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2024年10月24日 (木)

国民とウェイリーの日

 昨日は、仕事がお休みの日で、選挙の投票券が来ていたので、Yと一緒に国民の義務を果たしに行ってきました。

 今回は珍しく、最高裁の国民審査の記事も読んで行きました。まあ、特に気になることもありませんでしたが…。

 娘(仮称ケミ)は定期テスト二日目でした。九月に欠席が多かったので、我々も本人も今回の試験には期待していないのですが、その割には善戦している模様。

 夕食後、娘が試験勉強のために自室に上がった後も我々は晩酌タイムだったのですが、ここんところ、よく肴になる源氏バナシになりました。Yは、今現在「若紫」なのですが、ちょっとずつ面白くなってきたらしいです。時々、マニアックな話をしてやるのが良かったかもしれません。

 昨日は本屋さんで見たアーサー=ウェイリー版源氏の話になりました。ウェイリーは100年前に江戸時代の注釈書『湖月抄』をもとにして『源氏』を全訳してロンドンで出版、そのために『源氏』が世界の古典になったのだ、という予備校でも話すお話をしてやったら、「そのウェイリーって人は日本に来てたンデスか?」

 アレレ、どうなんだろ。

 ウェイリー訳「The Tale of Genji」の話は授業で必ず話すのですが、ウェイリー本人については何にも知らないなぁ。

 Yがその場でPCを開き、調べてくれたのを読んで、二人でビックリしました。ウェイリーさんは、『源氏』だけじゃなく、漢詩も『西遊記』も訳してたんですね。

 しかも、日本語も中国語も独学で、アジアに来たこともないとか。「天才型の奇人」だそうです。

 すごい人もいるもんだ…で我が家の夜は更けていきましたとさ。

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コメント

  昨日中央線のグリーン車に乗りました。せっかくのグリーン車なので、少しかっこつけようと、ハードカバーの書籍を読み始めました。
 はい、私、趣味は校正、特技も校正という変人です。恩師や友人のゲラに、真っ赤になるほどダメだしするのが特技というか趣味なのです。その実、感謝されることが多いのですが、たまに見解の違いというようなこともあります。
 さて、「若紫」への言及があったので、大変失礼ながら、老婆心そのものと思い、一点だけ指摘させてください。で、このコメント欄で指摘していいのかどうか迷ったのですが、書名も著者名もわからない形で、指摘しますので、どうかご了承願いたく存じます。
 P174、最後の行に「こんんなふうだから」とありました。
 このほかいくつか気になった点がありましたが、われわれ高校生を教える身には、大変正確な訳が施されて、もっと早く出していただきたかったなあと思われます。
 
 

投稿: ニラ爺 | 2024年10月25日 (金) 12時29分

 ありがとうございます。今、確認しました。いやー、全く気付いていませんでした。

 また、何かありましたら、是非、お願いします。

投稿: mumyo | 2024年10月25日 (金) 15時42分

 「また、何かありましたら、是非、お願いします。」とのことで、失礼を顧みず、冒頭から読み始めて気づいた点をいくつか。
 タイトルの「十四才の娘のための源氏物語」には、「才」が使われています。最初のページ、ご令嬢に呼びかけているなかで、「十四歳の誕生日」「四歳の誕生日」「十五歳の娘のための」とあり、整合性が気になりました。続いて「本来十四、五才」とあり、締めくくりは「娘の十四歳の年」とありました。
 25ページ9行目「更衣の里の様子お尋ねになります」。原文を確かめずして、申し上げるのはいささか失礼かもしれませんが、助詞「を」を補った方がいいかもと思いました。
 27ページ8行目に 『 があります。ところが、その真横、正確に言えば7行目と8行目の行間に 「 が鎮座しているのです。最初は、ごみかなと思ったのですが、そうでもない、なぜかカギ括弧が加わっています。
 毎日少しずつ読んでおります。

投稿: ニラ爺 | 2024年10月28日 (月) 11時59分

 なお書名、カバーや背表紙には、「十四才の」となっていて、奥付には「十四歳の」となっています。個人的には、後者の方がいいと思いますが、どうなのでしょうか。

投稿: ニラ爺 | 2024年10月28日 (月) 15時27分

 ありがとうございます!

