2008年7月 6日 (日)

ジャコウネズミ氏の論理と牽強~『偽善エコロジー』

 昨日まで、けっこう忙しかったのですが、仕事の合間に、以前から気になっていた武田邦彦著『偽善エコロジー』という本(幻冬社新書)を読み進めていました。これ、かなーりびみょーな本です。~o~

 著者は中部大学という所の先生で、本の中身は、一言で言えば現在のエコロジー政策やリサイクル運動の欺瞞を暴くというもの。例えば、レジ袋や割り箸について、使わないのは「ただのエゴ」だと明快に断定します。著者は資源材料工学の専門家なのだそうで、そういう人に、「レジ袋を止めてエコバッグにすると却って石油消費量が増える」と言われると、ある程度説得力があります。また、割り箸に関しては、端材を使うから問題ないという話を以前から聞いていたので、これも、まあ、理解できます。バイオ燃料の矛盾と欺瞞の話も今となってみれば当然のことでしょう。

 しかし、どうも、この人、論理の展開が時々オカシイんですよね。どうも、異端の学者特有の妄想に近い被害者意識や対立者への憎悪があるらしく、

 「このようなことを私が指摘すると、いっせいに周囲から反撃を受けます。・・・未だ大切なことは公表せずに、個人攻撃だけをしています」

 「私たち日本人が本来持っているはずの誠実な心、謙虚な心は、いわゆる環境問題が起きてから、音を立てて崩れていっているのです」

 「リサイクルのように矛盾したことをしている間に、理想はだんだん失われ、汚れた心になっていったのです。」

 なんて言い出すんですね。こういう感情的な物言いって、折角、納得しかけている読者が、引いちゃうんですけどね。別に、この人の意見に対立する学者や環境運動家達は、この人に対して個人攻撃をしているばかりじゃなかろうし、日本人の心は環境問題やリサイクルが理由で堕落したわけじゃないでしょうからねぇ。~o~;;;;

 しかも、この本、最後には日本人論、精神論になってしまって、穀類自給率や反捕鯨運動や動物愛護運動にまで話を拡大して日本人の矛盾を論じ、「国際的不信を招く一つの原因」などと言い出します。果ては最新の電気ポットや水道の蛇口の使い難さをコボすに至って・・・・、折角、リサイクルの欺瞞を論じた部分は面白かったのにねえ。台無しです。残念。~o~;;

 そんなこんなの牽強付会は、まあ、面白がっていられるのですが、面白がってる場合じゃないのは、温暖化防止の話。この人、日本で二酸化炭素消費を減らして京都議定書を守っても、世界全体からするとホンの0.3%削減にしかならないので、無駄だって言うんですよ。それどころか、「まわりの国が引いてしまって、国際的に孤立した状態になっている」とまで断じています。これは、かなーり困った議論です。

 温暖化防止が待ったなしの世界的テーマであることは、ゴアがノーベル賞取ったり、今回のサミットの議題になったりしてることからも明らかでしょう。あの、悪名高きおバカの大統領でさえ、温暖化防止を口にする時代です。

 そんな世界の現況にあって、京都議定書は、二酸化炭素削減のための現在唯一の世界的枠組みです。これしか世界を救うための足場は現在ありません。

 確かに、出来た時から致命的な不備を抱えた内容でした。この著者が言うように、かなり日本には不利な協定ですし、アメリカ、中国、インドが参加していないのですから、実効性の低い協定ではあります。しかし、だからって、日本が、「無駄だから守りません」と言って良いものかどうか。この人だって大人なんだから、考えてみりゃ判りそうなもんです。

 一旦締結した国際的協定は、守らなければ信用を失います。信用のない国が、それに関して何を言おうと、誰も耳を傾けちゃくれません。まして、京都議定書は、日本を議長国とする京都会議で生まれたものです。日本が京都議定書の削減目標を守る努力をしてこそ、アメリカや発展途上国を組み込んだ次の枠組みに対して発言権が生まれるんじゃないでしょうか。

 確かに、現在のような状況では、日本が京都議定書の目標を守ってもあまり意味がありません。しかし、だからと言って「うちエコなんて無駄」と嘯いて冷房ガンガンかけて良いってことにはなりません。この件に関して、日本は世界に範を示し次の枠組みに向けて世界を動かす必要があります。

 そりゃ、このセンセイは、「夏の40゜cの中でも熱中症にならないようにするとか、涼しいところに住む」なんておキラクなことを言ってりゃ良いかもしれません。しかし、温暖化による異常気象は海面上昇だけではなく、台風の多発や旱魃、砂漠化といったさまざまな形での世界的災害をもたらすはずなんです。いったい、世界はどれほどの悲劇に見舞われることか。それを考えたら黙っていられないってのが本当の「誠実な心」ってモンでしょう。

 日本だって・・・、スキー場なくなっちゃうんですヨっ。~o~

 昔、ムーミンに「全てが無駄であることについて」という哲学書を愛読するジャコウネズミさんというキャラクターが出てきたのですが、現実の世界はムーミン谷じゃないんだから、「無駄じゃ、無駄じゃよ」と言ってれば良いってもんじゃありません、断じて!

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2007年12月 9日 (日)

空の上のミーマール=シナンのこと雪の上のCrossfireのこと

 やっと始まりました、北海道。例年、二学期が終わると、その日のうちに羽田移動、翌朝出発とというスケジュールだったのですが、今年はいろいろ用事があり、遅れてしまいましたが、ただ今、ニセコ、北の極楽オーベルジュ、オーベルジュ・ド・Fらいぱぁんです。

 今朝は、羽田のホテルを午前六時出発。半分寝ぼけて札幌行きに乗り込みました。早朝便にしては、今年はお客さんがいます。離陸直後、こちらの意識も夢の中へ飛び、ふと気が付くと、三十分後でした。サービスのジュースを飲みながら、機内雑誌をパラパラしていたところ、トルコの特集の中に面白い記事を見つけました。『ヒリストからの手紙』というタイトルだったと思いますが、東大の先生をやっているトルコ人建築家の文章。

 「ヒリスト」は、オスマントルコ時代の著名な建築家ミーマール=シナンのギリシア語名なんだそうです。このシナンって人がなかなかスゴい人で、この人が16世紀に建てたモスクのドームを約400年後の1990年代に改修工事したんだそうです。ところが、そのドームの石のアーチのキーストーンの下から手紙が発見されました。中には、こんな意味のことが書いてあったとか。

 「このアーチの寿命は400年だ。従って、400年後、改修工事が行われるだろう。その時には建築技術が進んでいるから、これを読んでいるあなたにとって石のアーチの改修は初めてに違いない。アーチのキーストーンについて書き記しておくから参考にしてほしい」

 なんと、400年後のことが全て、手に取るように見えてたんですね、この人。スゴっ!~o~

 宿についてネットで調べたら、某夢枕獏氏が「シナン」という小説を書いているようです。けっこう日本でも有名な人だったんですね。ヒリストは、その生涯にオスマントルコのためのドーム建築を建てまくったらしいんですが、こんなことも言ってるようです。

 「私は森の中の小さなアリに過ぎない。他のアリのためにちょっと働いただけだ」

 そんな記事を読んでいるうちに飛行機は千歳に着きました。千歳は思ったほど寒くなかったです。今年は、雪が早かったからでしょうか、空港にスキー客が多い気がします。例年、千歳からニセコ行きのバスはガラガラなのですが、今年は・・・やっぱりガラガラだったけど、でも8人くらいは乗ってたなあ。~o~;;

 空港の回りから雪があったので、ちょっと期待していたのですが、スキー場自体は、例年に比べてそれほど雪が多いわけではなく、まあまあ雪がついているという程度でした。一番上のリフトはまだ動く気配ありません。まあ、それでも午後はずっと降り続いていたので、明日以降に期待です。

 K2 Apache Crossfire、天然雪では初めてだったのですが、やっぱり基本性能はスゴイです。ただし、天然だと、雪質によってはややグリップし過ぎると感じる時がありました。足先でズラそうとした時に上手くズレてくれない時があるかもしれません。多分、本州の湿気の多い雪が所謂「キョロ雪」状態になった時に、操作が難しくなるのではないでしょうか。

