温度差に揺れる夏~『源氏物語』に関する些細なこと29
このところ、一日のうちでも微妙に涼しい時間があります。
昨日も、午前中に書斎にエアコン入れて仕事しようと思ったのですが、微妙に涼しめなので、エアコン入れずに仕事しようかと思って温度計見たら…、「34℃」!。
当然、スウィッチオンです。
さて、予備校の仕事をしながら古典作品の注釈書を読んでいると、しばしば敬語に対する意識の温度差に驚かされることがあります。
予備校屋というのは、少し敬語を意識し過ぎます。これは、敬語を頼って主体判定できると生徒さんに分かりやすいためです。ウチのテキストあたりでもしばしばその意識がすこーし過剰になることがあります。
また、赤本などの過去問解説でも、敬語にさえ注意すれば主体は分かるというようなことが書いてある場合があります。そんなことありえねーだろに。
敬語の使用というのは、作品によって時代によってその精度や安定度が大きく異なっているので、それだけに頼って主体判定なんて危なくてやってられないはずなのです。本当は。
敬語に頼って良いのはジャンルでいうと、随筆、歴史物語、つくり物語などであって、説話や軍記や歌物語でこれをやると、痛い目にあいます。そんなの入試問題をたくさん解いている人間にはアタリマエなんですけどね。
しかし、『源氏』『枕』などの平安中期女流文学の敬語使用の精度安定度は、かなりのものなので、ワタシなどでも、こういう作品の読解には敬語の利用を多めにします。
一方、注釈書をお書きになる学者さん達は、少し意識が足りないのではないかと思います。『源氏』でも、こんなことがあったり…。
他にそういう所を二か所見つけてしまいました。いずれも、重箱の隅の隅の隅。些細過ぎることですが…。
「葵」巻、葵の上の出産を六条御息所が伝え聞く場面です。
「かの御息所は、かかる御ありさまを聞きたまひても、ただならず。かねてはいと危く聞こえしをたひらかにもはたと、うち思しけり。」
小学館『新編日本古典文学全集』ではこのような本文を立てて、次のような訳文を付します。
「あの御息所は、このようなご様子をお耳になさるにつけても心穏やかではない。前前は女君がもうご危篤との噂だったのに、よくもまあ無事に、と妬ましくお思いになるのだった」
近代の注釈書は、『玉上琢彌 源氏物語評釈』、『新潮 古典集成』、小学館『日本古典文学全集』、岩波『新日本古典文学大系』、『岩波文庫』などが同様の立場を取ります。
我々予備校屋には、「ただならず」に尊敬語ついていないのは、大問題なんですが…。
ウチの授業だったら、確実に生徒の質問が来ますからね。
これ実は簡単に解決します。「ただならず」の跡を句点でなく読点にすれば良いのです。『旧大系』はそうなってるのに、なぜ、変えちゃったんでしょうね、「新大系」。
読点にすると、現代語訳はこんな感じになります。
「あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、心穏やかではなく、「以前はたいそう危険な状態との噂だったのに、やはり無事にとは…」と少しお思いになりました。
これで、まったく自然です。
また、「須磨」巻、源氏が須磨に落ち着いた後に都に便りをする場面。
「大殿にも、宰相の乳母にも、仕うまつるべきことなど書きつかはす。」
『新編全集』だと以下のような訳文を付けて、
「左大臣殿にも、またそこの宰相の乳母にも、若君をお世話申し上げるうえでの心得などをお書き送りになる。」
「大殿」に、「『大殿』は、ここではその邸をさす。」と頭注が付きます。
近代の諸注釈では、『旧全集』『古典集成』がこの立場を取りますが、『旧大系』『玉上琢彌 源氏物語評釈』『完訳日本の古典』『岩波文庫』は「大殿」を左大臣個人と取ります。
うーーん、なんで、左大臣に尊敬語を付けないで平気なんだ~~~。
この「大殿」は、左大臣邸ととらねばならないし、左大臣邸の中でもそこに仕える女房達を意識していると取らねばマズいんじゃないんですかねえ。
というか、「左大臣邸の女房達」と読ませたいから「宰相の乳母」と並列して、かつ尊敬語を付けなかった、と考えるべきなのかも。
現代語訳は、
「左大臣邸の女房たちにも、若君の宰相の乳母にも、若君にお仕え申し上げなければならないことなどを書いておやりになります。」
これで良いんじゃないでしょうか。
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