 いやー、驚きました。自分の迂闊さにも驚きましたが、ニラ爺さんの校正能力の高さに驚嘆しました。

 格助詞「を」はまったくおっしゃる通り。長恨歌の横のカギカッコは、そこにルビを打とうとして消した時のなごりです。実は、Wordだとそのルビはほぼ見えないので見落としていました。

 「才・歳」問題は、当初、PCの変換任せで執筆していためなのですが、途中で自分で気づき、本のタイトルだけは「才」の字で統一、残りはどっちでも良いか…と態度を決めました。

 タイトルを「才」に統一しようとしたのは、中学生向けなので、画数の少ないタイトルにしたかったからです。その他の部分は…、ワタシのいい加減な性格の現れとご理解ください。

 というわけで、奥付は明らかに要訂正です。御指摘ありがとうごさいました。

投稿: mumyo | 2024年10月29日 (火) 09時24分

 「才・歳」問題について。
 今ネットでこんな記事を拾いました。
「公用文や法令など、正式には「○歳」と書きます。ただ、「歳」は中学校で学習する漢字であることや画数が多くて難しい字であることから、小学校低学年向けの読み物や日常生活などでは、「○才」と書かれることも多く見受けられます。
 けれども、小学校の教科書では、「才」という漢字は使わず、「○さい」のように、平仮名を使っています。
「才」は、2年生で学習する漢字ですが、たとえ6年生の教材であっても、年齢を表す際には、「○○さい」という平仮名の表記を使っています。
 実は、「才」は本来「才能」や「能力」といった意味をもつ漢字で、年齢という意味をもっていません。そのため、漢字がもつ本来の意味を重視して、年齢を表す「○さい」という場合には「才」を使用しないことを、原則にしているのです。中学校で「歳」という漢字を学習した後は、「○歳」 という漢字の表記を使って年齢を表しています。」

 今朝はじめて「源氏物語にもほどがある」を拝見しました。学識の塊という印象を持ちました。秋山、鈴木両先生も、喜ばれていらっしゃることでしょう。
 林訳は、丁寧ではあるものの、訳という域を超えているという印象を持っていました。角田訳は、当初こそ期待していたのですが、素人のこの人ではとてもではないけれども、任ではないという感じを持ち、途中で読むのをやめました。学生時代、山岸徳平の「源氏物語」(岩波文庫)をテキストとした演習を受け、とてもではないけれども、難しくて歯が立たないなと思ったのはつい昨日のようです。
 講師さんとは反対に、昔は8時間寝ないと不調でしたが、最近は早朝に目覚めてしまい、1時間かけて新聞を読むのが日課、ここ数日は御著書を読む習慣が身につき、今朝も細かいところに気づいてしまいました。

 P42、6行目、「交野」、同9行目、「業平」のルビがやや右より、もっと極端に言えば、前の行のことばのルビが左側についたような錯覚を起こさせてしまうような気がしました。
 そうそう、ワードを使ってお仕事をなさっているとか。私はいまだにワードが使えず、一太郎専門です。

 

投稿: ニラ爺 | 2024年10月30日 (水) 08時17分

 昨日「相棒」を見ていたら、「どうも細かいところが気になって仕方ない性格で」と杉下右京がぼやいていました。なるほど、私も、ほかのことはいざ知らず、好きな本のこととなると細かいところが気になるの性質で、雨夜の品定めで気づいてしまいました。
 p51、15行目、「自分で判断つかず、配慮が行き届かない」とあり、「判断がつかず」といったほうが、中学生向きの訳文として親切であり、また「配慮が行き届かない」との整合性を考えると、助詞「が」を補った方がいいような気がします。
 p54、4行目、「夫婦仲が絶えしまうにちがいない」、ここは「夫婦仲が絶えてしまうにちがいない」かしら。
 すみません、細かいことが気になるもので。もっとも人のことはいえないのですがねえ。