 ただし、このあたりはエッジの調整でなんとかなるレベルだと思います。今後、どの程度、エッジをタラすことにするのか、新潟の雪とも相談しなければならないでしょう。技術的にSAJで1級くらいの人だったら、最初から少し多めにタラすチューンにした方が楽かもしれませんね。

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2007年9月 3日 (月)

明け方降って来るもの

 昨日は、一日中、デスクワークでした。『陰陽師』について書こうとしては挫折、また書こうとしては挫折。上手く行かないので、昼食時に岡野玲子という漫画家さんの『陰陽師』を買ってきて読んだりして。まあ、つまりいつもの逃避行動か。~o~;;

 しかし、この岡野さんという漫画家さん、よく勉強して書いてます。原作の某夢枕獏さんより、はるかに勉強家です。例えば、源博雅が初登場する場面では、式神に「(博雅の管弦の腕は)敦忠卿ほどではないわ」などとサラっと言わせてますが、これはちゃんとした元ネタのある話。敦忠卿は博雅の伯父に当る人物で管弦の名手ですが、「宮中では敦忠卿が亡くなって以来、管弦の遊びに博雅が重用されるようになった」という話が『大鏡』に出てきます。

 こういうディテイルの部分で、サラっと勉強家ぶりを見せてくれるので、ただイマジネーションで突っ走ってしまう獏さんより安心していられます。博雅が時平の血筋であるのを巧く利用したりするのも、この人が勉強家だから。

 なーんてなことを考えていても、全く仕事は進まないので、気分転換に月曜の予習をしてみたりしたのですが、全然気分転換になりません。月曜の授業で担当している教材を開いたら、なんだか疲れてしまいました。ウチのテキストは、だいたい隔年の繰り返しになっていて、今年度のテキストは、おおよそ05年度に使用したものがベースなのですが、05年度に、「改善すべき箇所があるから直して下さい」と申し上げておいた所が、今年のテキストでもそのままになってる・・・。

 教材作成担当の某先生、ワタシの意見を無視なさったようで、うーむ、このままだとホントにマズイんだけどなぁ。意地になっているのでしょうか。この某先生という方は、他人の原稿だと詳細にご意見なさっちゃう方で、ワタシの原稿などには、「解答例の文章が美的でない」「解説に名詞止めが多すぎる」などと文体のレベルに至るまで事細かにご意見くださっちゃうお方なのですが、他人に、単純な設問・解答の改善点や事実の誤りを指摘されるのはお嫌いらしひ・・・。

 予備校屋にとって文体なんてどうでも良いことだし、そもそも文体はその個人のアイデンティティーに関わるものだから、他人様の文体に対してあーだこーだ意見するのは、他人の人格を踏みにじることになるんだけどなぁ。他人様の人間としての尊厳なんてこと考えないのかしらん。それに対して設問・解答の不備や事実関係の誤りってのは、どっちでも良いって問題じゃないんだけどなぁ・・・。

 まあ、他人に対し厳しい人が自分に対して甘くなるというのは、よくある話ですから、しょーがねーのかなぁ。まさか、公の会議の場なんかで取り上げるわけにもいかないんですよね。某先生に恥をかかせることになるので。そんなことになる前に、教材訂正してくれないもんかしらん。

 などと考えているうちにたちまち一日は過ぎ、こーゆー時は、ちょっと酒でも飲んでから仕事と夕食時にワイン飲んだら、これがまたよく回って、普段の半分も飲まないうちにダウン。ベットでふと横になったら、そのまま明け方になってました。

 んで、明け方のベットの中、朦朧とした意識のもとにアイデアはどこからか降って来ました。そっか、去年使った紫式部の弟を、晴明の九字の秘呪で異空間に飛ばされてきたことにして、また使っちゃおう!

 というわけで、今日は原稿が書けそうです。後は、オチを何とかすりゃ明日には出来上がるであろー。~o~

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2007年9月 1日 (土)

晴明至らず、アイデア出でず、我已んぬるかな

 今日は一日、晴明の降臨を待ったのですが、天文博士安倍晴明殿は姿を見せませんでした。仕方ないので、雑用とその他のデスクワークで一日を過ごしました。んまあ、早い話、本命の仕事に取り掛からず逃避してたと・・・。~o~;;;

 この安倍晴明という人、某夢枕獏という作家さんの『陰陽師』という作品で有名になり、漫画にも映画にもなった人なので、高校生に対する興味付けのネタとして使えそうだと当りをつけたのですが、果たして上手くいくかどうか。もしかすると、獏さんの『陰陽師』に晴明の親友として出てくる源博雅を狂言回しとして登場させた方が上手く行くかしらん。

 実はNZでは、この小説『陰陽師』を資料として読んでいたのですが、こういう作家さんが古典を題材にする時の何時もの習いとは言え、最初はデタラメ多いですねえ。古典の教師が読んでいると、どうしてもディテイルの部分で歯がゆい思いをしてしまいます。

 例えば、小説の最初の頃、博雅はどういうわけか身分の高くない武士ってことになっているのですが、この人、ホントは醍醐天皇の孫で三位という高位まで上る公卿なんですよね。また、晴明の逸話の元ネタとして、『今昔物語集』の名前を頻繁に出すのですが、最初の頃は、この本の名前を『今昔物語』と呼んではばからない。『今昔物語』ってのは、現在では一般に使われている呼称だけど、実は、江戸時代に行われた略称で、正式には『集』を付けなきゃ絶対マズイんです。

 こういうディテイルの誤りは、ある時点から修正されます。多分、作品が世に出て著名になるにつれて、読者から指摘を受けるのか、それともご本人が次回作の構想を練る中で勉強して気づくのか、ちょっと判りませんが、作品の途中から修正されていきます。

 こういうのって、例えば、『源氏物語』の漫画化として有名な大和和紀さんの『あさきゆめみし』なんかでも同様です。『あさき・・』も第一巻は、ほぼデタラメなんですが、途中から原作に忠実になります。

 やっぱり、作家さんでも漫画家さんでも、最初は自分の自由なイマジネーションの広がりに任せて書きなぐっちゃうんでしょうね。それが途中から勉強して、こりゃマズカッタってことになって原典の世界に忠実になっていくんでしょう。獏さんの場合も、最初はイマジネーション任せの話が多いんだけど、途中から、説話に元ネタのある話が多くなっていきます。古典の教師が読んでいて、ああこの話はアレが元ネタだな、と微笑ましくなるような作品が増えていくんですよね。

 そのあたりのことも、出来れば学習雑誌の原稿に盛り込んでみたいんだけど・・・、ちょっと盛り沢山になり過ぎるかなぁ。うーむぅぅ・・・。

 などと悩んでいる暇はなく、明日明後日のうちには書いちまわないと、今度こそ編集者許してくんないよなぁ。~o~;;;;

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2007年6月15日 (金)

ネット文体!?にタカトシを思う(笑)

 今日は池袋と市谷で授業の日でした。昨夜から、昨日、移動の最中に買った『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書)という本にハマってました。太田直子さんという映画字幕翻訳者の方のエッセイなのですが、コレ、マジで面白いです。こういう特殊な位相から日本語に関わっている方のご意見って、妙に共感できます。ワタシも同じような立場だからでしょうか。

 この本の中で、メール文体の「(笑)」や「!」「?」の多用について、太田さんは嫌悪感を示されているのですが、全く同感です。

 「『(笑)』だけはどうしても好きになれない。少なくとも自分では絶対に使わない。あまりに安易だし、笑いを強要されているようで、うんざりする。」

 ごもっともです。実は、以前から全く同じことを感じていました。メールに限らず、ネットの世界でも「(笑)」が出てくるたびにちょっと引いてました。ウチの古文の講師で、テキストの前書きにこの「(笑)」を使う人がいるのですが、このテキストを初めて見た時は本当にキレかかりました。若いモンに媚び売ってんじゃねーよ!って。

 何故ですかねぇ。やっぱり、太田さんの言うように「笑いを強要されている」感覚なんでしょうか。可笑しくもねーのに笑えねーっつーの。

 しかし、初期のネットコミュニケーションに必要な記号だったんだろうというのは理解できます。なんせ、ネットコミュニケーションでは全ての冗談は悪意に取られる可能性を秘めていますからね。~o~;;

 ずっと以前、ネットを始めた頃、スキー関係のBBSで事あるごとに荒れる原因を作っていたことがあります。「この人が書き込むと荒れますねえ」とまで言われたこともあります。自分では冗談のつもりなのに、全く冗談と取ってくれないマジメな方が必ず出て来て。

