嵐の日々のとっ散らかった賛美~『源氏物語』に関する些細なこと28
このところ、小金井には毎日のようにゲリラ的な雷雨があります。涼しくなって結構と言いたいところですが、トイレの窓から吹き込んだ豪雨が我が家にも嵐を巻き起こし、収まるのに二日かかりました。ヤレヤレ~o~;;;;;;
そんな中で『源氏物語』葵巻を読み直しています。新斎院の御禊に供奉する源氏を見物の人々が賛美する場面です。
「壺装束などいふ姿にて、女房のいやしからぬや、また尼などの世を背きけるなども、倒れまろびつつ物見に出でたるも、例はあながちなりや、あな憎と見ゆるに、今日はことわりに、口うちすげみて髪こめたるあやしの者どもの、手をつくりて額にあてて見たてまつり上げたるもをこがましげなる賤の男まで、おのが顔のならむさまをば知らで笑みさかえたり」
『小学館 新編日本古典文学全集』はこのような本文を立てて次のような訳文を付します。
「 壺装束などという姿で、女房のいやしからぬ者や、あるいは尼などという俗世を捨てた者なども、倒れたりころげたりしては見物に出ているが、それも普通ならば途方もないことよ、なんとまあみっともないことよ、と思われるところだが、今日は無理からぬといった感じで、口もとがすぼんで、髪を着こめているいやしい連中が、手を合わせて額に当てては君を拝み申しているのもいかにも愚かしいが、その愚かしそうな田舎者まで、自分の顔がどうなっているのかも気づかずに、顔いっぱいに笑みをたたえている」
この訳文は、「をこがましげなる」の部分を二度訳しています。実は、頭注に
「『をこがましげなる』は、上を受ける述語で、しかも下に続く修飾語」とあるのを反映させた訳なのです。
これは、ちょっと変わった読み方ですが、ちょっと和歌的な解釈かもしれません。「人まつ虫の声すなり」を「人を待つ、松虫の声がするようだ」と掛詞の箇所で二つの文脈を乗り換えるように解釈するのと同じやり方でしょう。『完訳 日本の古典』もほぼ同じ頭注にほぼ同じ訳文が付きます。『岩波書店 新日本古典文学大系』にも同趣旨の頭注がついています。
この部分、そのままでは解釈しにくいというわけで、『玉上琢彌 源氏物語評釈』は、
「この底本によるならば、『見たてまつりあげたるも』でいったん切って、『をこがまし』に相当する語を補って理解するか、『見たてまつりあげたるもをこがましげなる』で切り、連体止めとして読むかしなければならないが、いずれも無理である。今、河内本および別本により改める」
という注を付して、
「見たてまつりあげたるも、をこがまし、あさましげなるしづのをまで」
のように「あさまし」を補った本文を立てます。
この『玉上評釈』の注に示された二つの解釈のうち後者を『旧全集』は取ります。『完訳』や『新大系』『新全集』は前者を、文脈乗り換えというアイデアを持ち込んで発展させたものでしょう。
多分、文脈乗り換えを持ち込むのは、『完訳』から参加された故S先生かと思います。
『新潮社 古典集成』と『岩波文庫』は、この箇所に特別な注をつけません。『文庫』が『新大系』を継承しなかったのは、『文庫』から新たに加わった執筆協力者、今井氏、陣野氏、松岡氏、田村氏のどなたかが、文脈乗り換えに反対意見をお持ちだったのかもしれません。ちょっと内部事情を伺ってみたいところですが…、教えてくれないでしょうねえ。
さて、これだけ近代の諸注釈の解釈が取っ散らかった状態だと、ワタシごときの読みを打ち出しにくいのですが、でも、まあ、良いでしょう。このブログじゃ今までもイロイロやってるから。
ワタシの考えはこうです。この部分、紫式部の頭の中は結構整理されてたんじゃないかしらん。
まず、それほど卑しくない者達として「壺装束」の女と「尼」を取り上げます。次に下賤の者を取り上げるのですが、まず「女」。「口うちすげみて髪着こめたる」はどうしたって下賤の女です。この下賤の女の描写は同格「の」を挟んで「見たてまつり上げたる」まで続き、それを係助詞「も」で受けておいて、今度は下賤の男「をこがましげなる賤の男」を持ち出して、「まで」と受け、下賤の男女の描写として「おのが顔の…笑みさかえたり」が続くと取ります。
この解釈のポイントは、「口すげみて…あやしの者どもの」の「の」を同格と取って「見たてまつり上げたる」の下に「女」を補うこと。今までの諸注釈の無理な解釈は、「の」を主格に取って「見たてまつり上げたる」の下に「姿」や「の」を補ってしまったところに起因するものだと思います。
その思い込みさえ外してしまえば、意外と整理された文章だったんじゃないかしらん。訳文は、
「壺装束(つぼしょうぞく)などという姿で、女房の卑しくない者や、また尼などの俗世を捨てた者なども、慌てて倒れたり転んだりしては見物に出て来ていたことも、いつもは、「行き過ぎたことよ。ああ憎らしい」と見えるのに、今日はそのようなことも当たり前であって、歯が抜けて髪を表衣(うえのきぬ)の中に着込めている卑しい者達で、手を合わせて額に当てながら源氏の君を拝見している女達も、いかにも愚かしい様子である卑賎の男まで、それぞれ自分の顔がどんな様になるかを気にせず満面の笑みをたたえています。
くらいになります。そんなに無理な訳文じゃないんじゃないかしら。
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