投稿: ニラ爺 | 2024年10月30日 (水) 15時17分

 あちらのブログ読んでいただいてありがとうごさいます。最近、あちらへの執筆意欲が出てきて、いろいろ考えるのが楽しくなっています。

 まあ、その分、こちらは肩の力が抜けつつあるかな。

 ルビの位置は、こちらも気づいていたのですが、ワタシの技術ではいかんともしがたく放置していました。

 また、何かありましたら、よろしくお願いします。

投稿: mumyo | 2024年10月30日 (水) 15時24分

 「帚木」。p64、1行目「ようです』 などと」とあり、一字分空欄がありました。
p91、14行目「お呼び出しなります」。これは見解がわかれるというか、単なる私の無知なのか、わかりませんが、どうもすわりが悪く感じます。私ならば、「お呼び出しになります」と書きますが、いかがなのでしょうか。いや、よく使いますよ、ニラ爺さんとご教示くだされば、承知しました。八代目師匠よろしく、「勉強し直して参ります」。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月 1日 (金) 15時03分

93ページ5行目、「呆れる返る」は、「呆れ返る」でしょうか。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月 1日 (金) 15時46分

判断つかず
夫婦仲が絶えしまう
ようです』 などと
お呼び出しなり
呆れる返る

 御指摘ありがとうごさいました。今、出先なので確認できませんが、間違いなくおっしゃる通りです。

 いやはや、こんなにあろうとは…。
こちらこそ、「勉強しなおして参ります」。

投稿: mumyo | 2024年11月 2日 (土) 19時05分

 p117、1行目「源氏の君の近くにお寄り申し上げて申し上げます」。もちろん間違いではありません。いや正確な訳です。ただこの部分を読んでいて、間が悪く「申し上げて申し上」というぐあいに字面を追う形になっていて、一瞬「申し上げ」が重なってしまったのかと勘違いしてしまい、次の行を読んで、なるほどその種のミスではないことはすぐに合点しました。
 「お寄り申し上げて申します」、あるいは「お寄り申し上げてこのように申し上げます」、でもこうなると「このように」は原文にないのだから、正確な訳とは言いがたくなりますか。
 同じく7行目「美しうございました」。時々現代仮名遣いがわからなくなります。「美しゅう」なのかなあ。
 p118、13行目最後に一マス分の空欄があります。「伊予介」との泣き別れを避けたのかもしれませんが、たとえばp91の最後の行は「源」で終わっていますので、整合性となるとややどうなのかと感じます。
 いつものように重箱の隅を突っつくようで申し訳なく思っています。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月 4日 (月) 08時18分

  p121 13行目 私はどうしたら良いのだ」とあり、「 はどこにあるのか、探してみたのですが、見当たりませんでした。
 p122 5行目 「この屋敷に」、ここは改行しているので、一字下げがよろしいかと。
 p130 10行目 「たいそうしみじみとしいて」は「「たいそうしみじみとして」あるいは「たいそうしみじみとしていて」でしょうか。
 p131 2行目 「長正殿」は、「長生殿」の誤りでしょうか。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月 4日 (月) 14時19分

>お寄り申し上げて申し上げます

 これは、多分、普通であれば、
「お寄りして申し上げます」のように繰り返しを避けるべきなのでしょう。ただ、受験生相手には、あまりこの「お~する」という謙譲語を推奨していません。謙譲語を訳したことがハッキリしなくなる場合があるので。この場合、一般図書なのですから、構わないのですが、まあ、教え子さんに読まれるとイヤなので、このままにさせてもらいます。