 それで、冗談だということを示すために「~o~」や「~o~;;」という記号を使うことを覚えました。「(笑)」よりは押し付けがましさがないと思って。まぁ、ホントんとこ、この記号だってちょっと不本意だったんですが、「~o~」なら、自分が笑いながら言っているニュアンスになるかと思いました。「(笑)」では、書いた側が笑ってるんだか、読む側に笑えと言ってるんだか判然としませんからね。

 もしかすると、「人笑われ」を最大の恥辱とする日本社会においては、「笑っても良いよ」と許容する記号が必要なのかもしれません。考えてみれば、漫才における「ツッコミ」だって、笑いを許可する記号として機能しているのではないかと思いますし、所謂「お笑い芸人」達の、意味不明な「ギャグ」だって、「お客さん、ここは笑っても良い所なんですよ」という許容の記号なのかもしれません。だって、ホントんとこ、「欧米か?!」だけで笑えるって変でしょ。~o~

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2007年6月 2日 (土)

「良心」の死~『古文研究法』小西甚一著

 某女性ボーカリストの死が世の中を賑わしていた日、新聞の死亡記事の欄に一人の老碩学の死が、慎ましやかに紹介されました。小西甚一筑波大名誉教授。享年91才の大往生だそうです。

 ワタシ、別に小西教授とは面識もなく、もちろん教えを受けたこともないのですが、この方は、「先生」とお呼びしたい気になる方です。(ワタシゃ、自分自身が教えてもいない人間に「先生」と呼ばれるのはあまり好きでなく、従って、他人様をお呼びする時にも、なるべく「先生」をつけません。まあ、個人的に尊敬している人だとちょっと別ですが、単なる同僚には「先生」とつける気になれません)

 小西教授と言えば、我々には『古文研究法』です。だから小西教授へのリスペクトは、この本へのリスペクトということになります。今回、ちょっとこの本を見直してみたのですが、こりゃたいした本です。よくもまぁ、こんな本を書いたもんだし、よくもまぁこんな本が売られ続けていたもんだ。

 兎に角、ボリュームがあり過ぎます。本編だけで400ページ以上あり、しかも、この細かい文字。硬い文章。こんなもの現代の高校生、買うわけないです。しかも、所々に理解し難い説明が出てきます。例えば、二種類の助動詞「なり」と形容動詞語尾の「なり」を判別する問題に関して、

 「判別法は、連用形『に』を作ってみて、成立しなければ(2)(伝聞推定の助動詞「なり」)であり、さらに「に」を「が」に置きかえ、主格にしてみて、それが成立するなら(1)(断定の助動詞「なり」)である」

 なんて書いてある。つまり「男もすなる日記」という言い方は、「男もすに」と言えないから<伝聞推定>、「都なり」は「都が」と言えるから<断定>というわけです。

 いや、そりゃ確かにそうはなりますよ。でも、その「成立する」とか「成立しない」とかってのを今の子供にやらせて判ってもらえるかしらん。おまけに四段動詞に「なり」のついた「住むなり」なんかについては、文脈からの判断で済ませちゃうし・・・。なるほど、この判りにくさじゃ売れなくなったのも無理はないかもネ。~o~;;

 しかし、しかしですよ。この判りにくさ、難解さ、そしてマイナス要素としてのボリュームにも関わらず、この本は昭和三十年の初版以来、五十年に渡るロングセラーで、まだ売られているんです。もちろん、出版社始めとして関係各位の努力もあろうけれど、この本をこれほどまでのロングセラーとなした主要因は、おそらく小西教授の「良心」なのではなかろーか。

 小西教授自身が昭和四十年にお書きになった「改訂版のあいさつ」を引用してみましょう。

 「『自分の書いた本には、どこまでも責任を持ちたい』という約束に、私は忠実であった。この本は、初版このかた幸いにもずっと好評で、先生がたからも高校生諸君からも絶大な支持を頂戴した。こうした支持に答えるためもあって、私は毎年、すこしでも気に入らない所や新しい考えの出た部分があれば、どしどし書き直してきた。(中略)十年にわたって書き直したけれど、私の本にはまだ不備があるかもしれない。だが、良心だけは、ぜったい不備でないつもりである」

 お見事です。「先生!」って呼びたくなる気持ち判るでショ。ワタシはこの文章だけで、この人を尊敬する気になりました。

 実際、内容的にも、随分良心的と思わせる箇所があります。例えば、敬語の説明。この本執筆時の従来の学説による説明を紹介した後、この時点での新しい考え方を紹介し、「まことに明快な説明で、将来はこの考え方になってゆくだろう」などと書いてます。こういう書き方、参考書の中ではなかなか出来ないんですよね。煩雑になって読者を混乱させるし、読者にウケるわけがないもの。でも、小西教授の良心が従来の説のみを記してしらばっくれることを許さなかったんですね。

 そして、実際にこの新しい考え方は、現在の主流の説明になっていきます。そういう意味では、この五十年前の参考書は、現在のベストセラー、某有名講師Aの本などよりも遥かに進んでいます。だって、某有名講師Aの敬語の説明は、小西教授の「従来の学説」以前だもの・・・。~o~;;;

 現在、『古文研究法』は、本屋の片隅でひっそりと売られ続けています。その傍らでは、某有名講師Aの新著や、漫画のキャラクターを使うという思いつきダケで勝負しているベストセラーが平積みされて売られています。まことにウンザリする眺めです。

 小西先生のご冥福とともに、小西先生の死がそのまま出版業界の良心の死とならないことを願って、合掌。 

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2007年5月26日 (土)

信仰のはて論理の始まり~『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』

 先日、校舎移動の間に星川淳という人の『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』という長い名前の新書を購入、ゆっくり読み進めていました。ちょうどこの本を読んでいる最中に、danchu誌がクジラ特集をやったこともあって、ちょっと気になったことを書き留めてみます。

 著者はグリンピースジャパンの事務局長で屋久島在住の作家だそうです。正直言って、「グリンピース」と聞くと、我々一般日本人はあまり良い印象を持ちません。独りよがりで過激な環境保護動物保護というイメージがあります。ですから、この本も、半分ほどまでは反グリンピースという気分で読んでしまいました。しかし・・・。

 この星川って人、けっこう知性的です。グリンピースはもっと狂信的かと思ってました。著者は、かなり知性的、かつ論理的に話を進めていきます。出してくるデータも信用できそうだし、御説ごもっともな部分、多いです。

 例えば、調査捕鯨の欺瞞とか、水産庁捕鯨班による情報操作、政治家および外務省の、援助による国際的多数派工作の話などは、ナルホドと思わせる所が多々あります。正直言って、捕鯨に関しては、それほど興味もなく、せいぜい某『美味○んぼ』あたりが扇情的にもたらした捕鯨推進派提供の情報くらいしか持っていなかったので、どちらかと言えば、ワタシは、この著者言うところの「反反捕鯨」気分の一般人でした。それゆえ著者の主張はかなり新鮮だったし、納得させられた部分も多くあります。しかし・・・。どこか引っかかるんですよね。~o~;;

 著者は、この本の冒頭で、

 「いまの日本では・・・なんとなく、美しく感動的な生き物としてのクジラも、鯨肉の好きな人たちが舌なめずりするクジラも、両方ありですましている」

 と不満そうに書いています。しかし、これって、実は日本人の本質を図らずも言い当ててるんじゃないでしょうか。この本の帯には、「好きなのは野生動物としてのクジラ?それとも鯨肉ですか?」という問い掛けがあります。これって、どちらかを選ばなきゃダメなんですかねえ。

 クジラが野生動物だという著者の主張は判ります。でも、野生動物なら好きにならなきゃいけないとか、保護しなきゃいけないとなるのかどうか。少なくとも、一般の日本人にそのような回路は存在しないのではないでしょうか。だから、希少動物、絶滅危惧動物と言われても、すぐに保護に結びつかない。特に自分に利害がないイリオモテヤマネコやマウンテンゴリラなら保護しても良いけど、クジラは食べられるからなぁ・・・。これがワタシも含めて一般日本人の感覚なのではないでしょうか。

