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2024年6月14日 (金)

「古き女」は何嘆く~『源氏物語』に関する些細なこと26

 『蓬生』の巻を読んでいます。源氏の須磨流離の間の常陸宮姫君の旧弊と窮迫のさまを執拗なほどに丁寧に丁寧に描いて行く筆の運びを見ていると、うーーーーむ、なんてぇ女だ紫式部、と思います。

 間違えなく言えるのは、紫式部は、きっと末摘花っていう登場人物が大好きだったんでしょうね。

 さて、その『蓬生』巻冒頭近くに、末摘花に仕える古参の女房が源氏流離による窮乏生活を嘆く箇所が出てきます。

 「『(源氏の君の心配りは)ありがたう見たてまつりしを、おほかたの世のことといひながら、また頼む方なき御ありさまこそ悲しけれ』とつぶやき嘆く。さる方にありつきたりしあなたの年ごろは、言ふかひなきさびしさに目慣れて過ぐしたまふを、なかなかすこし世づきてならひにける年月に、いとたへがたく思ひ嘆くべし」

 『新編日本古典文学全集』は上記のような本文に対して、次のような訳を当てます。

 「『(源氏の君の心配りは)信じがたいような思いでしたのに、移り変わるのは世の習いとは申すものの、ほかには頼るお方とてない姫君の御身の上が悲しゅうございます』と、ぶつぶつ嘆いている。そうした貧しいお暮しが普通になっていた昔の幾年かは、言いようもない寂しさも、それなりにあたりまえのこととしてお過ごしであったものを、なまじ多少とも世間並のお暮し向きになじんで年月をおくってきたために、女房たちはじつに辛抱できない思いで嘆いているのであろう」

 訳文を読んで、何だかちょっと変な感じがするはずです。女房のつぶやきの後の部分、主語は誰なんだろうと思うはずなんです。

 実は、「言いようのない寂しさも、それなりにあたりまえのこととしてお過ごしであった」の部分だけは尊敬語がついているので姫君なんです。

 これは、他の注釈書の記述だとよりはっきりします。例えば『玉上琢彌 源氏物語評釈』の該当部分の訳は、

 「嬉しいことと拝んでいましたに。われらには関係ない出来事とは申すものの、あのおん方のほかには頼み所のないお身の上が悲しいこと」と、ぶつぶつ嘆くのである。そんな貧しい生活が不断のことであった過去の幾年かは、お話にもならない寂しさも特に何とも思いはせず(姫は)お過ごしであるが、なまじ少し人並みな生活をしてみた日々のため(女房たちは)こらえきれない思いで嘆くのであろう」

と(  )をつけて主語を補っています。

 ( )付きでの主語の補いは、裏を返せば、それをしないと人物が把握し難いということ。特に、末摘花の動作である「言ふかひなきさびしさに目慣れて過ぐしたまふを」は唐突な感じです。訳文を読んでもここは不要な感じがします。主体の交代は違和感しかもたらしません。

 現代の注釈書、『新潮社 日本古典集成』『小学館 日本古典文学全集』『岩波書店 日本古典大系』『同 新日本古典文学大系』『岩波文庫』は大同小異です。

 『源氏物語大成』を見ると、この箇所は、「過ぐしたまふを」を「過ぐしたまひしを」となっているものがわずかにある程度。本分の異同はほぼないに等しいです。

 さて、この問題はどう解決したら良いでしょうか。

 そもそも、解決を求めなければならないほどの違和感でもないのかもしれません。少なくとも、これまでの注釈書類の処理を見ると、特に解決しようとしていないようです。

 でも、このブログは「重箱の隅」に興味があるので、ね。

 解決策は、前後の文章全体の構造に着目することでした。「古き女ばら」のつぶやきの後、「つぶやき嘆く」とあり、引用箇所最後で「思ひ嘆くべし」とあります。つまり、「古参の女房は『(A)』とつぶやき嘆いている。(B)思い嘆いているのに違いない」という文章構造になるのですが、それは、(A)の嘆きを(B)で解釈説明しているように読めるのです。

(A)の嘆きの中心は、玉上博士の訳文によれば、「あのおん方のほかには頼み所のないお身の上が悲しいこと」です。つまり、源氏以外に頼る者のない末摘花の身の上を嘆いているのです。

 一方、その解釈説明になりそうな(B)というと、「過去の幾年かは、お話にもならない寂しさも特に何とも思いはせず(姫は)お過ごしである」になるのではないでしょうか。つまり、末摘花が「寂しさを特に何とも思いはせずお過ごし」だったから、「あのおん方のほかに頼み所のないお身の上」となったと。

 末摘花は、源氏以前には寂しい暮らしを何とも思わず、恋愛経験を持っていなかったのですが、そのために源氏流離後に頼る者がいなくなったと古参女房は嘆いたのではないかというのです。早い話が、この古参女房は、「昔、源氏の君以外の男にもちょっとコナ掛けときゃ、源氏いなくなっても飯のタネには困んなかったんじゃないのー」と嘆いてたんじゃないのかという推測が「(B)思い嘆いているのに違いない」なんじゃないかと。

 おそらく、具体的には、この古参女房の念頭には頭中将があるのかもしれません。あの時、頭中将様にも色よい返事をしとけば、源氏の君がいなくなったところで頭中将様が乗り出してきたんじゃないかしら、と。

 その辺りをはっきりさせて引用部分の訳文を作ると、こうなります。

 「『(源氏の君の心配りは)滅多にないことと拝見していましたが、世の中の常とは言いながら、他に頼りにする男の方がいない今の姫君のありさまは悲しいことです』とつぶやき嘆いています。そんな拠り所のない状態で落ち着いていた昔の何年もの間は、姫君がどうしようもない寂しさに慣れて他の男の方に見向きもせずにお過ごしになったことを、女房達は、かえって少し世間並みの生活で馴れてしまった年月のために、今はたいそう耐え難いと思い嘆いているに違いありません。」

  この訳のキモは、今までの注釈書が接続助詞として処理していた「過ぐしたまふを」の「を」を格助詞として取り、「過ぐしたまふを」を「思ひ嘆くべし」の目的語として処理したこと。

 この解釈、定家以来の源氏研究の800年間で誰もやってないはずなんですが、どうなんでしょう。正しそうな気もします。

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