>美しう

 これは、形容詞連用形のウ音便なので、「うつくしゅう」は、ちょっと…。
仮に文科省が推奨してもワタシにはできません。

>p118、13行目最後に一マス分の空欄

 コレ、実は、ルビの関係です。行をまたいでのルビが打てなかったので、こうなったものです。これもまあ、見逃してください。

>p121 13行目 

 御指摘の通りです。和歌の冒頭に「をつけなければいけませんでした。ワタシもこの類は何か所か気づいていて、すでに第二版の原稿では訂正されています。

>p122 5行目 「この屋敷に」
>p130 10行目 「たいそうしみじみとしいて」
>p131 2行目 「長正殿」

 いやー、これはまったく御指摘の通りです。ありがとうごさいました。第二版に反映させていただきます。

投稿: mumyo | 2024年11月 4日 (月) 16時36分

 本来ならば、発見なさった新解釈を含めて、いろいろとご感想を申し上げたいのですが、もとより浅学非才、単なるあら探しをしているようで、苦々しく思っていらっしゃることかとは存じます。かえすがえすの無礼をお許しください。考えてみれば、こうして通読するのも久しぶり、読書の秋を楽しんでおります。
 p157 3行目「など源氏の君がとおっしゃると」は「などと源氏の君がおっしゃると」か「など源氏の君がおっしゃると」の方がいいような気がします。
p160 1行目「訴えることも出来なかったたでしょう」 「た」が重なっています。
p162 12行目「源氏の君ほど方であろうか」は「源氏の君ほどの方であろうか」なのでしょうか。ちょっと気になりました。
p164 12行目「お暮しになって」は読点が抜けています。
 さていよいと「若紫」に入ります。振り返ってみますと、現役時代一番よく扱ったのが「若紫」、ついで冒頭と「須磨」でした。というより多くの高校生は、この三つの巻以外は授業では勉強しないのではないでしょうか。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月 6日 (水) 08時35分

 四か所とも確認いたしました。まったく、気付いていませんでした。明らかに誤りです。

>単なるあら探しをしているようで、苦々しく思っていらっしゃることかとは存じます。

 いやいやいや、本当に正直ありがたいです。

 お分かりと思いますが、ワタシはこういう作業には向かない性格です。だから、こんなにキチンとチェックしてくださる方がいらっしゃるのは本当にありがたいです。
 しかも、本を自費で購入してやってくださっているのですから。ありがたさ二乗です。

投稿: mumyo | 2024年11月 6日 (水) 17時18分

 私もマックは嫌いです。というよりも、ニューヨークでしか食べたことがないくらい、好悪に関して云々する資格はありません。そもそもハンバーガーを食べる習慣がありません。
 閑話休題。
 p176 2行目 「お話しなどを」。実はこの「お話し」、「お話」と「お話しする」、ここの箇所だけではないのですが、たまたまこのページ12行目に「無常であるというお話や」とあり、整合性がとれないかなと感じました。
 p177 12行目 「その願いの通りにすることないまま」は、「することのないまま」なのかなあ。
 p195 5行目 「じっれったい」は「じれったい」
 p216 13行目 「出来ません。 源氏の君は」。空欄があります。
 p223 11行目 「た。 小賢しい心」。同様です。
 p234 2行目 「子供っぽくおおようである」は、「子供っぽくおうようである」か「子供っぽく鷹揚である」かかなあ。

 以下は単なる感想です。校正の域を超えています。よろしかったらご教示くだされば幸いです。

 「末摘花」を読んでいて、気になったというか、違和感を覚えた箇所がありました。
 p230 6行目 「と憎らしく思い思い、」という箇所です。手書きならば、こういう問題は起きないのですが、パソコンですとこちらが意図せずに、「思い」でとめるところ、なぜか「思い思い」などと表記されることがあります。最初は、たぶんそういうことなのだろう、単なる変換ミスなのだろうと思っていました。念のため原文に当たったところ、「憎む憎む」とあり、いや意図的に「思う思う」と重ねたことだったのかと理解できました。
 ただ、この本の字面だけを追っていくと、私と同じような感想を持つ人が多く出ると思われます。かといって、「思う」だけでは、「憎む憎む」というニュアンスが出てこず、さらにいえば、正確な訳ではなくなってしまうので、こういう訳に落ち着いたのではないかと察しました。
 で、私ならばどうするかと考えていたら、何だ、すでに答えが出ているのではないかとしばらく考えて合点がいきました。 
「憎む憎む」を「憎らしく思う」とだけ訳するのではどうかということです。となると、「憎らしく思う思う」よりもすっきりした感じになるのではと、そんなことを考えていました。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月 7日 (木) 09時03分