 例えば、もし、ワタシがキリスト教徒であれば、野生動物保護の根拠を信仰に求めることが出来ます。

 「造物主の作りたもうた種を守らねばならない、ノアのように」

 と厳かにのたまえば、ワタシは平伏し納得します。しかし、我々一般の日本人には、この手の根拠がありません。

 面白いのは、この著者自身もそのあたりで苦労しているように見える点です。著者は、本書の第一章で自身のクジラ体験を語り、クジラとの神秘的な出会いを通じて「いつもとはちがう回路」を感じ、「私はその回路を、鯨類とヒトがなんらかの形で共有できるリンクだと感じるようになった」と言っています。

 これは、言うなればクジラ教の信仰告白に見えるんですよ、我々一般人には。そして、著者にだってそれは判っているんです、きっと。しかし、ここから論理を始める以外になかったんでしょう、他によって立つ根拠を持たない日本人だから。それゆえ、まず第一章で鯨信仰を告白し、そこを出発点として論理を展開せざるを得なかったんでしょう。

 でも、これのみが鯨保護の根拠なら、我々鯨信仰を持たない者はついて行けません。これ以外に野生動物保護の根拠として著者があげているのは、

 ・冷戦時に得た「生きとし生けるものが平和共存できる世界の実現」を願う気持ち

 ・国際的に野生動物は保護することになっていて、保護に努力しないと国際的非難を浴びる

この二点くらいしかないでしょ。薄弱だし、共感できないなぁ。特に二点目の「国際的非難」の話は、簡単に「他国の干渉を許すまじ」というナショナリズムにひっくり返りそうですよね。実際、それがひっくり返っちゃってる政治家さんは多いわけだし、一般の我々だって、ちょっと扇情的な情報操作にあえば、すぐにひっくり返っちゃいますよ。

 結局、どんなに著者が論理的に振舞っても、信仰のはての論理である限り、信仰を持たざる者を説得することは出来ません。某合衆国のネオコンとイスラムの対立は、どんなに論理的に主張しあっても、互いの正義を受け入れ合うことが出来ません。信仰のはての論理は信仰を持たざる者には受け入れられないのです。

 だからと言って、相手方を自分の信仰に引き込んで洗脳してしまえば良いのだ、となるとこりゃまた問題です。鯨保護を訴える人達が「ホエールウォッチング」を推進するのって、なんだかそんな匂いがしてなりません。”一旦クジラ様の神々しさを見てしまえば、クジラ教に改宗するにちがいない”って、そんな意図が感じられてならないんですよね。ワタシ、そういうのって大嫌いです。

 著者は知性的論理的な人だと思います。だから、我々信仰を持たざる者に納得できるような鯨保護の根拠を示してほしいと思います。どんなに論理的に振舞い、譲歩したつもりでも、相手方の不正をあげつらい論破するだけでは、今まで同様のなじりあいに終わりますよ。 

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2007年1月 8日 (月)

知らざるを知るとなす人々

 昨日は、空気清浄機のような学者さんの話だったのですが、今日は、空気の汚くなりそうなセンセイ達の話。

 今日、吉祥寺で例のセンター試験対策の演習授業だったのですが、無事終わって、講師控え室で雑誌を見ていたところ、雑誌『AERA』に某『馬○の壁』のセンセイが「提言」を寄せてました。曰く「早く石油を使い切れ!!」

 何のことだろうと読んでみたのですが、どうも、諸悪の元凶は石油だから、一刻も早く石油を使い切れ、ということらしい。石油がなくなれば都市生活は維持できなくなるから分散化社会になって都市が産み出す諸問題は解決、医療問題も人々が適度に運動するようになり解決、子供もニートになってる暇はなく教育問題も改善され、石油資源が原因の地域紛争もなくなって良いこと尽くめ、っていうんですが、コレ、この人、真面目に言ってるんですかね???

 まず、石油がなくなったら、分散化社会になるのか、なりゃしませんよ。石油に代わる代替エネルギーが開発されるだけでしょ。具体的には原子力に対する依存度が大きくなるだけ。従って、医療問題も解決するワケがなく、教育問題も解決しません。それどころか、今のまま石油資源が枯渇し始めれば、残り少ない資源を巡って地域紛争は激化するだろうし、第一、石油資源を使い切る過程で出る大量のCO2による温暖化はどーすんですか。

 よーするに、肥満に悩む人に、出来るだけ美食を尽くして金を使い切って貧乏になれ、そうすれば嫌でも痩せる、と言っているようなもの。アホらしくて話になりません。最初、この文章、何か諧謔的なブラックユーモアの類なのかと思ったのですが、最後まで読んでも、オチがないんですよね。どうもマジメに提言してるらしい。

 このセンセイ、ご専門は解剖学なんですよね。なんだって、こんな専門外のことで「提言」なさっちゃうんでしょう。つか、何故、この雑誌は「提言」させちゃうんでしょう。多分、こういう記事載せちゃう側は、面白がってるってところがあるんだろうけど、やっぱ、有名な学者さんだから発言させちゃおうってのがあるのかしらん。学者って、そんなに何でも知ってるわけじゃないんですけどねえ。むしろ、専門外では頓珍漢な人が多いワケで。

 ただ、昨日取り上げたようなマトモな学者さんは、専門外のことは、あまり大きな声では語りたがりません。『論語』にも「知らざるを知らずとなせ、これ知れるなり」とあるように、自分が知らないことをキチンと「知らない」と認識出来るからです。

 何にでも口を出しちゃうセンセイってのは、「知らざるを知るとなす」人達なワケで、こういう「チシキ人」の方達、信用しちゃいけないと思うんですがねえ。例の、『国家の品格』センセイなんかも、妙に信じられちゃってるみたいだけど・・・。学者ならなんでも知ってるってのは、コンピューターなら何でも出来るみたいな幻想ですよね。

 予備校屋的に言うと、こういうセンセイは、他の教科のことを自信たっぷりに指導しちゃう講師のようなものです。ロクなもんじゃありません。でも、なぜかこういうセンセイの方が、マトモな学者より、もてはやされちゃうんですよね。ちょうど、ロクに知りもしない他の教科のことまで指導しちゃう講師が人気講師になるみたいに。イヤハヤ・・・。~o~;;;;;

 ついでに言っちゃうと、某SAJなんていう組織が、自分ではろくに滑れもしない大学のセンセイをイグザミナーにしてるのも、この類でしょうねえ・・・。~o~;;

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2006年11月 9日 (木)

『のだめ』拾遺

 今日は、町田→自由が丘の移動つきで一日七時間教える、一番ハードに働く日でした。やっと今、仕事が終わりました。ホッと一息。昨日今日と背筋が痛いです。シーズン初めだから、つか、久々だってのに火曜日にハードに滑り過ぎましたかね。~o~;; 

 『のだめ』に関して、ちょっと思いついたことで書き残した小ネタを。

 まず、サッカーネタ。06'10/26『のだめ症候群?!』で書き漏らしてました。第八巻、高橋君のプロフィールで「ブッフォン国際ヴァイオリンコンクール」ってのが出てくるけど、ジャンルイジ=ブッフォンて言やぁ、06Wカップ優勝のイタリア正GKじゃないっすか。見落としてたー。多分、コンクールとオケの名前は、サッカー選手で統一してるんでしょうね。

 それと、ドラマなんですが、次週からシュトレーゼマンのマネージャー、エリーゼが出てくるんですよ。今週チラっとミルヒーの携帯の画面見たかぎりでは、アレはブロンドのヅラかぶった日本人ですよね。誰だろ。もしかして・・・、松本人志ぃ?! ~o~;;;;

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2006年10月29日 (日)

生き字引様の痛快~『純米酒を極める』

 「日本酒」を独立させたついで、と言ってはナンですが、以前購入して読んでいなかった『純米酒を極める』(上原浩著 光文社新書)を読んでみました。

 購入してから読んでなかったのは、「酒は純米」という著者の主張に、ちょっと反発を感じていたからです。純米にこだわらなくても美味けりゃ良いだろー、というのがワタシの基本的な姿勢なもんですから。

