたわい』」などと使うとか。

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2024年6月 6日 (木)

快適ドライブと冬じまい

 昨日はこの三年続いている冬仕舞いの日でした。例年よりも少し遅らせたのはYの意向です。

 ちょうど、我が家の車が修理に出ていて代車を借りて来ていました。ウチの車は雪道仕様のため車高が高いのですが、代車は普通のセダン。車高が低くて快適な操縦性です。天気もドライブ日和でした。

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 苗場スキー場はすっかり夏になっていました。

 マンション掃除の後、例によって近くの空き地で、

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 フキはまだまだ盛りです。

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 ウドはやや育ちすぎだそうで、硬くなっている芽もありましたが、柔らかい所をウチのハンターさんが選別して収穫。

 今日は、夜のみの仕事なので、午前中、

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 本当に久々の打ちっぱなしでした。四か月ぶりです。その割に二人ともけっこう当たって大満足でした。

 午後、Yは獲物の処理。

 先ほど揚げたての天ぷらをちょっといただきました。

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 いやー鮮烈な山の香でした。独活の天ぷらつてこんなに美味いんだー。~o~

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2024年6月 5日 (水)

初夏の質問と疲れを癒すトマト

 一学期第七週が始まりました。ここからは一学期後半が一気に進みます。

 今年は、肉体的には余裕のあるはずのスケジュールなのですが、どうも精神的に疲れて来ているかも。時々しゃべりにキレがなくなります。

 こちらがそういう時期になる頃に、生徒さんの方では、今まで何となくモヤモヤしていた浪人がやる気を出して根本的な所を質問に来たりします。

 月曜日の授業終了後、今まで困っていたんだけど意を決して質問してみようかという感じの子が質問に来ました。

 「『ば・を・に』で変る主語が判らなくなるんですけど…」

 をいをい、その「『ば・を・に』で変わる主語」ってのは何処で教わって来たのかね。

 高校の先生でした。いるんですねえ、まだ。

 次の授業があるので、丁寧な説明はできませんでしたが、なるべく噛んで含めるように言い聞かせてあげたんですが…。どうだったんでしょう。

 火曜日、やはり授業終了後、追いかけて来た子が、何かテキストのようなものを見せて、

 「これやってて大丈夫でしょうか」

 昨年、「某〇タディサプリ」をやっていたのだそうです。そのテキストでした。

 初めてテキストを見せてもらったのですが、立ったままパラパラめくった範囲では当たり障りのない基本的なことしか書いてありませんでした。

 しかし、この本書いた人だからな。

 もう少し、普通の文法ドリルを勧めておきました。

 なんだか、疲れがドッと増したような…。~o~;;

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 そんな初夏の疲れを、どれほど癒してくれているのか分かりませんが、昨日の夕食は、Yクンの新料理ハヤシライスでした。トマト味がかなり鮮烈で良かったんじゃないでしょうか。貧乏性Yクンが舞台から飛び降りて購入したビーフもなかなか美味でした。

 我が家の定番料理としてレシピ保存しておいてくれや。 

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2024年6月 3日 (月)

ランナーの週末一年後の感慨

 日曜日、娘(仮称ケミ)は去年もあった陸上記録会でした。

 今年は、1500mに出場します。距離の長い方が適性がありそうで、ちょっと期待。

 実は少し前に都大会の予選があり、1500mで数秒遅れて予選を通れませんでした。その後、シューズを購入。陸上のシューズを履いての第一戦です。

 我々は、最初、見に行く気がなかったのですが、ケミさんが傘を持って行かなかったのに雨が降りだし、それを心配したYが傘を届けががてら行ってみましょうと言い出しました。

 ま、暇だったし。

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 去年と同じ武蔵野市陸上競技場。今年は雨の降る中です。

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 スタンドからはみ出して傘をさしての観戦でした。

 なかなか良いレースをしたのですが、ラストスパートで振り切られて5位でした。

 でも、今までの自己記録を6秒ほど更新したそうです。シューズのおかげでしょうか。

 一年前は初々しい新入部員で、ユニフォームだって借り物だったのに、今年は何だか堂々としてました。

 もちろん、ランナーとしてはこれからなんでしょうけどね。 

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2024年6月 1日 (土)

恒例23-24シーズン総決算

 シーズン終了は早かったのですが、この日の恒例なので半月遅れのシーズン総決算。今シーズンはこんな感じでした。

 2023年10月から2023年5月までの滑走日数は、ワタシが53日、Yが61日、娘(仮称ケミ)が79日でした。ケミさんは夏のNZ合宿を入れると94日です。ワタシは三年ぶりの50日越えでした。一方、Yは意外と伸びませんでした。12月と5月の小雪の影響とケミさんの土曜登校に付き合ったためでしょう。ケミさんは土曜に学校があった割にはかなり滑れました。でも、裏山を活用できたら、100日行ったかも。

 23-24シーズンにワタシが滑ったスキー場は、みつまたかぐらが12日、八海山と菅平がそれぞれ6日、戸隠と奥只見がそれぞれ4日、野沢温泉と尾瀬戸倉と軽井沢がそれぞれ3日、かたしな高原と志賀とよませと松之山が2日、イエティと苗場と富士見パノラマと田代がそれぞれ1日でした。国土エリア券で20日。一応元は取れてたかな。

 一方Yは、みつまたかぐら15日、八海山9日、菅平8日、奥只見5日、軽井沢4日、尾瀬戸倉3日、かたしな高原と野沢温泉と戸隠と志賀とよませと松之山がそれぞれ2日、狭山、苗場、富士見パノラマ、八方尾根、田代がそれぞれ1日でした。ケミさんは、みつまたかぐらが28日、菅平が10日、軽井沢9日、ほろたち8日、志賀5日、尾瀬戸倉、田代がそれぞれ3日、野沢、戸隠、よませ、松之山がそれぞれ2日、八海山、イエティ、狭山、津南、奥只見がそれぞれ1日でした。

 今シーズン我が家で購入したスキー用品は、ワタシのオールラウンド板SL板ウェアとゴーグル、Yのファットスキーブーツ、ケミさんのSL板とストックとヘルメットでした。

 ワタシのオールラウンドは試乗を重ねての購入なので、大納得。おそらくワタシのオーラウンド板史上最高の一台です。満足度は当然の★★★★★。一方SLは勢いで買っちゃったけど、マグレ当たりで満足度★★★★★。ウェアとゴーグルも納得できました。今シーズンはマテリアル的に大満足のシーズンでした。

 Yのファットは一度しか使ってないけど、本人とても満足していた模様。ブーツはシェルを硬くした関係で少しデリケートだったようですが、最後は上手くやれた模様。

 ケミさんのSL板は本人満足していたようですが、イマイチ結果が出なかったかな。

 雪不足のシーズンだったけど、ワタシ的にはかなり楽しいシーズンでした。身体が動いたから。レーサー復活なんかもあったし、まだまだいろんな可能性が残っていそうで、自分に期待したいです。

 ケミさんの今シーズンはNZ合宿での大幅な技術的進歩を受けて始まり、期待は高かったのですが、結果がもう一つだったのは、小雪の影響不運もあったとは思います。

 でもこんなこともあったし、来シーズンに大いに期待したいところです。

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