 またまた御指摘ありがとうごさいます。

お話し
その願いの通りにすることない
じっれったい
出来ません。 源氏の君
た。 小賢しい心

 御指摘の通りです。第二版で改めさせてもらいます。ありがとうごさいました。

「おおよう」は実は、古語に「おほやうなり」があり、現代語にもそれを受けて「大様」があります。「鷹揚」は別語で、日本国語大辞典には、「『大様』と『鷹揚』とは本来別語であるが、音、意味の類似から、近世以降同様に用いられている」とあります。

 多分、現代人は「鷹揚」の方を多く使うと思いますが、とりあえず、「おおよう」でも間違いではないようです。

 「憎む憎む」は、動詞を重ねることで「~しながら」くらいの意味になる語法で、現代語だと、「本を読み読み」などと使うのに合致するだろうという判断で現在の形になっています。「思い思い」で理解し難い場合、「思いながらも」くらいで言い換えることになります。これはちょっと娘と相談してみようかと思います。なにしろ、彼女のための本なので。

投稿: mumyo | 2024年11月 7日 (木) 17時24分

 御著書、字面を追って読んでおります。「おおよう」とあり、原文の「おほやうなり」ではなく、これは「鷹揚」と書くべきところ、ひらがなで「おおよう」と書いてしまったのではと勝手に推測してしまいました。大変失礼しました。単なるこちらの無知というか原文に当たらない無精ぶりというのか、誤解を招いてしまいました。「『大様』と『鷹揚』とは本来別語」という記述は、小型古語辞典でも掲載されているものとそうでないものがあることを確かめ、改めて勉強になりました。
 「憎む憎む」に関してはぜひケミさんと相談なさってください。微笑ましい光景です。わが息子とはこういう会話はできません。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月 8日 (金) 08時42分

p253 最終行「歌も」の後に読点がありません。
p255 10行目 「けれど』など書き散らし」は、「などと」の方がいいような。
p256 12行目 「何事であろうで」は「何事であろうかと」という意味なのでしょうか
p271 11行目 「避る」は「避ける」の方が一般的だと思います。
p287 3行目 「女房たち」。「たち」に関しては、書籍ではほぼ「達」を使っていますが、以下にもありますように、ときどき「たち」という表記があります。
p289 11行目 「ない無い振る舞い」。原文に当たっていないので、勘違いかもしれませんが、どうなのでしょうか。
p296 13行目 「気持」は「気持ち」の方がいいのかなあ
p299 2行目「博士たち」最終行「文章博士達」。これも前述と同様です。
p307 2 行目 冒頭に 」
p309 最終行 「思い出さずいらっしゃれません」は「思い出さずにいらっしゃれません」なのでしょうか。
p310 4行目 「ありません、」。読点で終わっています。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月15日 (金) 09時08分

 京都は、紅葉が見頃だとか。えらい混雑ぶりで、平安の人々がこの状況を見たら腰を抜かすのではないかと想像しています。
 おかげで、実に久しぶりに通読しました。僭越ながら、気づいた点を指摘して参りました。よろしかったら、参考になさっていただければ幸いです。

投稿: ニラ爺 | 2024年11月15日 (金) 09時14分

 ありがとうございました。

 実は、自分でも紅葉賀花宴の原稿を読み直して、いくつかは気づいていたのですが(「ない無い振舞い」など)、まさか、まだこんなにあろうとは…。

 第二版に反映させていただきます。

 この時期の京都は、そりゃあ大変でしょう。とてもではありませんが、私などは行く気になりません。

 というか、この時期じゃなくても最近の京都は気が進まないんですが。

投稿: mumyo | 2024年11月15日 (金) 16時39分

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