 でも、この本を読んで、純米にこだわる著者の言い分も理解できるようになりました。著者は、鳥取県工業試験場に長年勤務し、酒造技術指導の第一人者で、『夏子の酒』の「上田先生」のモデルにもなった「酒造界の生き字引」なのだそうで、兎に角酒造りに関する知識と経験がハンパではありません。そのため、あらゆる技術に通じていて、醸造の裏ワザ的新技術をたくさん紹介してくれています。ナルホド、これだけ誤魔化しの技術があったら、生半可にアル添を認めてた日にゃあ、ワケの判らない酒が出来ちゃいますよね。「純米」以外は日本酒にあらず、と言いたくなる気持ちも判ります。

 でも、やはり、消費者の一人としては、少量のアルコール添加で吟醸酒の上立香を立たせる技術は残しておいてほしい気がするんですよね(著者もこの技術を認めてはいるのですが、一方で、それを「日本酒」と呼ぶな、と主張しています)。著者は、上立香の強すぎる酒は料理に合わないと言います。確かにワタシもそう思います。でも、食前酒として上立香の高い吟醸酒を一杯というのは、気分が華やかになって良いと思うんだけどなあ。別に何杯もそれを飲もうというのではなく、大吟醸の上立香を一杯楽しんだ後、食事に合わせてしっかりした純米酒を一合、なんていうのは心豊かな感じがして良いと思うんですよね。

 だから、「酒は純米、燗ならなお良し」という著者の主張に全面的に賛同するつもりはありません。それで、この本の前半は、正直、押し付けがましい感じがして、ちょっと抵抗がありました。「この人、『のだめ』的に言うと、『オレ様』なんだろな」と思ってました。でも、後半の「米とつくりの重要性」あたりからの「愛情余っての醸造界への提言」は、読んで楽しいです。大いにうなづかせられるところが多々あります。「酒を知らない酒造家」や「酒に愛情のない酒販店」「何も分かっていない本の著者」なんてのをぶった切ってく様は、水戸黄門の最後の十分間みたいで、痛快です。

 「酒は純米」には全面的には賛成できないし、人肌の燗の美味さを認めるのはやぶさかでないにしても、それ以外を否定されちゃうのはちょっと心外なんですが、それを割り引いても、気持ちの良い本です。著者の醸造に対する深い見識と愛情がうかがわれて、清清しい感動があります。何より、日本酒マニアとしては大いに勉強になります。日本酒を好む人、これから飲んでみようと思っている人には、是非読んでもらいたい好著です。

 こういう本が、『バ○の壁』だの『国○の品格』だのという「炭をかけまくった三増酒」みたいなベストセラーよりも、たくさん売れる世の中になってくれませんかねえ。~o~;;

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2006年10月26日 (木)

『のだめ』症候群?!

 昨日、ブログを書き終えてから、『のだめ』第13巻を買ってきてしまいました。一気に読破。なんとサッカーネタ連発ですね。「デシャン・オケ」はともかく、「マルレ・オケ」って誰が判るんだよ?!

 今までのサッカーネタギャグ、気づいた限り並べてみると、

 インザギ(ピッポ=インザギ、現イタリア代表のFW)クリスマス公演、

 マラドーナ(ご存知アルゼンチンの英雄、ペレの次に有名なサッカー選手)コンクール、

 プラティニ(ジダンの前のフランスの「将軍」)国際指揮者コンクール、

 ウィルトール(2006ドイツWカップのフランス代表FW)交響楽団、

 デシャン(98Wカップのフランス代表主将、現ユベントス監督)オーケストラ、

 マルレ(2004ユーロの時のフランス代表FW)オーケストラ。

 特に、スティーブ=マルレはマニアック過ぎ。サカオタだって、すぐにはどんな選手だか思い出せないよ。~o~;;;

 んで、夜、『のだめ』読み続けているせいか、非常に体調悪いです。「めまい」がします。寝不足です。授業はなんとか普通にやってますが、休み時間にスウィッチオフになって、コテンと寝ちゃったりします。ヤバいな~

 今日の夕飯は、池袋の居酒屋さんだったのですが、酒の味がイマイチ安定しません。体調が悪いと、酒って安定的に味わうこと出来ないんですよね。山口県「雁木 純米吟醸ひやおろし」、千葉県「木戸泉 白玉香 純米ひやおろし」、どちらも素晴らしい酒のはずなのですが、イマイチ味わえません。ひたすら眠いっす。やべー。

 今日は、もう寝ます。とにかく体調をどうにかしなくては。(しっかし、もう良い年なんだから、体調崩すほど漫画読むなよ>オレ ~o~;;;;)

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2006年10月25日 (水)

ドラマ『のだめ』の研究その二

 朝から『のだめ』の第二話をまた見ちゃいました。これで三度目。原作の方も昨日、第12巻まで読み進めてしまいました。なるほど、ドラマは日本編の最後まで行くんですね、きっと。それと、「プラティニ国際指揮者コンクール」の演奏が「ウィルトール交響楽団」って、またまたサッカーネタ。「ウィルトール」はちょっとマニアック過ぎかも。~o~

 さて、ドラマ第二話ですが、主要登場人物を第一話に無理に登場させた結果、峰君の追試、真澄ちゃんの「死んじゃえ委員会」、シュトレーゼマンのSオケという三つのエピソードを同時進行させるることになり、やや忙しい感じがします。が、TVドラマはこのくらいのテンポで進む方が飽きなくて良いかもしれませんね。三つ同時に進めるためのつなぎに三木清良を使っていますが、結果としてR☆Sオケの話への導入にもなりそうだしね。

 ただ、ちょっと気になったのは、ギャグの処理。ちょっと漫画チックにし過ぎデショ。のだめが「転科だめー」って千秋に突っ込んでって、岩に激突とか、千秋が投げた鯵が水槽で泳ぎだすとか、原作にないしハッキリ言ってドラマ的にもそんなに面白くないデス。逆に「だっちゅーの」はギャグとしては古過ぎ。原作通りなら良いってもんじゃないデショ。

 「近所の魚屋さん」に「オマエは猫か!」って突っ込みを入れたのは良かったと思うけど、「これが<春>。オマエ達のは<正月>」を、「オマエ達のは<梅雨>」って変えちゃったのはどーだろ、峰君の演奏はやっぱ<正月>デショ。それにせっかくのサッカーギャグ「インザギ」を「アルバート=マイナー」って何やねん!(10/21「『のだめ』が止まらない」参照)~o~;;

 演技の方ですが、相変わらず上野樹里は絶好調ですね。過剰な演技なんだろうけど、決してオーバーとしいう気がしないのはコメディエンヌとしての能力の高さですね。峰君の役者さんも長台詞の早回しをこなしきってて、良いのでは。真澄ちゃんの役者さんはあんまりオーバーにし過ぎない方が良いと思います。もともと漫画チックなキャラなので、なりきれてない人がやり過ぎるとクサくなります。その点で竹中直人の怪演は、いまさらではありますがスゴイ。

 あと、上野樹里と真澄ちゃんの役者さん、「女の武器!」ってとこは、もっと声をそろえて舞台俳優風にハッキリやれば、面白いギャグだったのに。せっかく脚本が頑張ってるんだから、もうちょっと意図を察してあげてほしいですね。残念。

 それと、演奏ですが、峰君の「オナニープレイ」は、シロウトでも本格派との違いが判って良かったと思います。

 ってなこと「研究」してる場合じゃないですね。仕事しなければ・・・。あー、最近「のだめ」のせいで、デスクワークが全然進まなひ~。~o~;;;;

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2006年10月21日 (土)

『のだめ』が止まらない

 『のだめカンタービレ』が止まりません。昨日、仕事の帰りがけに第8巻までの三冊を買ってきたら、もう止まらなくなって、夕食後、ワイン飲みながら5~8巻の二度目を読んでたら、そのまま机で眠ってしまい、気づいたら明け方でした。受験勉強かよ?! ~o~;;;;;;;

 当然、ブログ書く時間ありませんでした。ましてデスクワークなんかやってる暇ねー!朝飯食いながら、ドラマ第一話を見直したのですが、やっぱドラマとしてもよく出来てますねえ。原作をうまくはしょった脚本になっているようで、原作に忠実な部分をパズルのように組み合わせているのがわかります。第一週目で主要な登場人物をササッと登場させているので、何気にAオケのコンマスが三木清良だったりするんですね。

