先日、校舎移動の間に星川淳という人の『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』という長い名前の新書を購入、ゆっくり読み進めていました。ちょうどこの本を読んでいる最中に、danchu誌がクジラ特集をやったこともあって、ちょっと気になったことを書き留めてみます。
著者はグリンピースジャパンの事務局長で屋久島在住の作家だそうです。正直言って、「グリンピース」と聞くと、我々一般日本人はあまり良い印象を持ちません。独りよがりで過激な環境保護動物保護というイメージがあります。ですから、この本も、半分ほどまでは反グリンピースという気分で読んでしまいました。しかし・・・。
この星川って人、けっこう知性的です。グリンピースはもっと狂信的かと思ってました。著者は、かなり知性的、かつ論理的に話を進めていきます。出してくるデータも信用できそうだし、御説ごもっともな部分、多いです。
例えば、調査捕鯨の欺瞞とか、水産庁捕鯨班による情報操作、政治家および外務省の、援助による国際的多数派工作の話などは、ナルホドと思わせる所が多々あります。正直言って、捕鯨に関しては、それほど興味もなく、せいぜい某『美味○んぼ』あたりが扇情的にもたらした捕鯨推進派提供の情報くらいしか持っていなかったので、どちらかと言えば、ワタシは、この著者言うところの「反反捕鯨」気分の一般人でした。それゆえ著者の主張はかなり新鮮だったし、納得させられた部分も多くあります。しかし・・・。どこか引っかかるんですよね。~o~;;
著者は、この本の冒頭で、
「いまの日本では・・・なんとなく、美しく感動的な生き物としてのクジラも、鯨肉の好きな人たちが舌なめずりするクジラも、両方ありですましている」
と不満そうに書いています。しかし、これって、実は日本人の本質を図らずも言い当ててるんじゃないでしょうか。この本の帯には、「好きなのは野生動物としてのクジラ?それとも鯨肉ですか?」という問い掛けがあります。これって、どちらかを選ばなきゃダメなんですかねえ。
クジラが野生動物だという著者の主張は判ります。でも、野生動物なら好きにならなきゃいけないとか、保護しなきゃいけないとなるのかどうか。少なくとも、一般の日本人にそのような回路は存在しないのではないでしょうか。だから、希少動物、絶滅危惧動物と言われても、すぐに保護に結びつかない。特に自分に利害がないイリオモテヤマネコやマウンテンゴリラなら保護しても良いけど、クジラは食べられるからなぁ・・・。これがワタシも含めて一般日本人の感覚なのではないでしょうか。
例えば、もし、ワタシがキリスト教徒であれば、野生動物保護の根拠を信仰に求めることが出来ます。
「造物主の作りたもうた種を守らねばならない、ノアのように」
と厳かにのたまえば、ワタシは平伏し納得します。しかし、我々一般の日本人には、この手の根拠がありません。
面白いのは、この著者自身もそのあたりで苦労しているように見える点です。著者は、本書の第一章で自身のクジラ体験を語り、クジラとの神秘的な出会いを通じて「いつもとはちがう回路」を感じ、「私はその回路を、鯨類とヒトがなんらかの形で共有できるリンクだと感じるようになった」と言っています。
これは、言うなればクジラ教の信仰告白に見えるんですよ、我々一般人には。そして、著者にだってそれは判っているんです、きっと。しかし、ここから論理を始める以外になかったんでしょう、他によって立つ根拠を持たない日本人だから。それゆえ、まず第一章で鯨信仰を告白し、そこを出発点として論理を展開せざるを得なかったんでしょう。
でも、これのみが鯨保護の根拠なら、我々鯨信仰を持たない者はついて行けません。これ以外に野生動物保護の根拠として著者があげているのは、
・冷戦時に得た「生きとし生けるものが平和共存できる世界の実現」を願う気持ち
・国際的に野生動物は保護することになっていて、保護に努力しないと国際的非難を浴びる
この二点くらいしかないでしょ。薄弱だし、共感できないなぁ。特に二点目の「国際的非難」の話は、簡単に「他国の干渉を許すまじ」というナショナリズムにひっくり返りそうですよね。実際、それがひっくり返っちゃってる政治家さんは多いわけだし、一般の我々だって、ちょっと扇情的な情報操作にあえば、すぐにひっくり返っちゃいますよ。
結局、どんなに著者が論理的に振舞っても、信仰のはての論理である限り、信仰を持たざる者を説得することは出来ません。某合衆国のネオコンとイスラムの対立は、どんなに論理的に主張しあっても、互いの正義を受け入れ合うことが出来ません。信仰のはての論理は信仰を持たざる者には受け入れられないのです。
だからと言って、相手方を自分の信仰に引き込んで洗脳してしまえば良いのだ、となるとこりゃまた問題です。鯨保護を訴える人達が「ホエールウォッチング」を推進するのって、なんだかそんな匂いがしてなりません。”一旦クジラ様の神々しさを見てしまえば、クジラ教に改宗するにちがいない”って、そんな意図が感じられてならないんですよね。ワタシ、そういうのって大嫌いです。
著者は知性的論理的な人だと思います。だから、我々信仰を持たざる者に納得できるような鯨保護の根拠を示してほしいと思います。どんなに論理的に振舞い、譲歩したつもりでも、相手方の不正をあげつらい論破するだけでは、今まで同様のなじりあいに終わりますよ。
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