我が家の姫君(仮称ケミ)が元に戻ってしまいました。
先々週の金土とおそらくマイコプラズマ肺炎で40℃の熱を出し、日曜に治して、月曜から登校。先週末には陸上競技会で1500mを走るほどに快復していたのに…。
昨日、学校から帰って来て、「咳が出る」。熱を測ってみると38℃台でした。イヤハヤ、逆戻りかよ。
と思ったのですが、今日、学校を休んで病院に行ったら、「喉の風邪ですねー」とのこと。まあ、それなら一安心か。
んで、強引なんですが、戻ってしまう姫君というと『源氏』です。
「末摘花」巻。常陸宮の姫君は、歌の詠めない人として登場します。光源氏が最初に求愛の歌を詠みかけてくる場面では、ご本人が歌を詠めずにぐずぐずしているので、乳母子の侍従という女房が代わって詠んでしまいます。後朝の歌に対する返歌も侍従の代作です。
ところが、年末に光源氏の正月の衣装を、源氏の君の妻として(ご本人だけは妻だと思っているというところがまた、失笑を買うのですが)送って来る場面で、古めかしい紅色の直衣につけた歌がこれです。
「からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ」
(あなた様の冷たいお心が恨めしく思われますので、私の袂はこんなにも濡れどおしでございます)
本文と訳は小学館『新編日本古典文学全集』です。
この歌は、光源氏によって、
「さても、あさましの口つきや、これこそは手づからの御事のかぎりなめれ」
(それにしてもあきれた詠みぶりだ。これこそたしかにご自身で精いっぱい詠まれたのだろう)
と評されているところから、明らかに下手な歌なのです。当時の読者なら口にしただけで噴飯モノの下手さ加減だと推測されます。しかも、紫式部の、人物の個性に従って歌を詠み分けるという特徴から考えて、末摘花的な下手さでなければなりません。
ところが、それが我々現代人にはどうもよく分からないんです。
新編日本古典文学全集頭注には、「『からごろも』は、「着る」にかかる枕詞だが、ここは無理に『きみ』の『き』にかける」とあり、少し無理矢理な枕詞だという指摘があります。岩波文庫等にも同様な指摘があり、こういう時にあてになる『玉上琢彌 源氏物語評釈』も、同様のことしか書いてありません。
片桐洋一氏の『歌枕歌ことば辞典』には、
「『からころも』という歌語を用いさえすれば一応の和歌になるというわけで、『源氏物語』において三枚目的役割をになわせられている末摘花は、光源氏に歌を送る場合、いつも『からころも』という語をよみ込んで(以下略)」
とあって、和歌の下手な者が用いて一応和歌の体裁を整える用語と片桐氏はお考えになっているようです。
しかし、それだけでは末摘花的ではありません。
試みに「からころも」を『国歌大観勅撰集編』で調べてみると、八代集に「からころも」が用いられている歌は60例を数えますが、そのうち半数は古今集後撰集に集中しています。とりわけ後撰集には20例も見られ、この言葉が後撰集時代に流行った歌語であることが判ります。紫式部にとっては、一時代前の流行語というわけです。
しかも、この歌語には「衣」の美称として用いられている場合と枕詞として機能している場合があり、千載集新古今集あたりだと、ほとんど「衣」の美称です。ところが、後撰集の20例のうち10例前後は純然たる枕詞です。
『和歌大辞典』(明治書院)では、「からころも」という枕詞について、六百番歌合の判詞を引いて「その陳腐さが嫌われるに至った」とあります。少なくとも平安の末には、陳腐で古臭い枕詞と考えられていたようです。
末摘花は、最初から古めかしい言葉遣いの姫君として登場しました。まさにこの枕詞こそが末摘花的なのではないでしょうか。一時代前にもどったような歌だったので、失笑を買ったと。
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