 あと、エンディングでマングースの着ぐるみが出てくるので、どうやら学園祭のエピソードまではやるんですね。つか、マラドーナコンクールまではやるんでしょうね、きっと。

 それと、気になるのは、ドラマの中のピアノ演奏シーン。普通の音大生や千秋の演奏は、正統派にやれば良いから簡単だと思うけど、のだめの演奏は、デタラメだけど聴く人が聴けばメチャメチャ才能を感じさせるという難しい演奏のはず。そういう演奏になってるんでしょうか。クラシックの判る人に、是非、判断してもらいたいもんです。

 ドラマ見たら、またまたその気になってしまって、今、第一巻から読み直してます。原作、けっこう細かいナンセンスギャグ入ってますね。のだめの部屋を掃除してると「甲子園の土」が出てくるとか、のだめが恨みを買ってる相手に、「マキちゃん」や「学食のおばさん」だけじゃなくて「近所の魚屋さん」が入ってたり、「裏軒」のメニューに「レバニラハンバーグランチ」なんてのが入ってたり、桃平音楽大学の定期演奏会の会場が「ブラックホール」だったりネ。~o~

 ソレと、どういうワケかサッカーネタが混じりますね。真澄ちゃんが用意するクリスマスデートのための切符が「インザギクリスマス公演」だった時は偶然かと思ったんですが、第8巻で「マラドーナピアノコンクール」が出てきて確信しました。二宮知子、サッカー好きかもしんない。~o~

 あと、多分、コレは担当者のミスだろうけど、第4巻Lesson20のエリーゼの台詞、"Wouber bist du bose?"(ウムラウト出ねー)は、"Wouber"じゃなくて"Woruber"の間違いデショ。 それと、ミナコ・モモダイラが結婚した小説家って、やっぱ庄司薫かいな。~o~

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2006年10月18日 (水)

僕らの「千秋」君の思い出

 『のだめ』にハマってしまいました。3・4巻を買ってきたのですが、コレおもしろいです。まーったく、この忙しいのに、なんで漫画なんか読んでるんだろ、オレ(それも二回も通して ~o~;;;)。

 んで、思ったんですが、この漫画、千秋先輩が主人公なんですねえ、特に3・4巻は。この千秋先輩、なかなかよく描けてると思います。今日、本屋さんで3・4巻買った時に、『のだめ』のコーナー(恐るべし、そういうのが出来てる ~o~;;)にいた女性二人組が、「玉木宏だとちょっと違うのよね~」って言ってたけど、なるほど、先のほうまで読んで千秋先輩のイメージが出来てる人には、玉木宏の千秋先輩はちょっと不満かも。

 3・4巻の千秋先輩を見て、思い出したことがあります。ワタシも昔、千秋先輩を知ってました。千秋先輩のような男が高校の後輩にいたんですよ。ワタシ、実は、高校二年の後期から三年にかけて合唱部に在籍していたことがありました。高校二年の前期まで、全くのシロウトだったのですが、同じクラスの合唱部部員に勧められて軽い気持ちで入部したのです。

 ところが忘れもしない二年の晩秋、折から寒~い音楽室で、最初の練習に参加した時のこと。最初の発声練習で、一年生の男子がピアニカ持ってやってきて、今からピアニカの通りに音を出せってわけです。彼がピアニカを弾き、その通りに声を・・・出してるつもりなんだけど、いくらやっても彼は渋い顔をして、「先輩、今のはちょっと低いです」「今のも、四分の一音低いです」と何度やっても許してくれません。結局、最後にはヘロヘロになったワタシを見た彼は、悲しそうな顔をしてあきらめてくれました、そう、千秋先輩が峰龍太郎を指導する時みたいに。

 翌日、ワタシは熱を出して寝込みました。「合唱熱」。~o~;;;;

 この後輩、実は、この合唱部の指揮者だったんです。彼は、本当に千秋先輩みたいな男で、とにかく自信のかたまり、しかも、本当に何をやらせても上手い。先輩だろうと何だろうと、練習となったら容赦なく指導しますが、これだけ全てのレベルが高いとみんな一目も二目も置いているので、逆らえません。それでいながら、指揮の時は、非常に人心の把握が巧みで、文化祭の曲目、モーツァルトのレクイエム「キリエ章」を最初に合わせた際は、この曲を作った時のモーツァルトのエピソードを紹介し、「晩年、もう病気で少し頭がおかしくなっていたモーツァルトは、レクイエムの依頼に来た使者をあの世からの使者と思い込み、自分のためのレクイエムと思ってこの曲を作曲したんです」と熱く語って、すっかり我々をその気にさせてしまいました。その年の文化祭、我々は、思いっきり盛り上がって、そう、「オナニープレイ」状態で「キリエ章」を絶唱しました。気持ち良かった~~。~o~

 まあ、これはこれで、高校の合唱部としては大成功だったと思います。ところが、翌年、彼は、そんなことでは飽き足らず、ウチの高校の弦楽部とブラスバンド部を説得して、あろうことか、文化祭限定臨時大オーケストラを結成してしまい、ショスタコービッチ作曲、オラトリオ「森の歌」というとんでもない大曲を、たかが高校の文化祭で完全に演奏してしまいました。これはひとえに彼のカリスマ性と誰もが認めざるを得ない実力の賜物でしょう。

 その素晴らしい演奏を我々OBは客席で目にしました。モーレツに感動しました。当時浪人中のワタシが、その後一ヶ月ほどパチンコ屋通いを止めて、モーレツに勉強したくらいに。~o~;;

 聞いている方がソレですから、ヤッてる方はたまったものじゃありません。終わった直後のステージは、合唱部員の号泣の嵐だったらしいです。ところが、演奏が終わって一息ついた後、指揮者の彼は、しみじみと、「コレでシロウトを指揮するのは最後だな」とのたまったそうな・・・。~o~;;

 結局、彼は高校卒業後、東京芸大の指揮科に進み、本当にプロの指揮者になりました。この話、もう時効だからこんな所に書いちゃっても大丈夫だよねえ、今や日本が世界に誇る新進気鋭の指揮者となった僕らの「千秋」、O野K士君。~o~;;;;;;

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2006年10月17日 (火)

コメディエンヌとマイフェイバリットの誕生

 いやー、『のだめ』見ちゃいました。昨日、今日で二回。久々に面白かったです。驚きました。ちょっと漫画を意識しすぎた演出はどうかなと思ったけど、涙チョチョ切れたりするところとかって。

 しかし、それにしても面白かったので、原作の1・2巻を買ってきちゃいました。かなり原作に忠実な造りなんですね。ちょっとはしょった部分は、多分、シュトレーゼマンの竹中直人を第一週から登場させたかったからなのでしょう。それも含めて、まずまず原作を上手くまとめてあるんじゃないかな。

 出来れば、シャンプーは原作通り「五日おき」の方が良かったと思うけどね。だって、三日おきくらいじゃ、あんまり匂わないでしょ。見たところ、上野樹里の髪もサラサラだったし。~o~

 それにしても、感心したのは、上野樹里。かなり原作を意識して役作りをしているんだろうけど、原作のワケのわかんない主人公「のだめ」を、見事に演じ切ってますね。つか、むしろ上野樹里によって「のだめ」の輪郭がくっきりしたとさえ言えそうです。原作を越えて、上野樹里の「のだめ」になってます。驚きました。もう、これは『トットちゃん』の斉藤由貴以来のコメディエンヌの誕生と言えるかも。~o~

 出来れば、原作通り「手がでかい」方が良かったけどね。そりゃ無理ってモンだネ。~o~

 他の役者さんもかなり良い味だしてます。例えば西村雅彦の谷岡先生が渋いですね。竹中直人は、完全に原作を無視してるけど、ある意味、原作よりも「シュトレーゼマンしてる」のはお見事。あと、なんと言っても子供時代の千秋の子役さん、原作クリソツ!~o~

 こんな芸達者達に囲まれちゃうと、狂言回し役の玉木宏は気の毒。頑張れタマキ。もうちょっと自分を崩しきっちゃって良いんじゃないのかな。単なるビジュアル系から脱却して役者としての自分を確立するチャンスのような気がします、阿部寛みたいに。あと、奥山真澄役の役者さん、イマイチ奥山をつかみ切れてないかも。まーしょがないか、あの役はねえ・・・。~o~;;

 そうして、何より驚いたのは、原作が殊のほか面白かったこと。多分、ドラマでイメージ補強されちゃった部分があるとは思うけど、ドラマから漏れてるエピソードもかなり面白いし、ちょっと雑なタッチ、雑な描写が最初は気になったけど(例えば、のだめの部屋から流れてきた液体に蟻がたかっているところなんか、小学生の落書きじゃないんだから、「→アリ」って書き込んじゃうのは漫画としてどうなのかね ~o~;;;)、慣れりゃまあコレはコレでいけるかも。

 お気に入り漫画が一つ増えてしまったかもしれません。明日にでも、3巻以降を買ってこようかな。

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2006年10月16日 (月)

マニアック問題

 ワタシ、実はTVドラマというのがあまり好きでなく、めったなことではドラマは見ません。まあ、ドラマの時間に授業をしてることが多いってのもありますが。ところが、今日は、久々にTVドラマを見る気になっています。某フジで『のだめカンタービレ』をドラマ化するのだそうで、録画予約をしてしまいました。

 以前から、評判だけは聞いてました。クラシック音楽の世界をかなりマニアックに描いた漫画だという話。ちょっと面白そうな世界ですよね、クラシックの世界って。昔、音大の子と付き合ってたことがあって、その時にチラチラと聞かされていたので、想像はつくんですが。んで、『のだめ』は、以前から読んでみたい漫画でした。

 正確に言うと、少しだけ読んだことがあります。電車の中で隣の席の人が読み耽っているのを覗き込んだことがあって。その時は、ははあ、これが、アノ漫画かと判った程度で、特に購入して読もうとは思いませんでした。絵柄がイマイチ好きじゃなかったこともあって。ただ、興味だけはあったので、ドラマは是非見てみたいです。

 こういうマニアック漫画って、かなりたくさんあります。例えば、『美味しんぼ』『味いちもんめ』『築地魚河岸三代目』など料理マニアック漫画やモータースポーツマニアの『バリバリ伝説』『イニシャルD』、柔道マニアの『帯をギュッとね』なんてのもあったな。『こちら亀有派出所』も途中からマニアック漫画になったらしいし、『ドラゴン桜』なんかもその一つと考えて良いでしょうね。

 個人的には、割と好きですね、こういうの。ただ、こういうマニアック漫画は中途半端じゃいけません。徹底的に専門の知識を持っていてそれを漫画の中で生かさないと、面白いものは出来ません。「へええっ!」って思わせる力がないとダメですね。読者に日常の世界とは違う世界を見せるくらいのつもりじゃないと失敗すると思います。

 そういう意味で描く方はタイヘンです。スキーマニア漫画『スノードルフィン』が失敗した原因の一つも、結局、中途半端だったからでしょう(06'10/10「拝啓SAJ様~スキー業界再建計画」参照)。『ドラゴン桜』だって、我々プロの目から見りゃ、まだまだ甘い!もっともらしいこと言ってても、所詮シロウトの思い込み(06'3/15「ドラゴン効果?」参照)に過ぎませんでした。

 さて、そういう意味で『のだめ』はどうなんだろ。まあ、ドラマだから原作とは違うんだろうけど、ちょっと期待してしまいます。配役も面白そうだし。特に竹中直人の怪しげなドイツ人役!楽しみですね~~。~o~

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2006年10月10日 (火)

拝啓SAJ様~スキー業界再建計画

 今日はオフの日でした。昼間はネットうろうろしてボンヤリ。夕方になって、ちょっとデスクワーク。でも、けっこう仕事出来たなあ。

 一昨日、モータースポーツ漫画のことをちょっと書きましたが、それで思い出したことがあります。『イニシャルD』のほぼパクリで、『スノードルフィン』というスキー漫画があったことを。ワタシゃ『イニシャルD』は好きだし、スキーは大好きなんで、その間に出来たとおぼしきこの漫画も愛せるはずなんだけど、ダメだったなー。~o~;;;;

 まー、明らかに『イニシャルD』を下敷きにしてるのがミエミエだったし、作画能力がイマイチだったってこともあるけど、つまらなかった一番の原因は、原作者も漫画家もスキーマニアではなかったってこと。スキーという題材に対する知識も見識も愛情も、もう一つ感じられなかったんですよね。やっぱ本家『イニシャルD』は作者の入れ込み方が違うもの。

 確かに『スノードルフィン』の原作者さんもスキー雑誌あたりで取材して、そこそこマニアックな知識を持ち出して来てたけど、自分で滑れる人って気がしないんですよね~。例えば、『スノードルフィン』では、『イニシャルD』の公道レースの世界を、ゲレンデレースというもので置き換えるんだけど、それって無理あるっしょ。一般ゲレンデでレースは出来ないですよ。危な過ぎるし、だいち競争になんないヨ。

 まだしも、チャイナダウンヒルって設定にすりゃなんとかなったかもしれないけどね。まー、それも苦しいかな、日本じゃ。スキークロスってものが、あの時、普及してれば、スキークロスにするのが一番良かったのかもしれませんけどね。

 いっそ、『イニシャルD』から少し離れて、モーグルの世界にしたら良かったかも。モーグルは、漫画になりやすいと思いますよ。派手だし、判りやすいし、漫画的な必殺技を考えやすいから。

 そう思って、以前、某スキー関係の掲示板で、『巨人の星』のパロデイのモーグル漫画の話を書いたことがありました。書いた本人はけっこう気に入ってたんだけど、まあ、アレは、漫画にゃなんないでしょうね。~o~;;;

 そこで、SAJさんに提案です。スキー業界を再び盛り上げようと思ったら、漫画か映画に頼るしかないですよ。サッカーだって『キャプテン翼』があったからこそ、今日があるんだから。「イニシャルD」の作者、しげの秀一氏は、趣味でスキーをやるらしいので、しげの氏に気の利いたモーグラー、誰でも良いけど三浦豪太さんあたりを専属で付けて、モーグルマニアに仕立ててから、モーグル漫画を描いてもらっちゃあどうでしょう。

 今、モーグル界は、男子も女子も、世界のトップレベルにあと一歩です。若いモーグラーも育ってきてます。このタイミングなら、悪くないと思うけどな~、モーグル漫画。舞台は我が六日町八海山なんかどないざんしょ。ワタシの友人、モーグラータクヤ(全日本選手権八位)もきっと友情出演しまっせ~。~o~

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2006年9月29日 (金)

ちょっとした愉快とあなどれない驚き

 一昨日、「生徒さんもさほど感謝してるように見えない」などと書いたら、偶然だとは思うけど、昨日は感謝されちゃいました、町田の校舎で。んーまー純粋に「感謝」じゃないかも知れないけど、喜んでくれたので、良しとしときます。

 「先生、コレ売れますよ」「オレ、○ゼミ(私立文系に強いとされている某大手)に行って売ってこようかなあ」なんて言われると、お調子者のワタシは、ついその気になってしまうのでした。しょーがねーなー、赤本のNG集、来週も作るかぁ。~o~;;;

 町田の仕事を終えて、自由が丘へ移動するのですが、途中の駅で、以前から噂には聞いていた東京農大の小泉武夫教授の著書『食の堕落と日本人』を購入。イヤハヤこの人愉快な人ですねえ。

 兎に角、日本人の堕落を全部、食の乱れに結びつけちゃうんだけど、その大胆な牽強付会には、一種の愉快があります。しかも、自分の思い込みだけで食の乱れを断罪していくので、随分極端なことも言い出します。例えば、匂いのしない納豆を開発した食品会社に、「金儲け主義だ、食べ物に対する不遜な態度だ!」と噛み付いたりするんです。当方は、たいして納豆の匂いに思い入れがあるわけではないので、「別に良いんじゃないですか、開発したって」と思うものの、小泉流の決めつけにあうと、ついうなづいてしまったりします。また、赤ワインブームをフランスの陰謀と決めつけたりするのも、ちょっとどうかなとは思うのですが、こいうの面白いんですよね、読んでて。~o~

 牽強付会、思い込み、決め付けもここまで思い切ってやられると、却って爽やかで愉快なものなんですね。~o~;;

 しかも、食品に対する深い愛情と知識と経験があるから、ある程度説得力もあります。世界中で酒文化を持っていないのはイヌイットだけだ、とか、赤ワインのポリフェノールより納豆のナットウキナーゼの方が血栓を溶かす力が強い、なんて知識は、「へえー」ですよね。

 ちと極論が過ぎるところもあるけど、なかなかの好著で、ちょっとした愉快を味わえる本です。

 んで、夕食は、池袋の居酒屋さん。まず、広島の「富久長 ひやおろし秋桜」の実力に驚き。この「富久長」という酒、広島独自の軟水醸造法という製法で醸されているらしいのですが、この醸造法、非常にさっぱりとした薫り高い甘口の酒を造るらしいです。現代の辛口信仰の逆を行っているのは、ちょっと愉快。

 んで、その居酒屋のカウンターで隣のOLさんの話を聞いていたら、「ウチの高校でマリファナが流行ったことがあってさあ」だって。おいおい、日本の居酒屋のOLさんの会話に、とうとう、そんな話題が何気なく出で来るようになっちゃったのかい。コレがこの日一番の驚きでした。~o~;;;;

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2006年9月 2日 (土)

マッチポンプの正確な定義とそれに見合う言い換え~『予備校が教育を救う』

 NZに行く前に購入してザッと目を通していた『予備校が教育を救う』(文春新書)という本を(06'8/4「『うーむ』の連鎖」参照)帰国便でゆっくり読み直してみました。いやはや、こんな本を売る奴も売る奴だが、買っちまうワタシもワタシですねぇ・・・。~o~;;;

 この本、某大手予備校の元教務部長さんがお書きになった本なんですが、ホントに、「うーーーーーむ」な内容。予備校業界の内部事情を知らない人は、この程度の書き方で騙されちゃうんでしょうねえ。でも、我々にしてみりゃヤバいくらい突っ込みどころ満載です。

 細かいことを突っ込んでりゃキリがないので、今日は一点だけ。この人、いかに自分の所の予備校が公教育の欠陥を補って、素晴らしい教育をしてきたかを、それはそれは美しく語っているのだけれど、その骨子は、

 「第二次ベビーブームによって入試競争が激化した結果、高校教師達が正解発見のテクニックに走り出したために、元々正解発見テクニックを教えていた予備校が学問の本質を教えざるを得なくなった。その結果、予備校が教育を救うことになった。」

 というものなんだけど、コレって絶対ヘンでしょー。自分の書いてることのおかしな点に本人は気づいてないのかな。気づいてないとしたら、ハッキリ言ってしまうが、この人は「大馬○」。しかし、大手予備校の教務部長という役職を長年勤めていたのだから、少しぐらい頭悪いとしても「大○鹿」ではないはず。そうすると「厚○無○」のなせる業なのでしょうか。まー、教務部長なんて役職は、「○顔○恥」の方が勤まるのかも知れませんね~。(あ、もちろん、ウチの教務部長さんは例外ですヨ。えっと、ウチの教務部長って・・・いま誰だっけ・・・~o~;;;;)

 何がそんなにおかしいのかというと、確かに、第二次ベビーブームあたりから、高校教育は歪んできているのかも知れないが、それは、誰を見習ったのかってことです。正解発見のテクニックを教えだした高校教師達は、そのテクニックを誰に教わったんでしょう。この教務部長さんの所を含めて、安直なテクニックを教えていた予備校屋さんの真似をしただけなんじゃないんですかい?!

 念のために書いておくが、ウチの予備校の真似をしたわけじゃありませんヨ。ウチは、ずーっと昔から「本質」しか教えてこなかったもん。なにしろ、ワタシは第二次ベビーブームのはるか以前、生徒としてそれを体験してるから。ホ~ント、昔のウチの授業は、今以上に「本質」しか教えてなかったので、今よりはるかに判りにくかったんですヨ!ワタシなどニブいもので、一通り授業を理解するのに二年もかかったくらい・・・。~o~;;

 今日、このブログを書くのに、初めて「マッチポンプ」という語を国語辞典で引いてみました。

 「自分で起こしたもめごとを鎮めてやると関係者にもちかけて、金品を脅し取ったり利益を得たりすること」(『大辞林』)

これが正確な定義らしいです。そして、この教務部長さんに言わせりゃ、この定義に正確に見合う言い換えが、「予備校が教育を救う」ってワケです。おまけにこの人、そのいきさつを本に書いて印税まで稼いじゃってるワケで、三重に稼いでるんですな。さすがに中京の商人は商売が上手い。そして、このお方に印税を貢いじゃったワタシは・・・思いっきりナサケナイ。~o~;;;;

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2006年2月23日 (木)

筆者の品格

 昨日、某W田大の解答速報がありました。ところが早く終わり過ぎて、夜の授業まで五時間も間があいてしまったため、本屋さんに行ったところ、いま売れセンの本、『国家の品格』が目に付いたので、午後は喫茶店でずーっと読書。んで、感想。「国家の品格はともかく、筆者や出版社の品格はどーなんだ?!」

 実は、購入の段階から、イヤな予感はしていたのですよ。例の超ベストセラー『バ○の壁』の二作目のとなりに平積みされていたので。この『○カの壁』というベストセラーに関しては、ほーーーーーんとに騙されて買って読んじゃった。この本に関しては、もー触れるのも面倒なんだけど、かなりの数の日本人が騙されたと感じていると思うので、今さら書かなくても良いですよね。本当に読者をバカにした本です。こんな本の執筆者になっている人間もどうかと思いますが、出版した会社も・・・。んで、『国家の品格』って同じ新○新書なんだよね。

 まず、この講演記録を本にしちゃうスタイル。売れたんだから成功したことになるんだけど、なんか、読者をバカにしてませんか。口語体の文章で判りやすく、は結構なのですが、口述筆記スタイルの『バカの○』の「失敗」からも判るように、繰り返しが多くなり、内容が薄くなるんですよね。『バカ○壁』なんて、帯に書いてある一言で内容おしまいだもんね。『国家の品格』は、まーそれほどヒドくないけど、でも、やっぱり内容薄いな~。思いっきり内容薄くしてわかり易くすれば今時のおバカな読者には売れるだろってことですか。内容より儲かりゃ勝ちってことですね。

 そういうコンセプトの新書なんでしょうが、「品格」のない商売ですねえ。つか、そういうのって、この本で正面きって否定しているアメリカ的な発想なのでわ?!

 さて、その肝心の内容なのですが、結構良いことも言っています。つか、大半の内容に関しては大いに頷かされたと言っても良いと思います。アメリカ的な論理と合理性を否定して、日本的な「情緒と形」の思想を取り戻そうという趣旨は良く判るし、著者の豊富な欧米体験や教養に裏打ちされたアメリカ的論理の否定は説得力あります。しかし、肝心の日本文化を持ち上げる所が、どーも貧弱なんだよな~。なんか、日本かぶれした欧米教養人みたいな人なんだよね、この筆者。

 なにしろ、「世界に冠たる日本文学」「日本のあらゆる学芸の内でもっとも優れているのは文学です」なんて、日本文学を持ち上げてくれるのは大いに結構なんだけど、「谷崎潤一郎訳の『源氏物語』全十巻は今も本棚に飾っており」って、オイオイ、つまり、読んでないってことかい!「世界に冠たる」とまで言っておきながら、「潤一郎源氏」さえ読んでないのか。もちろん『源氏物語』原文は読んでないんだろ。なんだかな~~~。

 『源氏』のない日本文学なんて、ホリエモンのいないライブドアみたいなもんですよ。「堀江さんて人は知りませんが、ライブドアは素晴らしい会社です」って言われても困るんだよナ。

 「武士道」に関しても、なんかアヤシゲですねえ。いろいろアヤシイんだけど、例えば、「武士道」の中心的思想として、「日本人は万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、『卑怯なことはいけない』『大きな者は小さな者をやっつけてはいけない』といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないか」って言ってるけど、コレ、どーやって判ったんだ???

 また、日本史の知識もアヤシイ。この人によると、盧溝橋事件も日独軍事同盟も、武士道の衰退による弱い者いじめだってことなんだけど、じゃあ、征韓論唱えた西郷隆盛はどーなるの?アレって、武士による「弱い者いじめ」じゃなかったのかあ?「他のアジアの国は全部植民地になりました。日本は品格ある国家であったが故に、植民地にならずに済んだのです」なんてのに至っては、もー言わずもがな。

 「よく知らないことはむやみに口にしない」ってのも、多分、日本的美徳だと思うんだけどね。日本的美徳を説くのであれば、もっと日本文化について勉強してください。そうしないと、こんな予備校屋風情にさえ、「筆者の品格」を疑われることになりますヨ。

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